アイアムコンピュータ

ってほんと、機械みたいだよな」

 はるか昔に付き合っていた恋人から言われた言葉は今でも良く覚えている。自覚はあった。いや違う。現在進行形で自覚はある。人と接するのが苦手というわけではないが、感情を表に出そうとしても上手く出来なかったり、自分の話をすることもあまりない。いつからか、自分はそういう人間なのだと半ば諦めのような気持ちに支配されつつあった。

 いくつか掛け持ちしているバイトの一つである『サバイバー』というバーはそこまで人気店というわけではない。などと言ってしまったらマスターは怒るだろうか。分かりやすく言えば隠れ家的なお店のようで、来店するのは常連客ばかりだった。

 その常連客の中にひときわ目を惹く人物が居た。苗字は『カスガ』、名は『イチバン』。いつも仲間たちと飲んでいる彼は周囲に「カスガくん」や「イチバン」と呼ばれていた。恐らく名を漢字で書くと『春日一番』が妥当だろうか。

 彼、春日さんはいつだって中心に居た。数名の人物の中心だったり、話題の中心だったり、とにかくすべてにおいて彼はいつも主役だった。仲間たちと酒を飲みかわしながら楽しそうに話しているかと思えば、急に泣き出したり、逆に急に怒り出したり、表情がコロコロと変わる不思議な人だった。

 私は春日さんを羨ましく感じたことがある。ああやって沢山の仲間たちに囲まれて、どんな感情であろうと違和感なく表に出すことが出来る。そんな彼のような人間になれたら、と何度も思った。

 私は機械だ。自覚はある。嬉しくても、悲しくても、怒っていても、あまり表情が変わらないらしく、何を考えているか分からないと言われることが昔から多かった。「ってほんと、機械みたいだよな」という言葉は、もう何年も昔のことだと言うのに私の心の底に太く強い根をはっている。水をあげたわけでも日の光を当てたわけでもないというのに。

 ある日の晩のこと、サバイバーに春日さんが来店した。いつも周りに居る仲間たちの姿は見当たらず、彼一人だった。少し背の高い丸テーブルに置かれたビールジョッキはいつまで経っても中身が減らず、酷く寂しげに見える。

「お待たせしました。ミックスナッツです」

「おう。ありがとう」

 追加で注文が入ったミックスナッツを春日さんのテーブルへ運ぶ。商品を受け取る際に彼はいつも礼を言う。恐らく癖のようなものであって他意はないのだろうが、私にはそれが嬉しかった。

 今日はお一人なんですね、だとか、今日はいつもの人たちとご一緒じゃないんですね、だとか、そんなどうでもいい話を振ろうとするも、喉に何かが詰まったように声が出ない。すぐ傍で立ち尽くしいつまでも持ち場に戻らない私を不思議に思ったのか、春日さんは私の顔を見上げながら「ん?」と小さく声を上げた。

「あ、いえ。ごゆっくり、どうぞ」

 明らかにタイミングを逃した。そして春日さんに不信感を与えてしまった。私は誤魔化しの接客フレーズを口にして頭を軽く下げてから、すぐにその場を去ろうとする。その時、春日さんの「待った」という声が私の脚を止めた。

「あんた、ちゃん、だろ?」

 急に名を呼ばれて心臓が一度大きく跳ねる。そして何故春日さんが私の名を知っているのだろうと疑問に思った。もしかしたらマスターが私を呼んでいる光景を目にし、それを記憶していたのかもしれない。

 まさか春日さんが私の名を知っていてくれたなんて。その上で彼に名を呼ばれる日が来るなんて。予想もしていなかったことが連続で起こり少し緊張する。私は高くもなければ低くもない単調な声で「はい、そうです」と返事をした。

 春日さんは「ああ、やっぱそうか」だとか「遅くまで大変だな」だとか他愛のない言葉を口にしている。私はそれにどう返したら良いか分からなかった。一般的には適当な言葉を返したり、何の意味もない笑顔を浮かべて見せたりするのだろうが、そのどちらも私には出来なかった。ただ黙って春日さんの言葉を耳から入れて、頭の中に仕舞い込む。表情は固まって動かない。そんな私につられたのか、春日さんの笑顔も次第に消えてゆき無表情のようになっていく。

