醜く汚いされど愛

 俺はが視界に入っていないと、落ち着かない気持ちになる。平然を装いながら異人町中を探し回ったりしてしまうし、が誰かと楽しそうにしていると相手が男だろうと女だろうと犬や猫だろうと気に入らない。のこととなると一般的な常識が俺の頭から消えてなくなる。本当に、洒落にならない。

 以前春日君に「ベタ惚れじゃねえか」とからかわれたことがある。ソンヒにも「好きな女のこととなると目の色が変わるな」と言われたことがある。そんなんじゃない。俺がに対して持っている感情は恋だの愛だのそんな可愛らしいもんじゃない。これは支配欲だ。独占欲とも言うかもしれない。大きな穴の底のような暗い色。粘度が高くドロドロとした感覚。とてもじゃないが誰かに言って聞かせられやしない。

「今週末、友達と映画に行くことになったんです」

 は俺が用意した料理を食べつつ嬉しそうに話した。彼女の隣にある椅子に腰を下ろしテーブルに頬杖をつく。綺麗な横顔をぼんやりと見つめた。もぐもぐと咀嚼する頬と、上下する喉の辺りが妙に色っぽく見える。

 聞くと、が映画を見に行く友達とやらは複数人で、どうやら全員が女性のようだった。俺からしてみればそんなことはどうでも良かった。二人きりではないとしても、相手が男であっても女であっても、もしかしたらを狙っている人間なのかもしれないと考えるだけで気が気じゃない。

「それ、俺も行っていい?」

 軽い気持ちで口にすると、は食事をしていた手を止めてこちらを見た。目を丸くして口を半開きにしている。その表情は驚きというよりも呆れに近かったかもしれない。

「何言ってるんですか、ダメです。女子会なんで。男子禁制です」

 声は少し冷たかった。は前へ向き直ると食事を再開する。レンゲを使ってエビのチリソースを口へと運んでいくその途中で、口唇の端にチリソースが付着した。

「てか、趙さんもいい加減『子分ばなれ』しなきゃダメですよ。一応、私の今のボスはソンヒなんですから」

 口唇に着いたチリソースを指摘しようとした瞬間、の声が俺の目の前にある空間に漂う。うざったい。『子分ばなれ』という単語が耳と脳と胸に突き刺さるような感覚がした。は冗談のつもりで言ったんだろう。困ったように笑いながら俺を見ている。いつもであれば彼女のその笑顔は俺の気持ちを満たしてくれるはずなのに、何故か酷く憎らしく思えた。

 腕を伸ばしての顎を掴んだ。それなりに力は込めている。指先が肉に食い込み、の眉間に皺が寄った。表情から察するに驚いているのか痛みを感じているのか、そのどちらかだろう。掴んでいた手をすぐ下の首に移動させ、まるで絞めるかのように再び力を込める。レンゲが床に落ちた。

「趙さ……」

 の苦しそうな声が俺の名を呼んだ。そのままの頭ごと自分の方へ引き寄せ、口唇に着いているチリソースを舐め取った。そしてすぐに口唇をも貪る。は俺の腕にしがみ付き、押し返すように力を込めた。無駄な抵抗だと思った。逃がすもんかという強い気持ちでの頭を両手で鷲掴み、角度を変えてもう一度口付ける。

 今日のエビチリは美味しく出来たという自負があった。その自信を裏付ける味、香り、舌触り。全てが完璧だ。の口唇と共に味わっているから余計にそう感じるのかも、なんて、そんなわけないか。

 口唇を解放すると、は逃れるかのように俺の体を強く押す。すると椅子からずるりと落ちて、店の床に尻もちをついてしまった。俺も同じように椅子から体を落とし、這いつくばるようにしての上に覆いかぶさる。

「『子分ばなれ』、ねぇ……?」

 の言葉を思い出しながら口に出してみる。『趙さんもいい加減子分ばなれしなきゃダメですよ』。その通りだと思う。は俺の元部下だ。俺は元総帥であって、現総帥ではない。いつまでもの動向をチェックして常に傍に置いておこうとしたり、自分以外の誰かと接しようとするのを遮ったりするのは間違っているんだろう。自分でも分かっていた。

 俺がに執着するのは、いかにもな情なんかじゃないはずだ。恋や愛なんかじゃないはずだ。誰かに言って聞かせられるような美しくも儚い、そんなものでは決してないはずだった。

「もう一回、言ってみろよ。……なぁ?」

 ゆっくりと手を伸ばし、指先がの頬に触れる。肌は熱い。涙で濡れた大きな瞳が俺を見上げていた。今すぐにこいつをめちゃくちゃにしてやりたいという欲望が体中に溢れ出し、吐き気すら覚える。

 を俺だけのものにしたい。を誰の目にも触れさせたくない。を何処にも行かせたくない。を一生傍に置いておきたい。こんなにも醜く汚い気持ちを、人は『愛』と呼ぶのだろうか。


‎(2024‎.‎3‎.‎16‎‎‎)