今夜わたしは針のベッドで眠る
ここは自由の国、だなんて言い回しは古臭いだろうか。好きな服を着て好きな場所に住み好きな仕事をする。何もかもが自由で、私がどんな恋愛をしようとどんな男を愛そうと自由だ。たとえその愛した男がアンドロイドでも、そして私と一緒に仕事をしている先輩が大のアンドロイド嫌いでも、それはきっと些細なこと。
「ここが何処だか分かってるのかな」
デトロイト市警の地下にある古い倉庫。デジタル化される前の分厚い捜査資料が隙間なく詰め込まれた本棚を背に私は独り言のように呟いた。目の前にはRK800、なんて型番を頭に思い浮かべたが相手のことは良く知っている。彼は私の恋人で、私たちの関係を知る者などこの世には一人も居ない。
「分かってますよ。ここは地下の古い資料室です。人はほとんど来ない」
コナーは分かり切った事を無表情で言い、本棚に手を置き私の逃げ場をなくすように距離を詰めた。まるで感情が見えない瞳。変異体であるコナーには感情があるため、今の彼は恐らく私に内心を悟られないように“無感情を努めている”のだろう。コナーはアンドロイドだ。そんなことは容易いはず。
彼は本棚にかけていた手を私の肩へ移動させ髪に口唇を落とす。コナーが私に触れ、こうして顔を近づけるなんてよくある事だ。しかしどうせ今夜も私の部屋に来る予定になっているのだから、夜まで我慢できなかったのかと少し呆れる。
「こんなところをギャビンに見られたら、わたし殺されるかも」
再び独り言のような台詞をため息を交えつつもらした。
私の先輩で一緒に仕事をしているギャビンという刑事は大のアンドロイド嫌いだ。コナーの姿を見かける度に顔をしかめて小さい舌打ちをする。そして署内ではギャビン以外にも未だアンドロイドに不信感を持っている者も少なくはなく、私たちの関係を秘密にしておこうと言い出したのは他でもないコナー自身だ。それなのに私を地下の資料室に引きずり込んで、人がほとんど来ないとは言えこんなリスクの高い事をするなんて理解が出来ない。
「……他の人の事を考えるのはやめませんか、」
まるで心の中を読んだかのようにコナーが囁く。私が考え事をしているほんの少しの間に彼の行動はエスカレートしていた。髪に落ちていた口唇はいつの間にか私の耳元あたりに移動して、まるで重力でも感じているかのようにあっという間に首へと落ちていく。
ああ、どうしようかなとまるで他人事かのように思う。少しくらいは抵抗でもしないとこのままではコナーはここで情事を始めかねない。しかし何故か私はコナーに抗う気があまり起きなかった。それは彼が好きだからという気持ちももちろんあるが、今この“秘密”の関係に少し疲れていたせいなのかもしれない。
先輩であるギャビンの顔色をうかがい、他の職員に気を遣い、愛するコナーにも言いようのない小さな不満を抱えている。いっそここで私たちの関係が誰かに知られてしまえば楽になれそうな気がした。いっそギャビンにでも知られて、それこそ本当に殺されてしまえれば。
その時、自身の首あたりにチクリとした痛みがあった。まるで小さな針で刺されたような、棘のある何かに触れてしまったかのような微かな痛み。それに気を取られているとコナーは顔をあげて私と目を合わせ、美しく微笑んだ。
「それじゃあ、続きはまた今夜」
コナーは一言だけ言うと私の額に軽くキスをして体を離し、こちらに振り返ることすらせずにさっさと資料室を出て行った。バタリ、というドアが閉まり切る大きな音が部屋に響き、その反動で資料に積もった埃が舞ったのだろう。ほんの少しだけ息苦しさを感じた。
コナーの行動の意味と「続きはまた今夜」という言葉を考えてみるが、なんだか頭がぼんやりとして良く分からない。呆れにも似たため息が無意識に口からもれた時、先ほど痛んだ箇所に腕を伸ばし軽く触れてみる。なんとなく嫌な予感がした私はポケットに入れていたスマートフォンの画面を鏡代わりにし、自分の首元を見てみた。
「……あ」
自分の意志とは関係なしに間抜けな声が出る。赤い花のような痕がそこにはあり、シャツの襟部分に隠れてギリギリ見えるか見えないかの、まるで計算されたような位置だった。
「コナーのやつ……」
ギャビンのように舌打ちしたくなる気持ちを抑え、奥歯を噛んだ。コナーが今夜私の部屋に来た時はただじゃおかない。そう思いながら資料室を出ようとした時、ふと足が止まる。
そう、きっと私は“ただじゃおかない”なんて思いつつもコナーに何もできない。コナーに抵抗も出来ないし、今この“秘密”の関係に疲れていたとしても彼との関係を終わらせることだって、出来やしない。コナーは私を愛してくれているし、私もコナーが好きだからだ。
赤い痕のついている首を指先で強く擦った。僅かしかなかった痛みが摩擦によって増し、先ほどのコナーの口唇の感触が蘇る。その記憶を消すかのように、私は再び奥歯を噛みしめた。