※女攻め要素有り

白旗は振れない

 時計で時刻を確認する。そろそろが『仕事』から戻る頃合いだった。古臭いソファから重い腰を持ち上げて部屋を出て行こうとした時、部下の一人に「親父!どちらへ?」と声を掛けられる。何も言わずに睨むような目線を送った。するとそいつは何かを察したのかハッと息を飲み、それ以上は何も聞かずそのままこちらに向かって頭を下げた。

 シアタービルの崩れかけた汚い壁を横目に階段をくだり下のフロアに向かう。そこは劇場に出演する踊り子らが使う控室や鏡張りのスタジオなどがあった。ほとんどは部下がたむろしているだけの部屋だがその中に一つだけ、俺の部屋とは別にとある人物が占領している部屋が存在した。

 ノックすることも声を掛けることすらもせず部屋の扉を開けた。丸い照明で縁取られた鏡がついているドレッサーがいくつも並んでおり、眩しさに目を細める。衣装の着替えに使っていたと思われる床に敷かれたマットの上にその女は居た。壁に背をつけ、細く白い脚を投げ出すように座り込んで目を閉じている。すぐ傍には鮮やかな色のピンヒールが脱ぎ捨てられていた。

「おい、。起きろ」

 見下ろしながら名を呼ぶとはゆっくりと目を開き、気だるそうな表情で俺を見た。

「あれー……、山井さんじゃないですか。お疲れ様です」

 はそう言ってから大きなあくびをした。目元を擦ろうとするも思いとどまったのは、いつもより濃い化粧をしているせいだろう。すぐ近くにあった何が入るのかも分からないような小さなバッグを手に取ると、中から札束を取り出してこちらに差し出した。

「はい。今日の売り上げ」

 受け取ったそれは軽く見ただけでも1万ドルはあるだろうか。今日の客は随分と羽振りが良かったのだなと感じる。

 は『仕事』をしている時こそまるで機械のような女だ。こいつの嫌いなタイプは不潔な男、下品な男、金持ちの男、礼儀がなっていない男、食事のマナーが悪い男、腹が出た男、といくらでも出て来るが、どんな客を前にしても絶対的な笑顔を崩さない。についた客は誰であろうと湯水のように金を使い、それでいて満足そうに帰って行く。そして俺の元へ帰ってきたは電池が切れた玩具のように床にしゃがみこみ、目を閉じていることがほとんどだった。

 何かを叩くような軽い音が聞こえた。それはがマットを叩く音で、自分のすぐ隣のスペースを示しながら『ここに座って』と目で訴えている。俺は小さく溜息をつきながら仕方なくの隣へ腰を下ろした。は俺の肩にもたれかかり、まるで恋人同士かのように腕を絡ませてくる。重い香水のにおいが俺を包み込んだ。

「ねぇ、山井さん。私、欲しいバッグと靴があるんですけど」

「あ?小遣いならやってんだろ。自分で買え」

 突っぱねるように言うと、は口を尖らせながらこちらに顔を近付けた。

「もう。山井さんからプレゼントされたいって言ってるんですよ。相変わらず女心が分かんない人だなぁ」

 至近距離で目が合う。は俺の胸倉を掴むと、そのまま体重をかけて上にのしかかってきた。体は自然と後ろに倒れ、俺はに押し倒されるような体勢になる。仕事の後だと言うのにの化粧は崩れておらず、綺麗なままだった。

「おい。重いんだよ。どけ」

「女に向かって『重い』とか、ほんとひどい人」

 あっという間にの顔が近付いてきて口唇が重なった。ただでさえよれてはだけていたの服は胸元があらわになり、短いスカートから伸びる太ももが俺の体に密着する。俺から言わせればの服装は見ているだけで寒さを感じるほどだ。しかしここが常夏のハワイとあらば平均的な露出度なのだろうとも思う。

 ふと気が付くとの手が俺の下半身に伸びていた。スラックスのジッパーを降ろそうとしているのか、指先がいやらしくうごめく。頬には柔らかな髪の感触。耳元に熱く濡れた口唇が触れている。ストレスが溜まっているのか欲求不満なのかは知らないが、今日のはいつにも増して積極的すぎる。別に自分は『こういうこと』が目的でここへ来たわけではない。

「おい、やめろ、バカ野郎」

 そう口にしての行為を止めようとした時、小さな手のひらが俺の口元を覆った。かろうじて呼吸は出来るものの声を封じられる。はこちらを見下ろしながらいやらしく笑うと、自分で自分の口唇を舌で舐め取った。

「山井さんは黙って、私のこと抱いてればいいの」

 まるで石と石をぶつけ合わせて火花が散った時のような、そんな感覚がした。俺はの腕を掴み自分の上からその体を退かすと、体勢を入れ替えて今度は俺がの上に覆いかぶさった。自然とコートが脱げる。一瞬の出来事には理解が追い付かないようで、目を丸くして俺を見上げていた。

「その言葉、後悔すんじゃねえぞ、

 服を半ば無理矢理に脱がせ、血を感じないほど白く冷たい肌に触れる。体温の低いは俺にとって抱き心地が悪すぎる。それなのに何故か、に触れている時だけ俺は寒気を感じることがなかった。

 奥底にあったはずの欲情がこんなにも簡単に顔を出し、あっという間に溢れ出しそうに大きくなっていくのが分かる。耐えきれなくなり下半身に手を伸ばして柔らかな太ももに触れると、は「そうこなくっちゃ」と言って無邪気に笑った。ああ今夜も俺は、いや、今夜どころかこのまま一生、この女には勝てないのだろう。


‎(2024‎.2.12)‎