※女攻め要素有り

スリラ

 神室町という街は甘い誘惑が多すぎる。美味しいご飯は食べ過ぎれば太るし、美味しいお酒は飲み過ぎると酔っぱらって記憶をなくす。そんなこと分かり切っているのにやめられないのは何故なんだろう。

 今日は文字通り浴びるほどの酒を飲んだが、私はそこまで酔わなかった。それこそまぁ、ちょっと足元がふらつく程度だ。しかし久しぶりに遊び歩いて調子に乗り油断をしていたせいか、気付かぬうちに路上で財布をすられた。三軒目にテンダーという名の小さなバーに寄った際、その時にやっと財布がなくなっていることに気付き、もう笑うしかなかった。段々と酔いが回ってきた頭でさてどうしようかと考えるも、上手くまとまらない。

「おい。大丈夫かよ、あんた」

 カウンターの上に零れた酒のようにだらりとうなだれていると、誰かに声をかけられた。顔を上げると体の大きな男性が腰を折り、私の顔を覗き込むようにして見ている。派手な柄のシャツが目に眩しい。思わず「誰だこの人」と口にしそうになった。

 男性は大きく硬い手で、さりげなく私の背中へ触れる。いつもであれば「セクハラだ!」なんて叫びながら指でも突き付けてやる所ではあるが、そのあたたかい手はあまりにも心地良かった。

「お兄さん、だれ」

「おいおい。俺はお兄さんなんて歳じゃねぇよ」

 お兄さん、もといその男性は照れくさそうにはにかんだ。はっきり言ってしまえばお兄さんだろうとおじさんだろうとゴリラだろうと私にとってはどうでもいい。今の私には財布を盗られたということと、じんわりと忍び寄る酔いと、男性の容姿がどう見ても私の好みだということの方が余程問題だ。

 いま目の前にある太い首に顔を近付けたらどんなにおいがするのだろうと想像するだけで胸が高鳴る。はっきり言おう。私はいま、この男性にこれでもかという程に欲情した。

「ねぇ、私飲み過ぎていまガチで吐きそうなんだけど。ここで吐いたらお兄さんは引く?」

「いや、別に引きはしねぇけどよ……、吐くならせめて便所で吐け。ほら、連れてってやるから」

 背中に乗っていた大きな手が私の腰に移動する。体を支えられながらトイレに入り、彼が後ろ手で扉を閉めた時に、かかったな!と確信した。

「やーい、引っ掛かった引っ掛かった!吐きそうなんて嘘だよ!」

「あ!?」

 男性は戸惑っているような様子で表情を歪めながら声を上げる。私は男性の首に手を回し、抱き着くように身を寄せた。鼻をかすめるにおいは想像通りで、煙草と体臭が混ざった香りを魅惑的に思う。

「お兄さん、名前なんて言うの?教えて」

「おい、放せって。大体なぁ、人に名前を聞く時は自分から名乗るもんだろ」

「いいじゃん、教えてよ、ねぇ」

 余裕のある態度に少しだけいらついて、私は男性の胸倉を掴んだ。引き寄せるようにしながら襟元をはだけさせると、太い鎖骨に口唇を落とす。

「……海藤だよ」

 カイトウ。彼の名を頭の中で繰り返しながら、カイトウとはどういう漢字で書くのだろうと考える。海藤?それとも皆藤だろうか?そんな風に考えながらさりげなく下半身に手を伸ばし太ももに触れると、海藤さんは少しだけ慌てた様子で「おいどこ触ってんだ!」と声を上げた。

 ……とは言え、ここは小さなバーのトイレだ。こんな所で事に及んでは出入り禁止にされる可能性がある。そもそもこの体の大きな海藤さんがこんな狭い場所であれこれするなど不可能だろう。

「ねぇ、もっと広いとこ行こ。そしたら私の名前教えてあげる」

 海藤さんは私の顔を怪訝そうな目で見つめた。その表情もたまらないな、なんて思いながらも、この筋肉の塊みたいな彼はいつになったら私の手を振り払うのだろうと考える。

 自分好みの良い男が目の前に居て襲わずにいられるか。一夜を共にした翌朝にホテルのベッドで頭を抱え後悔することは分かり切っている。それでも止められない。止められるはずなんかない。ああ、神室町という街は本当に本当に、甘い誘惑が多すぎる!


‎(‎2022‎.‎3‎.‎12‎‎‎)‎