※夢主が暴力を振るう描写有り

私の鉄を舐めて溶かして

 最近、女の世界というものは総じて妬み嫉みにまみれた汚いものなのだなと感じることが多い。神室町に身を置くようになってから早数年。どの店で働いても「人の客を取るな」という言いがかりから始まり、しまいには「裏しないと客取れないくせに」などと根も葉もない暴言を吐かれる。もううんざりだ。そう思っても私はこの仕事が好きだし、もう昼職には戻る気もない。

 これは私が客の前以外では愛想がないとか、一般的な女のように周りに合わせたり空気を読んだり馴れ合いをしたりするのが苦手というせいもあるのだろう。ある程度自覚はある。しかし表では無害そうなニコニコ顔を振りまき、裏では平気で人を攻撃、もしくは反対に無視をするような人間と同じにはなりたくなかった。

「この泥棒猫!」

 まるで古い漫画かドラマあたりから引っ張ってきたような台詞を吐かれ平手打ちされた。深夜の誰も居ない公園に乾いた音が響き渡り、自身の頬がじわじわと痛み出してくる。私を殴った相手は店の先輩で、彼女は私に客を取られたと勘違いしているようだった。別に理由なんかどうでもいいし、先輩が勘違いしていることなんかもっとどうでもいい。この頭の悪い女が商売道具である私の顔に平手打ちしたことが、ただひたすらに頭にきた。

 私は先輩の胸倉を掴み引き寄せると、その白く綺麗な頬に平手打ちを返した。先ほどよりも大きな音が公園に響き渡り、先輩は衝撃でよろめいてその場に尻もちをつく。怯えた表情でこちらを見上げてくるその瞳には涙がたまっており苛立ちが増した。殴り返される覚悟もないくせに攻撃をしてくるなんて愚か者のすることだ。

「先輩。今日は平手で勘弁してやるけど、次は拳だから」

 私が右手で軽く拳を作ると、先輩はみっともなく涙を流しながら立ち上がり、その場から逃げるように去った。自分以外に誰も居なくなった公園は不気味なほど静かで、殴られた頬と殴った手のひらの痛みをより一層強く感じる。

 近くにあったベンチに腰を下ろし、置いていたバッグから手鏡を取り出して自分の顔を見た。先ほど平手打ちされた場所は腫れてこそいないもののかなり赤くなっている。明日も仕事があるためそれまでに症状が悪化しなければ良いがと考えていると、自分の口の中に鉄の味が広がったことに気が付いた。どうやらうっかり口の中を切ってしまったらしく、舌打ちをしたくなる気持ちをおさえ小さくため息をついた。

 その時、公園の出入り口に人影があることに気が付く。先輩が仕返しでもきたのかと思い睨みつけるようにそちらを見たが、立っていたのは先輩ではなく、海藤さんだった。

「こんな時間になにやってんだよ……、ちゃん」

 海藤さんは呆れたような声で言い、ベンチに座る私に近付くと隣に腰を下ろした。何故この人がこんな所に居るのだろうと思ったがそれをいちいち聞くのは億劫だ。彼の表情が、先ほどの光景を見てある程度の事情は分かっているということを物語っていた。

「女の喧嘩を盗み見なんて良い趣味してるじゃん、海藤さん」

 嫌味をたっぷり込めて言うと海藤さんは困ったような顔をして、大きな手で私の顎を掴んだ。こちらに顔を近付けてきたその行為に少し動揺したが、海藤さんは先ほど殴られた私の頬をまじまじと見てから「あーあ」と呆れたような声を出す。

ちゃん、ハンカチかなんか持ってねぇか?」

 そう口にした海藤さんに、私はバッグに手を突っ込みハンカチを取り出して彼に手渡す。

 私には海藤さんが頬の傷を気遣ってくれているのが良く分かった。案の定、海藤さんはおもむろにベンチから立ち上がり手渡したハンカチを公園の水飲み場で濡らし固く絞った後、戻ってきて私の頬に濡らしたハンカチを当て始めた。

 こんなこと自分で出来る。そう思ったが海藤さんの行為を止める気は起きず、ただ私の顎を掴む大きな手と、頬を撫でる太い指の動きに酔った。私はこの人の手が好きだ。顔を平手打ちされたことは頭に来ているし頬も口の中も痛い。それでもこの人に世話を焼かれると怒りも痛みも憤りも、全てが溶けて消えていくような気分になる。

「俺ぁ女の闘いに口を挟む気はねぇけどよ……お互いに手ぇ出すこたぁねぇだろ。口で解決しろよ口で」

 海藤さんが小さく愚痴のようにこぼすと、私は“口で解決しろなんて海藤さんに言われたくない”と感じた。それは心の中だけにとどめ口には出さず、ただじっと彼の顔だけを見つめる。頬の傷の様子を見ている海藤さんと私の目が合うことはない。

「万が一顔に傷でも作ったら嫁に行けなくなっちまうだろ。……つか口ん中切れてねぇか?」

 先ほどまで頬に触れていた海藤さんの指が私の口唇に軽く触れた。恐らくは私に口を開けさせて中の様子を確認したかったのだろうが、私は口を開かない。海藤さんが不思議そうな表情でこちらを見た時に目が合い、一瞬時が止まったような気がした。

「じゃあ海藤さんが貰って」

 無意識に口にしていた。海藤さんは私の言葉の意味が分からなかったのか、不思議そうな表情を崩さないまま「あ?」と間抜けな声を出す。

「私をお嫁さんにして、海藤さんの」

 それだけを言うと、私は海藤さんの首に腕を回し抱き着いた。耳元に口唇を寄せると煙草の残り香が鼻をかすめ、心臓がどんどんと早くなるのが分かる。ずっとこうしていたい。そう思っていたのに海藤さんの大きな手が私の腰の辺りに回り、無理矢理に引きはがされた。

 目の前にあった海藤さんの顔は照れているような困っているようなひどく曖昧な顔で、胸の奥が狭くなる。

「そういうのは惚れてる男に取っとけ」

 その“惚れてる男”というのがあなたなんですが、と思ったが口には出さない。この人には“駆け引き”なんて通用しない。はっきりと愛の告白をするか、目の前で服を脱いで迫るか、愛情あふれた深いキスでもしないと分かってくれないんだろう。

 私は海藤さんの首元に手をかけ自分の方へ引き寄せると口唇を塞ぐ。先ほど切った口の中の傷から再び鉄の味が広がり、煙草の香りと混ざっていくのを感じた。その不快さが快感に変わり声が漏れそうになる。

 赤いままであろう頬も、口の中の傷も未だに痛む。それなのに恍惚とし心地良いのは全部彼のせいだ。海藤さんのせいだ。そう思うと痛みすらも愛おしくてたまらなかった。


‎(‎‎2021‎.‎10‎.17‎‎)‎