※『灰の街の腑抜けども』と同一主人公の前日譚
崩れた世界の酔客よ
名も知らぬRKメンバーから『今すぐ来て欲しい』という短いメッセージを受け取ったのは、仕事を終えて店を出た深夜のことだった。この相手がどうして私の連絡先を知っているのか疑問に思ったが、恐らくは緊急事態なのだろうと察する。私に呼び出しがかかるということは十中八九、大夢絡みに違いない。
小走りでいつものクラブに向かったが、ヒールだったため走りにくく何度も足をひねりそうになった。階段を下った所の入口に常駐するメンバーは私の顔を見るなり「待ってましたよ!さん!」とどこか安心したような顔を見せた。その瞬間に全てを察する。大夢の奴は相当面倒なことをやらかしたのだと。
「阿久津さん、えらく酔っぱらっちまって……。もう大変だったんスよ。今はだいぶ大人しくなりましたけど」
メンバーの一人が愚痴をこぼす。彼が案内してくれたのはクラブの奥まった場所にある広い部屋で、中に入ると大きめのソファの上に大夢が横になっていた。大きめのソファと言っても大夢にはとても狭そうに見える。
大夢はどうやら無茶な飲み方をしたようだった。周囲には酒の瓶が散乱しており、いくつかのテーブルはひっくり返ったり脚が折れてしまったりしている。酒に酔って暴れたのだろう。散々物に当たりまくって今は疲れて眠ってしまったという所か。
しかし、こうして酔っ払って手の付けられなくなった大夢を私にどうしろと言うのか。いくら付き合いが長いとは言え、こんな大きな体の男を女である私が制御出来るはずもない。疑問に思いながらメンバーの顔を見ると、彼は私の考えを察したのか申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「その……、阿久津さんが『を呼べ』ってずっと言ってたもんで……、すみません……」
文句の一つでも言ってやろうかと思っていたのに何も言えなくなってしまう。メンバーの男は頭をかきながら「じゃ、後は頼んます」と言いながらそそくさと部屋を出て行った。扉が閉まる音をしっかりと確認してから、大夢が横になっているソファへ近付く。
大夢は目を閉じ、小さく呼吸していた。とりあえずこのままでは風邪をひいてしまうと思い、体に被せる物はないだろうかと周囲を見渡して見るものの何も見当たらない。大きく溜息をついてから再び大夢の顔を見た。ソファのたもとにひざまずき、顔を近付ける。
メンバーが言った「阿久津さんが『を呼べ』ってずっと言ってたもんで……」という言葉を頭の中で繰り返した。神室町にはRKの息がかかったキャバクラがいくつかあり、一緒にお酒を飲んでくれたりおしゃべりしてくれたり、大夢を楽しませてくれる女性などいくらでもいるだろう。それなのに大夢が『を呼べ』と言ってくれたことが心の底から嬉しかった。もしかしたら気を遣わなくて良い相手が良かったのかもしれないし、欲を吐きたかっただけかもしれない。それでも大夢に『指名』をされたのだと思うと自然と口角が上がってしまう。
時折動く口唇に目線が吸われる。私と大夢はいつから一緒に居るのか分からないくらいの腐れ縁で、体の関係はあっても恋人ではないしキスもしたことはない。というよりも大夢は私とのキスを避けているような気がする。大夢が眠っている今ならキスが出来るかもしれない。なんてことを考えるも、無防備な相手にそんなことはするべきではないと思い直す。
その時、大夢の目が微かに動き目を開いて私を見た。目を覚ますついでに酔いも醒めていてくれれば良いと思うが、ぼんやりと私を見つめる様子を見る限りそうはいかないようだった。
「飲みすぎだよ、大夢。またテーブル壊したでしょ」