ちゃんって、なんつーか……、機械、みたいだよな」

 その言葉が同じように耳から入って頭の中へと仕舞い込まれた時、私の心の底にはった根がピシリと音を立てたような気がした。外に向かって力がこめられ、しがみ付くような強さを感じる。太く強い根が、絶対に抜けてたまるか、枯れてたまるか、とでも言うように。

「あ、悪ぃ。変な意味じゃなくてよ」

 春日さんが付け足すように話し始めた。思わず「え?」と間抜けな声が漏れる。機械みたい、だなんて変な意味でなければなんなのかと思うも、話の続きが聞きたかった私は春日さんの次の言葉を待った。

「この間、変な客に絡まれてたろ?ほら……、酔っ払いのオッサン。冷麺じゃなくてラーメンを食わせろ!とか言ってた」

 脳に備わった引き出しを引っ掻き回して記憶を探る。酔っ払いの客に絡まれることなどは珍しくないため途中までは思い出せなかったが、『冷麺じゃなくてラーメンを食わせろ!とか言ってた』という情報で一人の人物が浮かび上がる。確か先週末あたりに来た中年の男性だ。ビールを5,6杯ほど飲んで良い感じに酔っ払い、最終的にマスターが店から追い出していた。

「あん時は割って入ろうかと思ったんだけどよ、あんたが機械みてえに表情変えずに……、なんつーか、毅然とした態度で接客してたのを見て、すげえ、かっこいいなって思ったんだよ」

 機械みたいに。今まで嫌悪を感じていた言葉があまりにも優しく私の心に堕ちる。底にはった根は完全には枯れない。それでも春日さんの言葉は本当に嬉しかった。今までの人生で聞いた、どの言葉よりも。

「だからこれからも頑張っ……」

 これからも頑張ってな。そんな言葉を春日さんは言いたかったのかもしれない。それが途中で止まり、春日さんの大きな目が私を見つめている。驚いたような表情で呆然としており、言葉を失っているようだった。

 自分の視界がゆるゆると波打ったその時に、頬が濡れていることに気が付いた。私は泣いていた。久しぶりの感覚だった。誰もが感動し涙するという映画を見ても、クレーマーに目をつけられ理不尽な苦情を受けた時も、はるか昔に付き合っていた恋人に「ってほんと、機械みたいだよな」と言われた時も、どんな時でも涙なんか出なかったのに。

「わ、悪ぃ!機械みたいなんて失礼だったよな。機械じゃなくて、えっと……、ロボット!いや違ぇな。アンドロイド?いやこれも違ぇ……。えーっと……えーっと……」

 春日さんは私の泣き顔を見て慌てたのか、座っていた椅子から立ち上がり身振り手振りをまじえながら必死に言い訳じみた言葉の数々を口にする。その様子があまりにもおかしくて、あっという間に涙は引っ込んでしまった。

「いいんです」

 慌てふためく春日さんを制するように手のひらを前に出す。春日さんは体の動きを止めてその場に立ち尽くした。私にはそれが、まるで飼い主に『待て』と命令されている犬のように見えて、更に涙が引っ込んだ。

「ありがとう、春日さん」

 軽く頭を下げてから、お礼の言葉を口にした。春日さんが目を丸くして不思議そうに私を見つめている。そんな彼を見ていると、自分の意思とは関係なく口角が上がり、勝手に目尻が下がって視界が狭くなるような気がした。ああこれが『嬉しい』『喜び』『笑う』ということか、と、それこそ本当にたったいま感情を知った機械かのような気分になる。

ちゃんの笑った顔、初めて見た気がするぜ」

 春日さんはそう言ってから「なんか得した気分だな」と付け足し、笑う。ああ私は彼が好きだなと思った。春日さんの前でなら機械だろうとロボットだろうとアンドロイドだろうと、自分を好きになれそうな気がした。心の底にはり続けている根と共存出来そうな気がした。

「ごゆっくり、どうぞ」

 改めていつものフレーズを口にし、小さく頭を下げる。春日さんは片手を軽く上げながら「おう」と小さく返事をして、再び笑った。私はほんの少しだけ口角を上げて、ほんの少しだけ目を細めてみる。せめて彼の視界に入るその時だけは、上手く笑えていますようにと強く願った。


‎(2024‎.3.23)‎