今からあなたを落とします。

 その人は私の顔を見るなり表情を歪ませた。まるで“ゲッ”と声を出しそうな顔をしていたが、そのすぐ後に本当に「ゲッ」と口にした。

 彼女の名は。武闘派組織と呼ばれる流氓の中では数少ないインテリ系で、唯一と言っても過言ではないほど機械類の知識にたけている存在だった。コミジュルが焼け落ちソンヒが横浜流氓の総帥を継いでから、コンピュータや監視システムのデータ復旧のために流氓の組員に手を借りることもあったが、はっきり言って彼女以外は役には立たない。

 この日もデータ復旧の手伝いをしてもらおうとをコミジュルに呼んでいた。彼女はどうやら私の事が嫌いらしい。顔を歪ませたままの彼女が考えていることは大体予想出来る。きっと“なんでこの男がここにいるんだ”とでも思っているのだろう。

「今日はいつもの機械班が急用で出払っているので、私がお手伝いします」

 自分がここにいる理由をわざわざ分かりやすく説明する。はため息交じりに「あ、そう」と返事をし、私から目をそらした。

 何故、彼女は私を嫌うのだろう。そう考えたこともあったが流氓の人間がコミジュル参謀の自分を嫌うのは無理もない。コミジュルが焼け落ち、趙が横浜流氓の総帥を降りるその瞬間まで、毎日のように睨み合っていた私たちだ。今更良い関係を築けるはずもないのかもしれない。

 ただ私はに興味があった。そもそも流氓に珍しい女性組員であり機械に強いインテリ系。武闘派で血の気が多く筋肉隆々の男性が多い横浜流氓の中でどんな風に過ごしてきたのだろう。特に高い地位でもなかったようだが、もしかしたら趙や幹部など誰かしらの女だったのだろうか。

「で?今日は何をすればいいの、参謀さん?」

 は頭をかき気だるそうな様子で私に問いかけた。「参謀さん」。嫌味がこめられているのだろうその呼び方に引っ掛かりつつも、私は少し離れた場所にあるコンピュータを指さして言う。

「三番デスクの端末をご確認いただけますか。外身は焼けていますが中は無事ではないかと思いますので、データとシステムファイルをなんとか移行できないかと」

「了解」

 そっけない返事だ。はこちらを見ることすらせずに三番デスクに向かっていく。私はその小さな背中に「さん」と声をかけた。呼び捨てにしても良かったのだが、彼女のことだ。コミジュルの人間に馴れ馴れしく呼ばれることを嫌がるのは目に見えている。

「私のことは“参謀”ではなく、名で呼んで頂けますか」

 何故そんなことを口走ったのかは自分でも良く分からなかった。ただなんとなく、彼女に「参謀」と呼ばれることが嫌で、名で呼んで欲しいと思ってしまった。

「……なんで?」

 は私の言葉の意味が理解出来ないようだった。怪訝そうに眉間に皺を寄せると目を細めてこちらを見る。私は彼女に近付きながら落ち着いた声を意識して言った。

「コミジュルが焼け落ち、ソンヒが横浜流氓の総帥となった今、私は“コミジュル参謀”ではなくただの“ハン・ジュンギ”ですので」

 私はなんとなく彼女に「参謀」と呼ばれることが嫌だった。ただ普通に名で呼んで欲しいと思っていたのだが、“なんとなく”と答えるのが何故か癪に感じ、もっともらしい理由を並べ立てる。しかしが私の心の内に気付くはずもなく、ただ不機嫌そうな顔をしながら「考えとく」と口にした。

 は三番デスクにどかりと座り、自前だろうか持参した小さな端末とコンピュータをコードで繋ぎ始める。コミジュルのコンピュータたちはほとんどが焦げ付き電源も入らないため、どうにか中のデータだけでも読み取ろうとしているようだった。

「すみません、少しよろしいですか」

 モニタとにらめっこをしているに声をかけたが、彼女は返事もせず何かを考えるように難しい表情をする。こちらを見ることすらもしないその態度にほんの少しだけ苛立ちを感じた。

「あなたは何故、私を嫌うのですか?」

 ずっと考えていたことを口にしたのは無意識だったが、後悔はしなかった。横浜流氓の人間がコミジュルの人間を嫌うのは当然かもしれない。しかしこれからはお互い手と手を取り合って生きていくべきだし、仲良くはなれなくとも協力関係を築くことは必要かもしれない。そして何より、私はの口から直接、理由が聞きたいと思った。

