明ける指先

「私、元旦嫌いなんだよね」

 正月早々に俺を呼び付けたは顔を見るなりにそう言った。ここは彼女が経営する小さなバー。表の看板には『CLOSED』と出ていたために店内に客は一人もいない。元旦という書き入れ時に店を開けていないことを不思議に思ったが、年末年始に営業していない店も周囲には少なくないため、これも時代の流れなのか、なんてことをぼんやり思う。

 『元旦が嫌い』発言にひっかかりつつも、何も返答しない俺の顔をは睨むように見た。そして自分が腰掛けているカウンター席の隣にある椅子を音を立てて乱暴に叩く。言いたいことは手に取るように分かる。“ここへ座って私の酒に付き合え”ということなんだろう。

「おいおい……。いきなり呼び付けといて随分な言い様じゃねぇか」

 俺はの隣の席に座りながらそう言った。顔を近付けてみると目は細められて虚ろだし、瞬きは遅く、眠そうに見える。強い酒のにおいと香水のにおいが混ざり合って、何とも言えない妖艶さがにじみ出ていた。

 は適当なグラスを取り出し大雑把に氷を放り込むと、近くにあったボトルから酒を注ぐ。詳しくはないため分からないが恐らくはウイスキーか何かだろう。それを俺の方へ差し出し、「ん」と言った。口に出したのは一音のみだが“さっさとこれを飲め”とでも言いたげな表情だった。

「つか、今日は一応俺の誕生日なんだぜ。忘れちまったのかよ」

 愚痴をこぼすかのように言うと、は細めていた目をさらに細め、眉間に皺を寄せてこちらを見た。妙な居心地の悪さを感じた俺は一度だけ酒を口に含む。はこれみよがしに大きな溜息をつくと、身を乗り出すようにして顔を近付けて来た。

「馬鹿じゃないの。忘れるわけないでしょ。だからだよ」

「あ?」

「一番の誕生日だから元旦が嫌いなの。元旦になると、あんたを想い出すから」

 何も言い返せなかった。

 神室町でと出会った時、はまだガキだった。制服姿で俺の後をついて回って、カタギだというのにヤクザをものともせず俺に懐いてくれた。俺が殺人の罪を着て刑務所に入った時、はまだ高校生で、酷な想いをさせてしまったのかもしれないと今更ながらに思う。慕っていた男が人を殺め罪人になるなどということに何も感じない人間は居ないだろう。しかしも荒川の親っさんのように、俺の帰りを待っていてくれると思っていた。そう信じていた。

 は目を細めるのをやめ、ゆっくりと瞬きをしながら俺を見る。その表情はひどく優しかった。

「一番はあと何年で出てくるかなとか、今頃どうしてるかなとか、私のこと覚えてるかなとか……。毎年毎年、元旦になるとあんたのことばっかり考えてた。あの頃は花の女子高生だったのにさぁ、今じゃ立派なオバサンよ。完全に行き遅れちゃった」

 は人差し指を出し、目の前にある何もない空間を指でなぞるように動かす。その仕草はまるでカレンダーの日付を数えているように見えた。その手を取って、強く握る。は驚いたのか目を丸くしながら俺を見つめた。

「年を取ってもお前は何にも変わってねぇよ。昔も今も、……べっぴんだ」

 最後の一言だけはどうにも口にしづらく、声が小さくなってしまう。はフッと鼻を鳴らし、まるで俺をからかうように笑った。

「おだてたって何も出ないわよ。誕生日プレゼントだって用意してないんだから。残念でした」

 の無邪気な笑顔がひどく眩しい。酒はまだたったの一口しか飲んでいないのに、既に酔っぱらってしまったようだった。

 俺はに心底惚れている。まだ幼かったあの頃、犬みたいに俺の後をついてきて、優しくしてやれば尻尾を振って、俺を慕ってくれていた。俺が刑務所に入って出てくるまでの18年間ずっと俺を想っていてくれていた。そんながいま、愛おしくてたまらない。

 先ほど握った手を軽く自分の方へ引き寄せると同時に俺は身を乗り出し、と口唇を重ねた。強い酒のにおいがする口唇は熱く、それでいて柔らかかった。

「誕生日プレゼントは、これでいい」

 まるで独り言のように呟く。目の前にあるの顔がほんの少しだけ赤く見えたのは、店の照明のせいなのか、それとも酒のせいなのか、最早何も分からなかった。伸びて来たの腕が俺の首の後ろに回り、そのまま強く引き寄せられると、俺たちの口唇が再び、先ほどよりも深く重なる。

「もっとあげる。……誕生日プレゼント」

 囁くように言ったの顔は耳まで赤くなっていた。無理をして大人びようとしているその様子に微笑ましさを感じる。俺は「ありがとよ」と呟き、腕を背中にまわしてその細い体を強く抱き締めた。もう『元旦が嫌い』なんて二度と言わせない。俺が隣に居る限り。


‎(2023‎.‎1‎.2‎‎‎)‎