血と泥を奪って
「随分と情けない姿ね、ニコライ・ジノビエフ軍曹」
私は地面に倒れ込む彼を見下ろし、今までにないくらいに低い声でわざとらしくフルネームを口にする。
ミス・バレンタインの放った銃弾はどうやら肩に当たったようで、ニコライはその出血箇所を手で押さえながらまるで芋虫のようにうごめき、こちらを見上げて歯を食いしばる。その表情は苦痛に耐えているのかとても苦しそうに見えるが、口元は笑っていた。
「俺を……笑いに来たのか?良い趣味だな……、」
私はニコライの言葉に呆れ、鼻を軽くフンと鳴らす。“良い趣味”だなんてニコライにだけは言われたくないし、そのまま彼に返したい言葉でもあった。
この男の正体を私は知っている。何故なら私はU.B.C.S.に所属しながらも彼と同じ監視員を担っていたからだ。そしてニコライが私を含め他の監視員たちにどんなことをしてきたのかも知っている。この男は私利私欲のためなら非人道的なことでもやってのける、人間のクズだ。
ニコライは肩の痛みのせいなのか鈍い動きでゆっくりとスペツナズナイフを私に向ける。命乞いをするでもなく、助けを求めるでもなく、ただこんな時にまで私に殺意を向ける彼に、呆れを通り越しなんだか笑みがこぼれた。
「何が、……おかしい?」
口元をおさえるも笑みを隠し切れない私にニコライが問う。彼は眉間に皺を寄せ表情を歪ませながら、まるで追い詰められた獣のような顔をしていた。
「別に。最後の最後までニコライはニコライらしいなって思っただけ」
ニコライの険しい表情が少しだけ崩れ、丸くした目で不思議そうにこちらを見る。
私はニコライが気に入っていた。誰が傷つこうと誰が命を落とそうと自分だけは生き残る、自分だけは金を手にする。そんな“クズ”が人間の形をしているようなニコライという男を気に入っていたのだ。何故ならそれは私自身にはないものだから。
自分も女とは言え戦場に派遣された一人の兵士だ。誰が死ぬことになろうと心を鬼にしなければならない状況など今までに何度も経験してきた。しかし私は鬼になり切れなかった。ニコライのようにクズになり切ることが、いつだって出来なかった。
手を伸ばしニコライの胸倉を掴む。痛みを耐えるような低い呻き声が聞こえたが、お構いなしに彼をその場に立たせると、片方の腕を自分の首の後ろに回しニコライの体を支えつつ、引きずりながら歩き出した。
「おい……!なんのつもりだ」
「怪我人は黙ってたら?あの化け物たちと同じように肉塊になりたいなら話は別だけど」
ニコライの言葉を無視し、私はその体を引きずりながらゆっくりと歩を進める。
ミス・バレンタインとカルロスは気付かなかったようだが、このヘリポートにはもう一台のヘリがあった。彼らが来る前からここに潜んでいた私は、そのヘリのエンジンが動くことも確認済みだ。
ヘリのたもとにニコライの体を下ろし、運転席に乗り込むため私はボディに足をかけたが、その瞬間に自分の体の動きが止まった。ニコライが私の足を掴んでいたからだ。怪我のせいか力はなかったため、その手はいとも簡単に振り払え、私は彼を睨むように見下ろす。
「なぜ……俺を始末しない?」
私の睨みに対する彼の言葉がそれだった。言葉の意味が分からずに「なにそれ」と間抜けな声をもらしつつ、座り込むニコライと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。私たちの距離は近くなり、彼の冷たい色の瞳が良く見えた。
「これは絶好のチャンスだ。生き残った監視員が少なければ取り分が多くなる。何が目的だ。金か?俺に恩を売りたいのか?」
“あなたと一緒にしないで”という言葉を口にしようとして思いとどまり、代わりに“ああそうか”と心の中で呟いた。そう、ニコライはこういう男だった。誰が傷つこうと誰が命を落とそうと自分だけは生き残る、自分だけは金を手にする。そんな“クズ”が人間の形をしているような男。自分にはない物を持っているからこそ、私は彼に惹かれたのだった。
「じゃあ、一つだけ条件がある」
小さく呟きながら、私は再びニコライの首元に手を伸ばし胸倉を掴む。そしてそのままその体を自分の方へ引き寄せると、その口唇を塞ぎ軽いキスをした。血と泥が混ざったような不快な味に眉間に皺が寄り唾を吐きたくなる。それなのに酷く心地の良いキスだった。
「生きてこの街を出られたら、私とデートしてよ、ニコライ」
そう口にしてすぐ、私はニコライの体を持ち上げヘリに押し込んだ。そのまま運転席に乗り込みエンジンを始動させる。大きな音と共にローターが回りだし機体が持ち上がると、NEST2のヘリポートはみるみるうちに小さくなっていった。
「……お前は本当に良い趣味をしているよ、」
後方からニコライの呟きが聞こえ、私は思わず笑う。
何気なく窓のほうに軽く目線を送ると、薄暗い空を裂くように核ミサイルが飛んでいく姿が視界に飛び込んだ。あれで街は跡形もなく消え去る。そんな非日常的すぎる光景を目にしても私は、さてニコライとのデートはどの店に行こうか、などと呑気にもこれからのことを考えた。