味が悪いはどちらの果実か
毎日のように銃弾と人々の怒号が飛び交うこの場所で、私は生まれた。物心つく頃から身を守る方法を教えられ、銃を抱かずに眠った事などはない。
この地域では近頃、おかしな人間……というより化け物に近いだろうか、そんなものの目撃情報が後を絶たなかった。噂には聞いていたが、これがバイオ・オーガニック・ウェポン。いわゆるBOWというやつなのだろう。この紛争に終止符をうつため誰かが生物兵器を持ち出したのだ。
その生物兵器が目撃されるようになったとほぼ同時に、ここ一帯で良く見かける人物がいた。汚れた布をフードのようにして深く被っているため顔は良く見えないが、背が高く屈強そうな体つきをした男。彼の名前はジェイク。どうやら傭兵であのBOWとやらを一掃することを生業としているようだった。
ジェイクに敵の“掃除”を依頼する者も少なくなかったが、彼はいつも金品、女、武器……紛争地帯に身を置く男ならば欲しがるものを何一つ要求しなかった。取引の代償となるのはいつも、意外な物。
「リンゴ、好きなの?」
こちらの問いかけに、座り込んだジェイクは立ち上がることも伏せている顔を上げる事もなかった。密集する建物の間にある、天井と壁に大きな穴が空いている狭苦しい廃墟。それが“いまのところは”彼の寝床で、私はそこへ依頼料を届ける役割を任せられていた。そう。ジェイクが取引の代償として要求するのは金品でも武器でもない。リンゴだった。
私の手の中にあるリンゴはそこまで良い色ではなく、はっきり言えば美味しくはないだろう。しかしジェイクは迷う事なくリンゴをひったくり、音を立ててかじる。
「ねぇってば、リンゴ、好きなの?」
「うるせぇな、別に好きでも嫌いでもねぇよ」
好きでも嫌いでもない。ジェイクの返答にますます疑問が募る。好きでも嫌いでもないなら何故依頼料がリンゴなのだろうか。じっと見つめ考える私に構う事なく彼は無心にリンゴをかじっていた。狭苦しい廃墟の中に決してみずみずしくはないであろう咀嚼音が響く。
「いつもリンゴばっかりで飽きない?たまにはお芋とかにしたら?」
その言葉にジェイクがやっとこちらを見たため目が合う。彼は変わらずに何も言わないままに私をじっと見つめ表情はまるで睨みつけているように思えたが、私はそれがジェイクの“無表情”であることを知っていた。
「たとえば食べ物じゃなくても武器とか、燃料とか、移動手段になる車とか、色々あると思うけど」
言い終えた瞬間に響いていた咀嚼音が止んだ。ジェイクは私を見つめたまま手に持っていたかじりかけのリンゴを後方へ放り、その場でゆっくりと立ち上がる。
「ホンットおしゃべりな女だなテメェは。余計なお世話なんだよ」
ジェイクは私を見下ろしながら眉間に皺を寄せて唸るように言う。その表情は先ほどの無表情とは違い、明らかに苛立っているような顔だった。
「私は別に、親切心から言っただけだよ」
「それが余計なお世話だって言ってんだよ」
強い口調で言われ、私は傷ついた。
この紛争地帯では無事で居られる可能性の方が低く、毎日どこかしら怪我をしたり栄養不足で体調が悪くなったりする。ジェイクは取引が発生するとは言え、この環境下で暮らす私たちを守ってくれている。そんな彼を少なからず心配したつもりの言葉だったのに。
父親に叱られた時の気分に似ていると思った。口を結んで黙り込み、顔を伏せて自分の足元だけを見ていると、そんな私を見たジェイクは呆れたようにため息をつき「ったく仕方ねぇな」と小さな声で独り言を呟く。
「じゃあ“依頼料”はオマエにしてやる。だから少し黙ってろ」
その言葉の意味を理解する間もなく、ジェイクは私の胸倉を乱暴に掴んで自分の方へ引き寄せると、口唇に噛みつくようにキスをした。まるで口元をかじるような獣のようなキスで、それはほんのりと甘酸っぱい。混乱する頭の隅でぼんやりと思う、“ああ、やっぱりこのリンゴは不味い”と。
その時だった。外からこの世の物とは思えないような咆哮が聞こえ、銃声と共に空薬莢が地面に散らばる音が続く。私はハッとし、胸倉を掴んでいたジェイクの手を振りほどいた。アイツらが来た。声に出さずにその想いを込めてジェイクを見つめると、彼も同じように私を見つめながら両眉を上げる。
「まったくせわしねぇな。追加の“依頼料”ちゃんと用意しておけよ、」
ジェイクは頭から被っていた汚い布を脱ぎ捨て、何故か嬉しそうに、まるで子供のようにニヤリと笑った。