その言葉と同時に大夢はソファから体を起こし、座り直す。頭を抱えるようにしながら髪をぐしゃりと掴み、睨むような目でこちらを見た。
「ちょっと、聞いてる?とりあえずお水でも飲んで……」
酔いを醒ましてよ、と言葉を続けようとした瞬間、大夢に腕を取られ引っ張り上げられた。しゃがみこんでいた私の体は一瞬だけ宙に浮いたようになり、そのままソファに座る大夢の膝の上に乗る。股を大きく開き大夢の脚に乗り上げたその姿はひどくみっともないように思え、短いスカートから下着が見えそうだった。
驚き何も言えないでいると、大夢はそのまま背に腕を回して私を抱き締めた。首元に顔を埋め深く呼吸をしている。口唇の感触と肌に当たる息に心臓がうるさく鳴った。大夢の香水のにおいと強いお酒のにおいが混ざり合い、めまいがする。
「よぉ……、お前って奴は、本当に……」
大夢はうわごとのようにぽつりぽつりと呟き始める。耳元で囁かれ気が遠くなりつつも、続く言葉は『使えない女』だとか『つまらない女』だとか、そのあたりだろうと考えた。
「本当に、可愛いな、お前は」
大夢の言葉は私の予想とは大きく違っていた。可愛い?初めて言われたその単語がまるで違う国の言語のようにすら思えてしまう。大夢は首元に埋めていた顔を上げて私と目を合わせる。こんな至近距離で見つめ合ったのは初めてかもしれない。表情を見る限り大夢はまだひどく酔っているように思えた。
今なんて言ったの?と問い掛けようとした瞬間、私を押さえ込むかのように大夢は私のこめかみに口唇を落とした。その次は額、頬、顎、首、鎖骨、と段々と口唇が下に降りていく。それでもやはり口唇にキスはしてくれなかった。
背中にあるドレスのファスナーがゆっくりと下ろされ、大夢の大きく熱い手が肌に直接触れる。今までにこうして触られたことなんて数えきれないくらいに何度もあった。それなのに何故だろう。まるで初めて経験した時のような気持ちになる。大夢に処女を捧げた当時の記憶が蘇った。
気が付けばドレスは脱がされていた。眩しすぎる照明の下では何一つ誤魔化しがきかない。私と大夢の関係を考えればいまさら恥ずかしいなどという感情などはないはずだった。それなのにどうしてか顔が熱くなってくる。
「、……なぁ、」
低い声が私の名を何度も呼ぶ。応えようと口唇を開くも言葉が出なかった。何かを言おうとしても、好きだとか、ずっと一緒に居たいだとか、私を大夢の女にして欲しいだとか、とても口に出来ないことばかりが浮かんでくる。そんな自分を戒めるようにただ下口唇を噛み締めることしか私には出来なかった。
そのあとの行為はいつもと同じだった。大夢はやることを済ませたらすぐに眠ってしまい、私はひたすらにその寝顔を眺めた。大夢一人でも狭そうに見えたソファは二人で眠るには小さすぎて、少しでも体勢を変えたら転がり落ちてしまいそうだ。私は大夢の体にしがみ付くようにしながら目を閉じた。
大夢が口にした『可愛いな、お前は』という言葉を思い出す。きっとあれは酔った勢いからくる冗談の一種なんだろう。私を良い気分にさせて、さっさと欲を吐きだして眠ってしまいたかったんだろう。それで良かった。大夢にとって私はいわゆる都合の良い女。それでも彼の役に立てるならそれで良い。大夢の傍に居られるなら何でも良かった。
ただ、私の肌に優しく触れた手のひらの感触だけは忘れられそうになかった。まるで私たちが初めて抱き合って眠った時のような、まるで壊れやすい何かに優しく触れるような、そんな感触。大夢の甘い言葉も優しい手も、今日のことは全て私の胸の奥に秘めておくことにした。
「……好きだよ、大夢」
無防備な寝顔に呟いてみる。これは独り言だ。深い眠りについている彼には、この言葉も私の想いも届くことはないのだろう。
(2023.11.16)