盗まれた頬

 カルロスの本当の名前を私は知らない。私が戦闘の基本を学び始めるよりも遥か前から彼は銃を握り戦いの最前線に出ていたのだという話は何度も聞いた。けれど、カルロスが何処で生まれたのかも何処で育ったのかも彼の本当の顔すらも、私は知らない。

「なんて顔してるんだ、

 ローター音と風の音が響くヘリの中、いつも通りの軽い調子でカルロスは私に声を掛けた。「なんて顔」とはどんな顔なのだろうと思い、私は彼と目を合わせながら自分の頬を軽く擦る。その様子が可笑しかったのかカルロスはフ、と微かに笑うと、まるで大人が子供をからかっているかのように私の頬をつまみ引っ張った。

「ずいぶんと不安そうな顔してるじゃないか。お前らしくもない」

「いひゃい。はなひて」

 “痛い、離して”という言葉は頬をつままれているせいで上手く発音できなかった。そんな私を見るなりカルロスはさらに笑い、ハハ、という乾いた笑いはヘリのローター音でかき消される。なんとなく悔しくなって頬をつまんでいる手を振り払うと、少しだけ熱くなった頬に名残惜しさのようなものを覚えた。

 カルロスを見返すと、彼は両眉と片方の口角を上げどこか満足そうに私を見つめる。いつもそうだ。ブリーフィングはとうに終わり各々が装備品の確認などをしている多少ピリついたムードの中であるというのに、カルロスの周囲にだけはいつも違う空気が漂っているような感覚がする。

 ヘリはラクーンシティの上空を滑らかに飛び、そろそろ一つ目の降下ポイントに近づいてきた頃だろうかと予想した。微かに聞こえる人々の悲鳴のような声と、街のあちこちで上がっている炎の眩しいオレンジ色が目につく。私たち部隊は今からあの場所、あの戦地へと市民救助を目的に降ろされる。

 「不安そう」、というカルロスの言葉を思い出す。別に不安を感じているわけじゃない。今までだって“こんなこと”は何度も何度も経験してきた。人を殺すことを躊躇したこともなければ自分の死を恐れたことだってただの一度もありはしない。ただなんとなく、いつも通りのカルロスを見たらほんの少しだけ未練を感じた。ああもしかしたら私は“彼の本当の名前すらも知らずに散っていくこともあるのだろうか”と。

「カルロス」

 いつもと変わらない声量で名前を呼んだ。うるさいヘリの中ではあったが、目の前にいたカルロスには聞こえているだろう。

「この任務が終わって無事に帰還出来たら、あなたの本当の名前、教えて」

 私の言葉がカルロスには意外であったようで、彼は目を丸くしてこちらの顔を真っすぐに見つめた。

 いま自分はどんな表情をしているのだろう。どんな姿がカルロスの目に映っているのだろう。先ほど私は「不安そうな顔」と言われたが、今度はそれを上手く隠せているだろうか。せめて今だけは凛とした姿をカルロスに見せたい、などとまるで今この瞬間が“今生の別れ”であるかのように大げさに思う。

 次の瞬間に重い衝撃を感じた。自身の頭の上にカルロスの大きな手が乗っており、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように強く乱暴に撫でられる。それはまるでご主人様が飼い犬を愛でるようなそんな行為に思えた。

 “やめてよ”。そんな言葉を吐いて行為を止めようとしたその時、カルロスは私と目線を合わせるように少しだけ腰を曲げ、顔を近づけて小さな声で囁いた。

「仕方ない。じゃあにだけ、特別な」

 カルロスの表情は今までに見たことがないくらいに優しい微笑みだった。彼のその様子とは反対に私は意味もなく表情が震えて眉間に皺が寄る。胸の奥から何か熱いものが湧き上がってくるような感覚がし、とても苦しかった。

 とある建物のヘリポートが見えてきた。ここで私達が所属する部隊が降下し、カルロスが所属する部隊は他の降下ポイントから街に降り立つ予定だ。

 迅速な離脱のためにファストロープ降下が採用され、太いロープがヘリから垂れ下げられる。降下用の手袋を着用すると少しだけ身が引き締まった気分になった。命綱などはない。今から戦いの最前線に赴くのだからそんな物など必要ない。



 名前を呼ばれ後ろへ振り向くと、先ほどの優しい微笑みとは違う表情をしたカルロスが居た。その表情はいつも通り、まるで今にも私をからかって頬をつまんできそうな悪戯っぽい笑顔だった。

「死ぬなよ」

「そっちこそ」

 今いる場所がヘリの中だという事を忘れそうなほど日常的なやり取りだった。

 そう。私たちはいつもこうして軽口を叩き合い、親友のように家族かのように、まるでお互いが唯一無二の存在かのように接してきた。それなのに、カルロスが何処で生まれたのか何処で育ったのか彼の本当の顔も本当の名前すらも、私は知らない。

 けれど、この任務が終わって無事に街を出れたら、もしかしたら“それ”が知れるかもしれない。そう思うと胸は高鳴り何でもできそうな気さえしてくる。カルロスに撫でられた髪、そして触れられた頬が、胸の奥と同じようにいつまでも熱くてたまらなかった。