過去に捕らわれたい
「あなた、名前は?」
女は店に入るなり、俺のテーブルに真っ直ぐにやってきてそう言った。女は警官の制服を着ており、俺は頭からつま先までを舐めるように見る。それは遠い昔に見た、RPDの制服に少し似ていた。
「人に名前を聞くんなら、先に自分から名乗るべきなんじゃないのか」
フン、と鼻で笑いながら言いウィスキーの入ったグラスをあおると、中に入っていた大きめの氷がカランと鳴る。女は俺の言葉を無視し話し始めた。
「この店にずっと入り浸ってる怪しい男が居るって通報があったのよ」
「……ハッ」
思わず笑い、「馬鹿馬鹿しい」と言葉を付け足したくなった。随分と間抜けな通報だ。俺や仲間たちが命をかけて守ってやってるこの世界の奴らは、簡単に俺を不審者扱いしやがる。
「なぁあんた、一緒に飲まないか。ちょうど退屈してた所だ。酌でもしてくれ」
俺はそう言いながら、立ちっぱなしでこちらを見下ろしている女の腕を掴み強く引くと、抵抗する隙すら与えず無理矢理に自分の隣の椅子へ座らせた。女の細い肩に手をまわし、自分の方へ引き寄せると耳元で囁く。
「……名前、教えてくれよ。そうすれば俺の名前も教える」
女の眉間に深い皺が刻まれ、表情が歪む。すると腕が伸びてきて俺の肩の辺りを強く押し、女は椅子から立ち上がると再びこちらを見下ろした。
「酔っぱらいに教える名前なんかありません」
「おいおい……、いまは真昼間だぜ。俺はそこまで酔ってない」
そう反論しながら鼻で笑った。昼食を取るにはとてもタイミングの良い時間帯だ。夜も更けているならまだしも、こんな太陽が高い位置にある時間帯から酔っぱらうほど落ちぶれちゃいない。
女は俺の言葉を聞くと眉をひそめ、「」と自分の名前を小さな声で呟いた。
「フーン、ね。良い名前じゃないか」
「気安く呼ばないでくれる。どうせすぐ忘れるくせに」
そう言う女の顔は耳まで赤く、拍子抜けした。今時珍しいほどのうぶだなと感じ、堪えきれずに大きな息とともに笑みがこぼれる。
「。忘れないよ、俺は」
女性に向かってこんな台詞を吐くのは久しぶりだと思った。そして自分の言葉にさらに赤面する女を見た俺は、忘れていた何かが胸の奥から湧き上がる、そんな感覚がする。ああ、酔っぱらっていないと思っていたのは勘違いだったかな。くらくらする頭を抱えながら、そう思った。