浪漫的深夜
「さん、来てますよ」
いつも通り客が一人もいない閉店間際のシャルル店内。カウンターに立つ従業員が俺の顔を見るなりに言う。その顔は歯を見せニヤニヤとだらしなく笑っており、ひどく癇に障る。俺は苛立ちを隠す気も起きずにそいつを睨みながら軽く舌打ちをした。
「今日はもう上がれ。後は俺がやっとく」
従業員は俺の態度をものともせず、ニヤニヤ顔のまま「おつかれっした」と挨拶をした。そのまま店の外に続く出入口に向かう途中のそいつの顔を盗み見たが、最終的には歯どころか歯茎まで見えそうな笑顔でより一層腹が立つ。
誰も居なくなった店内にゲーム機体の音だけが響き渡る。シャルルはいつも閑散としているため“人が居ない店内”というのは見慣れていた。どうせもう客は来ないだろうと思い、電灯も機体の電源も落とすことなく、俺は控室の扉を開けた。それとほぼ同時に、良く知った顔の女が細い脚をソファに投げ出して寝転がっている姿が嫌でも目に入る。ソファはお世辞にも大きな物とは言えないため、寝転がるというより無理矢理に体をねじ込んでいる、とでも言う方が正しいかもしれない。
「おい、」
女の名を呼ぶ。しかしは小さく身じろぎをするだけで、起き上がるどころか返事すらしなかった。短すぎるスカートから覗く太ももが蛍光灯の光を反射していて、ひどく眩しいうえに目のやり場に困る。このあられもない姿を他の従業員も見たのだろう。なんだか胸の奥のほうからモヤモヤした不快な感情が湧き上がってくるのが分かった。
「ったく……。俺以外の奴だって見る可能性があるんだから少しは気を遣えよ」
“俺以外の奴にそんな姿を見せるな”という本音を隠し、遠回しに言ってみたが、相変わらずからは返事どころか何の反応もない。俺は舌打ちをし、の肩を掴んで半ば無理矢理に上半身を起こすと、空いたスペースに腰を下ろした。は力なく俺の肩に寄りかかる。
「酒くせぇな……。どんだけ飲んでんだ」
「……そんなに飲んでないよ、今日は」
独り言のつもりだった呟きに返事が返ってきて少しだけ驚く。起きてんじゃねぇか、と思いつつもそれを口には出さなかった。はいつも無茶な酒の飲み方をして、完全に出来上がった状態でシャルルに来る。そしていつも俺に甘え、俺はを叱ったり諭したりしつつも、拒否できずにいつも受け入れてしまっていた。
『そんなに飲んでない』、と言う割にはかなり体が熱い。寄りかかられている部分から、これでもかという熱さが伝わって来て落ち着かない気分になる。
「今日こそは泊めねぇからな。俺ん家はホテルじゃねぇ。ネカフェでもどこでも行けよ」
動揺を表に出さぬように努めながら言う。すると俺の手の上にが手を重ね、弱く握った。当然ながら手のひらも熱く、触れ合った部分から溶けてしまうのではないかと思う程だ。は一度座り直すように体を動かすと俺の方へ密着してくる。
「そんな冷たいこと言わないでよ。徹が泊めてくれなきゃ、知らない男の人についてっちゃうんだから」
囁くような小さく擦れた声が耳に響く。まるで伝染するかのように自分の体も熱を持っていくのが分かった。俺はを睨むように見ると、も寄りかかっていた顔を上げてこちらを見る。至近距離で目が合い、視線がいやらしく絡み合った。
「……嘘だよ。徹じゃなきゃ、わたし、嫌だ」
気が付けば俺の手はの耳の辺りに伸びていた。両手で小さな顔を包み、顎を持ち上げて口唇を塞ぐ。もそれに応えるように俺の背中へ手を回した。体が密着し、キスが深くなる。
この女はいつだってそうだ。いつだって俺の理性をなくさせる。俺はこいつの前で冷静で居ようとしても、それはいつだってかなわない。『今日こそは泊めない』だとか『ネカフェでもどこでも行け』だとか、本当は何一つ心にも思っていない。俺以外の男の所になんか行かせない。毎晩俺の隣で眠って、毎朝俺の隣で目覚めて欲しい。そう思うのに、そんな口説き文句は俺の口から一つも出てこない。
口唇が少しずつ動きを止め、お互いを見つめ合う。甘い香りと酒のにおいが混ざり合い視界が歪むような感覚がした。はいやらしく誘うような目つきで俺を見つめながら頬に手を這わす。
「こういうことしたかったから、さっきのスタッフさん、先に帰したの?」
はそう囁いてニヤリと笑う。その表情は俺をからかっているように見えて、なんだか悔しくなった。
「うるせぇ、……悪いか」
どう言い訳をしても通用しないと思い、開き直って言う。口ではコイツには敵わないと、俺は行動で反撃に出ることにした。の服の裾から手を差し込み、柔らかい肌に触れる。そこも例外なく熱く、それでいてひどく滑らかだった。
「ん、」
何かしらの言葉を発しようとしたの口をもう一度塞いだ。もっと深いキスをして、もっと深い所までまさぐる。二人で寝転ぶには狭すぎるソファにお互いの体を押し込んで、みっともなくどろどろに溶け合うのも良いだろう。
「好きだよ、徹」
口唇と口唇の合間から吐息交じりにが言った。
はいつでも、俺のぶんまでとでもいうように、何度も俺に愛の言葉を聞かせた。繋がる口唇から俺の気持ちが伝わっていれば良いなんてそんなロマンチックなことを考えていることがばれたらどんな顔をするんだろうか。可愛いところあるじゃん、なんて言って笑ってくれるだろうか。が笑ってくれるなら、自分らしくない自分に酔うのも、たまには良いのかもしれない、なんてことを考える。
夜はまだ長いはずなのに、きっと朝が来るのはあっという間なんだろう。何度キスをしても、何度混ざり合っても、何度溶け合っても、まだまだ足りないくらいに。
(2022.11.27)