敵わないよ!名探偵!

 ター坊と知り合ったのは何年前のことだったか。そんなことはとうに忘れてしまった。ター坊にとって私は生意気で面倒臭くて頭の悪い年の離れた妹ぐらいの存在なのだろうと思う。ター坊は私の好きなお菓子や好きなおかず、好きな色や好きな花、好きな芸能人や好きな異性のタイプまで知っている。それなのに、私の想い人を知らない。私のことなどなんだって見透かしているような目をしておいて、ター坊を想っているこの気持ちだけは見抜いてくれない。

「あ、。いいとこに来た」

 ある日、事務所に顔を出した私を見るなり、ター坊はそう言った。急いでいる様子でいつもの事務椅子から立ち上がり、足早に出入口のドアに手を掛ける。

「タバコ切らしたから買って来る。悪いけど留守番しといて」

 ター坊は私の返事を待たずに部屋から出て行った。誰もいなくなった自分一人だけの空間で思わず「留守番?」と独り言ちる。この八神探偵事務所には本当にごくたまに依頼がくる程度で、仕事のほとんどは源田法律事務所からのおこぼれだということを私は知っている。留守番なんて必要だとは思えなかったが、ター坊なりの見栄なのだろう。仕方がないから付き合ってあげるか、と思いながらソファに腰を下ろす。年季の入ったクッション部分は弾力がほとんどなく、心許なかった。

 スマホの画面に流れるニュースを見ながらほんの数分の時を過ごしていると、ター坊が戻ってきた。片手にはPOPPOのロゴが入ったビニール袋をぶら下げており、煙草のついでに何か飲み物でも買ってきたのだろうかと予想する。

「ただいま。留守番ありがとな」

 もしかしてター坊は『留守番』という単語を使いたいだけなのではないかと思ってしまう。それを指摘するのはちょっと可哀想に感じたため黙っていると、ター坊は持っていたビニール袋に手を突っ込み、何かを取り出してこちらに差し出す。私が頻繁に食べているフルーツの果汁が入ったグミの袋だった。

、これ好きだろ?なんかPOPPO限定のやつなんだってさ」

 パッケージには『POPPO限定 あまおう苺』という文字が大きく表示されている。小さな水滴をまとった苺のイラストはとても瑞々しく、美味しそうに見えた。

「あ!これ食べたいと思ってたやつ!ありがとう!」

 思わず大きな声が出てしまい、勝手に口角が上がっていくのが分かった。グミの袋を両手で受け取ると、ター坊はどこか満足そうにフ、と鼻を鳴らした。自分の行動があまりにも子供っぽく思えてしまい、後悔する。

 ター坊は大人だ。一日に何本も煙草を吸うし、ブラックコーヒーだってたくさん飲む。様々な経験を経て、私のような人間には想像がつかないくらいに濃い人生を生きて来たんだろう。そんなター坊は私の好きなお菓子をこうして買ってきてくれる。私が『フルーツの果汁が入ったグミ』が好きだということも、苺に目がないということも、全て知ってくれている。

「ター坊って、私のことなーんでも知ってるよね……」

 なんとなく口にした言葉に、ター坊がこちらを見る。ビニール袋を事務机に置き、中から当初の目的であった煙草を取り出している所だった。

「んー……、まぁ、は分かりやすいし」

 ター坊は煙草を一本取り出し、流れるような動きで火を点ける。口唇に挟み込まれたそれをスゥと一吸いすると、白い煙を吐き出した。私は煙草を吸わないため分からないが、喫煙者という生き物は一分一秒でも煙草を吸っていないと死んでしまうのではないかと思う時がある。

 『は分かりやすい』という言葉が耳の奥にしがみ付いて、いつまでも振り落とされてくれない。私は半ばやけくそに口を動かした。

「じゃあ、私の好きなデザートは何だか知ってる?」

「プリンだろ?硬めのやつ」

「お、正解。じゃあ私の好きなおかずは?」

「ハンバーグ。一緒にファミレス行くと絶対頼むじゃん。特に好きなのは和風おろし」

「すご。よく覚えてるね。じゃあ私の好きな色は?」

「パステルカラー。そういう色の服、良く着てるよな」

 立て続けにしたどうでもいい質問にも、ター坊はスラスラと答えていく。本当に私のことをなんでも知っているんだなと思うととても嬉しかった。それと同時に何とも言えない気持ちにもなってくる。

「じゃあ……」

 座っていたソファから音もなく立ち上がった。狭い事務所内では数歩進むだけで事務机のすぐ近くまで行ける。足の裏を床に擦り付けるようにしながら、ゆっくりとター坊に近付いた。

「私が好きな人は、誰だか知ってる?」

 少しだけ首を傾げた上目遣い。こんな問い方は自分でも本当にうざったいと思う。かわい子ぶったところで何の意味もないと分かっているのに。ター坊は少しだけ目を丸くした後、私のほうを見ていた目を外側にそらした。人差し指と中指で煙草を挟んだまま、親指でこめかみのあたりを掻く。

「……俺だろ?」

 あまりにも予想外すぎる返答だった。思わず「え」と一文字だけの声をもらし、一歩後ずさる。気を抜けば膝が折れ、その場にしゃがみ込んでしまいそうだった。

「え……、待っ……、ちょっと、待って。なんで知って……?」

「なんだよ、訊いて来たのそっちだろ。なんでそんな驚くんだよ」

 ター坊は機嫌悪そうに眉間に深い皺を刻む。先ほどと同じように煙草を一吸いすると、口唇の隙間からふわふわと白い煙をこぼした。フゥと大きく吐き出さないのは目の前に居る私を気遣ってのことなんだろう。

 まさか自分の気持ちが本人に知られているとは思わず、何を言えば良いのかが分からない。そもそもあまりの驚きから声が出そうになかった。喉の奥に栓でもされてしまったかのように、声どころか呼吸すらもままならない。

 そんな私の様子に気付いたのだろうター坊は、指に挟んでいた煙草を机にある灰皿の上にそっと置いた。火は点いているため煙だけがただ真っすぐに立ち昇っている。

「なに。俺が知らないとでも思ったわけ?へぇー、舐められたもんだなぁ」

 ター坊はいつものようにフ、と鼻を鳴らし、片方の口角だけを上げて軽く笑った。腹が立つ顔だ。無駄に男前なのが余計に腹が立つ。煙草のにおいが残る指先がこちらに伸びて来た。

「顔、赤すぎ」

 低く囁かれた後、額を軽く小突かれる。思わず額どころか顔全体を手で覆った。手のひらから伝わる熱で、自分の顔がどれだけ赤いのかがなんとなく分かる。

 私は生意気で面倒臭くて頭が悪くて、それでいて浅はかだ。好きなお菓子や好きなおかず、好きな色や好きな花、好きな芸能人や好きな異性のタイプまでもター坊に把握され、それでいて私の本当の気持ちすらも知らないうちに把握されていた。一から十まで全て見透かされていたんだ。

 覆っている指の隙間からター坊の顔を見た。「この空気どうにかしてくんない?名探偵さん」と文句を言うと、「いや、探偵関係ないし」という反論と共に、この日で一番の腹の立つ笑顔が返ってくる。それを見た私は、ああこの人にはもう一生敵わないな、と、全てを投げ捨て両手を上げたくなってしまった。


‎(2024‎.4.14)‎