開花
ラルフという名のアンドロイドの友人が居る。いや、友人と言うより知り合いと言った方が正しい。何故なら彼は私に心を開いていないからだ。私たちが出会ったきっかけはフェンス。いつも私が自宅に帰る道で見かける、今にも崩れそうな汚い廃屋。それを囲うフェンスは錆び千切れ、所々が針のように鋭利になっていた。
ある日私がいつものように歩いていると、その汚いフェンスにお気に入りのストールを引っ掛けてしまった。強く引っ張ればストールが破けてしまう。そう思った私は引っ掛けてしまった部分を慎重にほどこうとした。その時だった。廃屋の影から出てきた一体のアンドロイド。見慣れない服を着ていたので一瞬人間かと思ったが、こめかみのLEDがきらきらと光っていたのですぐに彼がアンドロイドだと分かった。目を引く明るい色の髪。そして額のあたりから頬にかけて酷く大きな傷があり、私はストールの事など忘れ思わず声をかけてしまった。
「うわ、酷い傷。大丈夫?」
私がその言葉を言い終わったのと同時に、アンドロイドの彼は私の方へ足早に近づきフェンスに空いた穴から腕を外に出すと引っかかっていたストールを思いきり引っ張った。ビリビリという布が破れる音が響き、私の手にはストール“だった”布の切れ端だけが残る。そのストールは長年愛用している私のお気に入りの物だった。目の前で破かれてとてもショックだったし、アンドロイドの彼を怒鳴りつけようかとも思った。しかし、私にはそれができなかった。
「こ、ここに、近づくな。早くどこかへ行って」
アンドロイドの彼の言葉はどこかぎこちなく、目はとても悲しそうだった。彼の目は綺麗な薄い茶色の瞳だったが、片方の目は機能していないのか暗く青い色で塗りつぶされていて恐怖すら感じる。まるで怖い大人に怯える子供のような顔をしていた彼を怒鳴りつけることなど私には出来なかった。
その後、彼が“ラルフ”という名前だということを本人の口から知った。廃屋の前を通るたびにフェンスと目隠しのシートの合間からラルフの姿を探した。そして彼を見つけると必ず声をかけた。何故こんなことをしているのか自分でもよく分かっていなかった。しかし酷い傷を負った顔と悲しそうな目を見るとどうしても彼が気になって仕方がない。おそらく傷から察するに以前人間に酷い仕打ちをうけたのだろう。そのせいかラルフは私の目を見て話すことはなかったし、彼が私に心を開いてくれることもなかった。
近所の空き地に見慣れない美しい花が咲いたと聞いたのは、私とラルフが出会ってからしばらく経ってからの事だった。私の記憶が正しければ確かラルフの型番はWR600で緑地のメンテナンス用に設計されたアンドロイドだという話を聞いたことがある。それならばきっと草花の知識があるだろうし、もしかしたら好きかもしれない。
「近くに綺麗なお花が咲いたんだって。見に行かない?」
いつものようにフェンスの外側からラルフに声をかけると、彼はこちらを見ようとはせず、手元に目線を落とし低く呟く。
「ラルフは、行かない、ここから出ないよ」
「そんな事言わないで一緒に行こうよ。珍しいお花なんだって。ラルフなら名前わかるかもしれないでしょ」
「珍しいお花」という言葉を声にした時に、一瞬だけラルフがこちらを見た。しかしその目は本当にほんの一瞬合っただけですぐにそらされ、ラルフは小さく頷いた。
ラルフがあの廃屋から出て来たのは初めてだったので、なんだか私は嬉しかった。“花を見る”などというのは口実にすぎず、私はラルフを自分と同じ世界に引きずり出したかっただけなのかもしれない。廃屋に閉じこもる孤独なアンドロイドではなく、人間のこの世界に。恐らく人間に強いトラウマを抱えているのであろう彼には迷惑な話でしかないのだが。
ラルフの大きな傷を見ると怯える人も居るだろうと思い、私はラルフに大きなフードのついた上着を傷口を隠すように着せた。しかし見慣れない美しい花が咲いたと言われていた空地は廃屋のすぐ近くにあったので人に見られる心配などはあまりなかった。
