恋せよ乙女
何日ほど前なのかという詳細なことは忘れてしまったが、ほんの少し前、俺は女子高生を助けた。短いスカートから白く細い脚を覗かせて神室町の裏路地を闊歩していれば、変な奴に絡まれるのは火を見るよりも明らかだ。男の集団に囲まれていた女子高生は、困り果てたような顔で眉を八の字にしていた。
予想するに、女子高生は悪い大人どもに“そういうビジネス”をやらないかと誘われていたんだろう。なんだか見ていられなくなり、俺はその子に手を差し伸べた。何と声をかけたのかとか、何と言って男どもを蹴散らしたのかとか、何もかも記憶に残っていないし覚えている必要もないだろうからどうでも良かった。
このことをきっかけに、どうやら俺はその女子高生に懐かれたらしかった。どこで調べたのか俺たちのヤサである事務所前で待ち伏せされることはしょっちゅうだし、源田事務所の前に居た時もある。女子高生は自身をと名乗り、俺の顔を見るたびに一緒に遊びに行きましょうだとか、ご飯に行きましょうだとか言って来た。
いつだったかちゃんに「俺ぁ援助交際をするつもりはねぇ」と言うと、ポカンとした顔で「援助交際って何ですか」と言われた。現役女子高生がトボけやがってと思ったが、後にそのことをター坊に話すと「海藤さんは知らないかもしれないけど今は援助交際じゃなくて“パパ活”って言うんだよ」となぐさめるように言われて若干腹が立った。
援助交際だろうとパパ活だろうとどっちでもいい。ちゃんはどうやら本気で俺に惚れているらしかった。しかし相手は現役女子高生。本人は自分を大人だと思っているのだろうが、俺から見ればまだまだ子供。そんな子供の言う「好き」なんて半分が幻想だったりする。学校の先生やバイト先の先輩など、年上の男に惹かれるのはある意味“恒例行事”みたいなもんだろう。
俺を待ち伏せては「好きです」だとか「付き合ってください」だと言うちゃんをいなす日々が続いていたある日、事務所に行くといつものようにちゃんが俺を待っていた。両扉のガラス戸からビルの中に入った階段の踊り場で、膝を抱えるようにしゃがみこんでいる。その座り方だとどう考えてもパンツが見えるだろうと思ったが、何も言わなかった。
ちゃんは俺の顔を見るなりパッと顔を明るくして、こちらに近付いてきた。この子が口にする言葉は大体予想出来る。「おかえりなさい」とか「おつかれさまです」とかだろう。俺はその言葉を遮るように、眉間に皺を寄せてちゃんを見下ろした。
「ちゃんよ、もう神室町には来んなって言ったろ。女子高生が制服でウロついて良い街じゃねぇんだから」
そう言うと、ちゃんは寂しそうな表情で目を伏せた。悲しいと感じているのか、申し訳ないと思っているのかは分からない。黙り込み、小さな手で自分のスカートを握りしめている。そこから伸びる脚に視線を吸われた。天気や季節に関係なく短いスカート。だらしなくくるぶしまで下げた靴下。昔はルーズソックスとか言う良く分からない靴下が流行っていたのに、まったく女子高生の好きになる物は理解が出来ない。
「海藤さんは、どうすれば私のこと好きになってくれますか。どうすれば私と付き合ってくれますか」
俺のどうでも良い思考をちゃんの声が引き裂く。ちゃんの脚から目線を上げると、悲しそうな顔が視界に飛び込んできた。
正直なことを言えば、女に好きだと言われて悪い気なんてしない。しかし相手はまだ子供だ。例えば俺がちゃんにとって初恋だったとしても、それはいつしか“良い想い出”に変わるだろう。それこそあっという間に。
「ちゃん、いまいくつだ?」
俺の急な問いに、ちゃんは戸惑ったように眉間の皺を深くした。
「十七、ですけど……?」
「じゃあ最低でも八年後……、いや、十年後だな」
「じゅ、十年!?長っ!」
ちゃんはただでさえ大きな目を更に大きくして驚いていた。きっと自分が十八歳、もしくは成人でもすれば相手にしてもらえると思っていたんだろう。法律上はそれで間違っていない。しかし俺にとってはその数字の奥にある“人生”の方に意味があった。法律上の数字よりも、その数字をどう過ごし、どう歳を重ねていくかの方が余程重要だ。
俺はちゃんの頭の上に手を置いた。そしてこれ以上ないくらいに優しく、ゆっくりとそこを撫で、軽く叩く。
「高校出て大学行って社会人になって、数えきれないくらい色んな男と恋愛して、驚くぐらいのイイ女になってみな。そしたら、そん時は相手してやるよ」
ちゃんの瞳の表面がじわじわ滲み出したのが分かる。そしてすぐに涙をこぼしはじめた。目を縁取っている化粧が落ちたのか、涙にほんの少しの色が混ざっている。
「おい、泣くんじゃねぇよ。せっかくのべっぴんが台無しだ」
小さな頬を手で包んで涙をぬぐってやると、ちゃんはすんすんと鼻を鳴らした。その様子はそれこそ本当に幼い子供のように思えて自然と口角が上がる。ちゃんは涙に濡れたまつ毛を持ち上げ俺を見ると、「私、良い女になります」と言った。
ちゃんは、化粧は濃いが顔は整っているし、スタイルも良い。俺のような男に好きだと言って、一途に想ってくれる。きっとちゃんはイイ女になる。そんなことは分かり切っているようなもんだった。
例えばちゃんが、それこそ本当に数えきれないくらいの男と恋愛をして、色んな男と寝て、百戦錬磨の恋愛の達人になって、いつしか俺を好きだったということを忘れてしまったとしても、それでいい。女子高生が大人の女になるのはあっという間だ。きっと俺のこともあっという間に忘れてしまうだろう。そう考えたらほんの少しだけ、寂しさに似たような感情が俺の心を横切った。でもきっとそれは気のせいなんだろう。
(2022.3.16)