濡るる顔に這わせれば

 女性の泣き顔は苦手だ。というかむしろ好きなやつが居たとしたら、そいつはただの変態かサイコパスだと思う。しかし自分は最近、いやついさっきからその異常者になりかけているのかもしれないと感じていた。

 もうそろそろ今日はお終いにしようかと思い休もうとしていた矢先にちゃんはやってきて、いつも俺がベッド代わりにしているソファに座り込み、泣き出した。

 俺の知らない男に振られたのだと話した彼女は、相談をするわけでも愚痴をこぼすでもなく、ただ顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。泣き顔をしばらく見ていたらなんとなく胸がざわついた。心臓が早くなったわけでも高揚したわけでもない。ただ胸の奥に違和感があって、言葉に言い表すのは難しいと感じた。

「あー……、ごめん、ちゃん、その……、言いにくいんだけどさ……」

 もう事務所閉めるから出て行ってくんない?なんて言えるはずなかった。相変わらずちゃんは泣き続け、目からこぼれた涙がぽたぽたと膝の上に落ちて行くのが見える。どこかに綺麗な布かティッシュはなかっただろうかと室内を見渡してみるものの、すぐには見当たらない。

 俺はちゃんの隣のスペースに腰を下ろし、うつむき気味の顔を覗き込んだ。

「ったく……、ほら、もう泣くなって」

 頬に手を伸ばし手のひらで無理矢理に顔を拭う。しかし拭っても拭っても涙は止まりそうになく、ちゃんの目は潤み、その色はずっと歪んだままだった。

「あの男、ずっと三股かけてたんです。信じられます?しかも私は三番目だって、そう言ったんですよ。もう最悪、最低、男なんか信じない」

 その涙声を聞いた瞬間に俺は、先ほどちゃんの泣き顔を見た時の胸の奥の違和感の正体にやっと気が付いた。これは嫉妬だ。本当は口に出して、俺以外の男のことで泣くなよと、俺のことだけで泣いとけよと言ってしまいたい。声に出してしまいたい。

 俺は彼女にとって何なのだろう。「男なんか信じない」と言ったちゃんに好きだと言ったら、一体どんな顔をするんだろうか。笑うだろうか。それとも今のように泣くだろうか。もしかしたら彼女なら“八神さんは特別なので”なんて言って受け入れてくれないだろうか、などと、ありもしない想像をした俺は、本当に頭のおかしい異常者に成り下がってしまったのかもしれない。

 ちゃんに手を伸ばし触れると、そのまま自分の方へ引き寄せて、涙に濡れた頬に口唇を落とした。俺は今日生まれて初めて、好きな女の子の泣き顔に欲情した。

「早く泣きやんで。じゃないと何するか分かんないよ、俺」

 その言葉を口にしたことに後悔はないはずなのに、何故か俺は彼女の顔が見れなかった。見れるはずなんかない。直視してしまったらもうきっと、止められないから。


‎(2021‎.‎10‎.‎22‎‎‎)‎