「別に。嫌ってない」

 は作業する手を止め小さな声で返事をする。その弱々しい声は今までに聞いたことがないもので、予想外の反論に拍子抜けした。例えば“流氓の人間がコミジュルの人間を嫌うのは当然だ”とか“今までの事を思い出してみろ”など様々な理由をぶつけられることを予想していたからだ。

 しかし、彼女の「別に。嫌ってない」という返答に納得は出来なかった。

「でも私を見ると嫌な顔をしますよね?目を合わせようともしませんし、明らかに避けています」

 私が反論すると、はモニタを見ていた目線をこちらに向け睨むような表情で私の顔を見る。この日初めてまともに目があったような気がしてどこか嬉しさを感じ、私は一歩近づき座ったままのを見下ろした。すると彼女はフン、と鼻を鳴らしその場に立ち上がる。

「なに?あんた私にそんなに好かれたいの?」

 のその言葉に、胸につかえていた何かがストンと落ちるような感覚があった。私は嫌われていると思っていた。別に“今は”それでも良かった。いつか私のことを“嫌いじゃなくなって”くれるのではないか、などと考えていた自分に気が付いた。

「そう……、かもしれません」

 無意識に口から言葉がこぼれる。は私の顔を見たまま表情を歪ませ「は?」と間抜けな声を上げた。

「私はあなたに好かれたいと思っています。あわよくば、あなたのことをもっと知りたいとも思っている」

 はっきりとその言葉を口にした。ただ本当に自分の考えていることを言葉にしたまでのこと。愛の告白だとか、下心がこもっているだとか、どんな風にとらえられても良い。ただ私はに興味をそそられた。何故私にそんな態度を取るのか。避けられがちな目線をこちらに向けさせる方法はないのか。どうしたら私のことを好きになってくれるのか。そればかりを考えている自分が今ここに居る。

 一秒、二秒待ってもからは何の返答も無かった。目の前にはうろたえた表情があり、それはみるみるうちに真っ赤に染まっていく。口を開けたり開いたりしながら半歩ほど後ずさるその姿は弱々しく間抜けだった。

「なに言ってんの?」

 やっと返答が来たかと思えばひどく震えた声で細く、目の前に居る自分でなければ聞こえないほどだった。耳まで赤くなった顔。常に私の前では不機嫌そうな顔か無表情しか見せなかったの困惑した表情。動揺しているのか目を泳がせ体を震わせている様子。それらを見せられ、胃の辺りが締め付けられるように痛む。

「そういう反応はずるいですね。本当にあなたを口説きたくなってしまう」

 私の言葉にさらに動揺したのか、は数歩後ずさるとすぐ後ろで椅子が音を立てて倒れる。その大きな音に彼女が気を取られている隙をついて素早く近づくと、腕を取ってその場から歩き出した。

「ちょっと、なに、どこ行くの?」

 まるで飼い犬かのように私に引かれるがままになったに問いかけられたが、すぐに良い答えが出てこない。“ここではないどこかへ”だとか“あなたを口説けるような場所へ”などと口にしても良いかとも思うが、これ以上を困惑させたくはない。

 その瞬間に私は、そういえばソンヒに出すために買った高い茶葉がまだ残っていたはずだ、と思い出した。

「お茶でもどうですか。美味しい物があるんです。きっとあなたも気に入ります」

「い、いらない。放して」

「まぁそう遠慮なさらずに。良い機会ですから交流を深めましょう、

「交流なんかしない。お茶もいらない。放してってば!」

 必死な様子で拒否するの言葉を無視し、掴んだ腕を放すまいと力をこめて握った。

 さて、お茶を飲みながらまず第一に「別に。嫌ってない」という言葉の真意から聞いてみようか。何故私と目を合わせなかったのかとか、何故私を避けていたのかとか、“本当に私のことを嫌っていたのかどうか”とか、聞きたいことは山ほどある。

 作業が進んでいないことをソンヒに咎められそうな気もするが、まぁそれも良いだろう。彼女を口説き落とす時間があるのならば、それで。


‎(2022‎.‎6‎.10‎)‎