空地はとても小さなスペースしかなく、中央に低く細い木が生えていた。子供のようにも老人のようにも見える貧相な木だったが、上部にはとても美しい花が咲いていた。薄いピンク色の花びらが空中を舞い、雪の様に地面に落ちる。私は予想以上の美しさに見惚れた。
「本当に綺麗だね。これなんて花なんだろう?」
自分の前に手のひらを差し出すと、ひらひらと空中を舞った花びらが手の上に落ちる。雪に見えるが雪のように溶ける事はなく、とても可愛らしい色だった。
「ラルフしってる。これチェリーブロッサム。サクラっていう花だよ。ニッポンの花だ」
花の美しさに見惚れていると隣に居たラルフが急に喋り出す。私は驚きつつ彼の方をすぐに見たが、ラルフはとても嬉しそうに舞い散る花びらを見ていた。いままでラルフの悲しそうな顔しか見た事のなかった私には彼のその表情がとても新鮮に見える。
サクラの花は知っていた。近年の日本ブームもあってかアメリカでもメジャーな花になりつつある。しかし本物をこの目で見たのは初めてだったので圧倒された。こんなにも美しい日本の花が何故こんなアメリカの空き地にあるのだろう。
「ラルフはこの花好きだよ。誰かがサクラの木を植えたのかな?花が落ちたら実がなるよ。チェリーだ。はチェリー食べる?ニッポン人はお花も葉っぱも食べるんだって。食いしん坊だよね」
私の心を読んだかのようにラルフが再び喋り出す。日本人は何でも食べると聞いた事はあるがまさか花や葉まで食べるとは、と感心する。子供の様にはしゃぐラルフは初めて見たが、こんなに饒舌な彼も私は見た事がない。普段はこんなにしゃべる人、いや、しゃべるアンドロイドなのだろうか。
そして数秒後に、初めてラルフに名前を呼ばれた事に気が付いた。「はチェリー食べる?」そのたった一言だったけれど、ずっと閉ざしていたラルフの心がほんの少し、ほんの数センチだけ開いたような気がした。
「私もこの花好きだな。ニッポン人はこんなにキレイなお花が身近にあるんだね。羨ましい」
落ちる花びらを見ながら呟いた。何故だろう、この花には美しさも可愛さも感じるが、同時に儚さも感じる。先ほどから延々と散っているこの花びらが全て散ってしまったらこの木はどうなるのだろうとぼんやり思った。
ふとなんの気もなしにラルフの方向を見ると、目が合う。すぐにそらされるだろうと思っていると、彼はまっすぐに私の方を見続けた。
「でも、の笑った顔も、お花が咲いたみたいでキレイだよ」
ラルフは呟くようにそう言って、すぐに私から目をそらした。彼の横顔を覆い隠すようにサクラの花びらがひらひらと舞う。
花はこの先ずっとここに居られるのかもしれない。アンドロイドが電気を与えられれば動くように、この木も花も、水と日光さえあればこのまま。私はアンドロイドでも花でもない、まぎれもない人間で、あと数十年もすれば死んで居なくなってしまう運命だ。でももし草木や花々に生まれ変われるとしたらラルフは私を見てくれるだろうか。ずっと彼の傍に居られるのだろうか。
「ラルフはお花、好き?」
声が震えた。植物に詳しい彼ならば答えは分かり切っている。それなのに何故こんなにも緊張するのか分からなかった。
「好きだよ」
ラルフは花が好きだと言ったのに、何故だろう。まるで“君が好きだよ”とでも言われたような勘違いを起こしそうになる。私たちが出会ってからどれくらいの時間が経ったかなんて、もう忘れてしまったけれど、私はその時に初めてラルフの笑顔を見た。作り笑顔でも、ひきつった顔でもない。彼の心からの笑顔を。それはまるで文字通り“花が咲いた”ようだった。
生まれ変わったら花になりたいだなんて、そんな事を願うのは私ぐらいなのかもしれない。しかしそんな少数でちっぽけな想いなら神は私の願いを聞いてくれるだろうか。花になって彼の傍にずっと居たいだなんて、馬鹿げた願いを。