催眠術

 工場で女を見つけた。もちろん図体のでかいクソ女の城に居る化け物とは違う、“至って普通の女”だ。服装から村の住人なのだろうという判断は出来るが、そんな女が何故この工場に居るのか。恐らくはあの薄汚いライカンどもの猛攻を潜り抜けてここに辿り着いたのだろう。余程生き残ろうとする意志が強いのか、それともただ運が良かっただけなのか。

 その女は疲れ果てた様子で床に倒れ込み、虚ろな目でこちらを見ている。傍らには古い形式の散弾銃が置かれており、それを手に取ってこちらに向けることもしない。俺が化け物ではなく普通の人間だと勘違いしているようで、思わず口角が上がった。

「よぉお嬢ちゃん。こんなところで何してんだ?」

 なるべく優しい声を心掛け話しかける。女は“お嬢ちゃん”なんて歳には見えなかったが、そう言った方が警戒心が解けると考えた。予想通り女の表情が少しだけ柔らかくなり、ゆっくりと上半身を起こすと床に座り込んだまま俺を見上げる。

「あなた、だれ」

「おい、質問してるのはこっちだぜ。こんなところで何してる?」

 かすれた細い声で質問を返されて少しだけいら立ち、目線を合わせるようにしゃがみ込んで顔を覗き込むと女はひるんだ様に身を引いた。近くで良く見れば女の顔は傷だらけで血がにじんでいるし、手足のあちこちにも傷があるように見える。ここに来るまでに転んだのか、それとも草木で切ったのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。

 俺は何も言わないままコートの懐に手を突っ込み、一本の小ぶりな瓶を女の目の前に差し出す。それはウイスキーで、少し前に工場の倉庫の片隅に放置された古い物を発見し、いつの物かは分からないが色も香りも悪くないため飲めないことはないだろうと懐に入れっぱなしにしていた物だ。

「飲めよ」

 そう言うと、女は俺の言葉が理解できないといった様子で眉間に皺を寄せ、こちらを睨むように見る。自分を食らおうとする正体不明の化け物から逃げた先で、人間のように見える得体の知れない俺みたいな人物に良く分からない液体を飲めと言われている。疑うなという方が無理な話だろう。

 分かりやすい女の態度に思わずフ、という小さな笑い声が漏れる。俺は瓶を差し出した手とは反対の手で女の顎を強く掴み、血がにじんでいる頬を親指で擦る。すると女は「う」と低い唸り声を上げ、目を細めて不快の表情を見せた。

「ほら痛ぇんだろ?安心しろって、これはただの痛み止めだ」

 俺は歯を使い瓶の蓋を取るとその場に吹き捨て、女の口の中に酒を流し込んだ。初めは素直に喉へ流れて行った酒も次第にその量に耐えきれなくなったようで口の端から零れ落ち、最終的に女は咳き込んで口の中の酒を吐き出す。

「おいおい……勿体ねえだろ吐くなよ。ちゃんと飲め」

 吐き出された酒は女の首を伝って胸元を濡らし、薄暗い工場内の僅かな光源を受けていやらしく光る。俺は何とも言えない妙な衝動に駆られ、その濡れた首に舌を這わせた。

「……悪くねぇ」

 酒がどの程度古いのかは分からないが味は悪くなく、思わず独り言を呟いた。女はゆっくりと瞬きを繰り返し虚ろな目で俺を見ると、何かを言いたげに口唇を微かに動かす。何を言っているのか良く聞こえず耳を傾けると、か細い声が俺の憎むべき相手の名を呼んだ。

「マザー・ミランダ……どうか、どうか……、私を、お守りください……」

 ミランダ。世界で一番憎むべき相手の名前を聞かされ不快な気分になる。俺は持っていた瓶を床に落とすと、女の顎を掴んでいた手を首に移動させ力を込めて床に倒し込み、その体に馬乗りになった。

「女。テメェの名前は?」

 サングラスを外しその場に投げ捨てると細い首に手をかけながら問う。女は苦しそうに目を細めたり見開いたりを繰り返し必死に呼吸をしながらも、その合間で「」と呟いた。

「なぁ。いまお前の目の前にいるのはミランダなんかじゃねぇんだよ。カール・ハイゼンベルクだ。よく覚えとけ」

 の目に涙が溜まっていくのが見え、高揚感が胸を満たしてゆくのを自覚した。俺はの目に口唇を落とすと舌で涙を舐め取る。憎しみと興奮で味なんて分からなかった。

「今から俺がお前をとびきり可愛くしてやるからよ」

 そう呟きながらの腕や足を見る。ここまで生き延び逃げおおせただけあり、それなりに鍛え上げられている肉体に思わず唾を飲んだ。

 この女。をミランダのことなんか考えられなくなるくらい、微塵も思い出せなくなるくらい改造し、俺に従えさせてやる。俺の事しか考えられないような体にしてやる。この村もこの世界もこの女も、全て俺の物だ。

 床に落としたウイスキーの瓶は割れはしなかったものの倒れ込み中身が零れ出ていた。それを拾い上げ瓶の中にわずかに残った酒を一気にあおって飲み干すと、ウイスキーで濡れた口唇をの耳元に近づけ、囁く。

「永遠に俺に尽くせよ、

 は先ほどと変わらない目で俺だけを見つめていた。俺もコイツも、たったあれだけの酒で酔ったりなんかしない。目が虚ろなのも、高揚感で満ちているのも、息が荒いのも、ただ相手を支配したいというこの気持ちも、きっと気のせいに違いないんだ。