綺麗に泣いたことあったかな?
はすぐに泣く。それがどのくらい“すぐ”なのかと言うと本当に文字通り“すぐ”だ。映画やドラマで泣くことはしょっちゅうだし、下手すればテレビや動画サイトで流れるCMで泣いたりもする。恐らくこいつの涙腺は薄っぺらく脆い紙か何かで出来ているんだろう。
この日もは「一緒に見たい映画があるんです」と言って俺の元を尋ねて来た。その映画は案の定の好きそうなタイプの物で、冒頭のシーンで目を潤ませているにやれやれと溜息をつきたくなる。
そういえば俺たちが初めて会った時もは涙を流していた。誰も居ない深夜の公園のベンチに座っていたは、何処か遠くの方の一点だけを見つめて涙を流していた。表情は乱れておらず、その涙が怒りなのか悔しさなのかそれともストレートに悲しさからくるものなのかが分からず、思わず声をかけた。そもそも深夜の公園に若い女がひとりで泣いているなど放って置けるはずがなかった。例えば何か事件に巻き込まれたのであれば見過ごすわけにはいかない。
しかし俺の心配は全く持って無意味だった。聞けば、が泣いていた理由は親友が地方に引っ越してしまうため空港まで見送りに行った帰り、様々な想い出が蘇ってきて涙が止まらず、近くにあった公園で少し休もうとしていたらこんな時間になっていた、ということだった。想像に想像を重ねて要らぬ心配をしてしまった自分が滑稽で、その時のことを思い出すと少し笑える。
気が付けば映画は中盤に差し掛かっているようだった。と一緒に居る時はどうでもいいようなふとしたきっかけで涙するが、一体いつ泣き出すのかが気になって仕方がなくなる。そしてが泣けばこいつが泣いた昔の出来事を色々と思い出してしまい、いつだって落ち着かない気分になる。画面上では誰が見ても美人だと評価しそうな顔の女優が大きな瞳から涙をこぼしていた。
ふと隣を見ると、案の定はこれでもかという程に泣いていた。女優とは違う、一筋どころでは済まない涙の筋をいくつも頬に作っている。すんすんと鼻を鳴らしながら何度も頬を拭う様子はまるで子供のようにも見える。
俺は近くにあったボックスティッシュを手に取り、それをまるごとへ手渡した。は鼻が詰まったような情けない声で「ありがとうございます」と言うと、ティッシュを受け取り数枚引き出す。顔面を覆うようにして涙を拭いているを見た俺は、一時停止ボタンを押して映画を止めた。
「大丈夫かよ」
「いや、すみません。この映画やばいですね。めっちゃ泣ける……」
は使ったティッシュをゴミ箱に放り投げると、鼻をすすりながら言った。こっちはお前が気になって映画の内容なんかこれっぽっちも入ってこねぇよ、なんて思ったが口には出さない。
「お前はどの映画見ても大体泣いてんだろうが」
独り言のように言うと、は真っ赤な目と真っ赤な鼻をこちらに向けて、アハハ、と声に出して笑った。涙を流しながら笑うという、不可思議で見たことのない表情に胸がざわつく。
「確かにそうかも。わたし、東さんの前でみっともなく泣いてばっかりですね。せめてこの女優さんみたいに綺麗に泣けたら良いんだけどなぁ」
一時停止している画面には先ほどの女優の泣き顔が映し出されていた。長すぎるまつ毛から落ちる涙が白い頬に流れ行く途中のシーンで止まっている画面は、まるで絵画のような美しさがある。しかし俺は、その名も知らぬ美しい女優の涙にはぴくりとも心が動かなかった。綺麗に泣く女よりも、俺の隣で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いている女の方が余程良い。
「お前の泣き顔、俺は嫌いじゃねぇよ」
気が付けば無意識にその言葉を口にしていた。ハッと息を飲みながらの顔を見ると、大きく見開かれた濡れ切った瞳がこちらを見ている。先ほどの台詞には語弊があるかもしれないと言い訳の言葉を探すも、上手く口から出てこない。自分の中の焦りを誤魔化すように煙草を取り出し火を点けようとした。
「もしかして……東さんって、サディストだったんですか?」
の言葉に指に挟んでいた煙草を落としそうになる。
「何言ってんだ馬鹿か。違ぇよ」
「じゃあマゾ……?」
「てめぇ調子に乗ってんじゃねぇぞ!ほら!映画見ろ!」
の頭を真上から掴み、こちらに向いていた顔を無理矢理正面に向ける。そのまま有無を言わさずに再生ボタンを押し、映画を再開させた。すぐに画面に集中し始めたは先ほどのティッシュが無意味だったかのように再び大粒の涙を流している。その横顔を見ながら小さな溜息をついた。
嫌いじゃない、なんて言ったところで本当の気持ちがこいつに伝わるはずなどないということは分かっている。映画でもドラマでも親友でもなく次は俺のことで泣かせてやろうか、なんて考えたが、きっと自分には女を泣かせる度胸なんかないんだろうと思うと自嘲したくなってしまった。
(2022.6.10)