盗んだのは君の心、なんてね

 依頼人宅から九十九課へ戻る途中の電車の中で雨が降っていることに気が付いた。小さな水の粒が窓に張り付き、電車がスピードを上げるにつれてそれが少しずつ横に流れていく。今はまだ弱い雨のようだが、神内駅に着く頃には強くなっているという確信が私にはあった。何故なら今朝見た天気予報で『夕方から強い雨』という文言を聞いていたからだ。

 案の定、神内駅に着くとそれなりの大きさの雨粒が降り注いでおり、傘なしではとても九十九課に辿り着けそうにない。しかしそんな心配は無用だ。天気予報が当たるか当たらないかは関係なく、私はバッグに折りたたみ傘を入れていた。普段からありとあらゆる不測事態に備えているため抜かりはない。私は九十九課のある南口方面に向かいつつ、バッグから折り畳み傘を取り出そうとした。

「……あれ?」

 思わず間の抜けた独り言が口から出た。ない。九十九課を出る前に持ち物を確認した時には確かにあった折り畳み傘が見当たらない。中身をひっくり返そうかと思ったが、元々持ち物が多くはない私のバッグはすかすかで、そこまでしなくとも折りたたみ傘が入っていないことは明白だった。

さん」

 ふと、前方から私の名を呼ぶ声が聞こえた。バッグを覗き込んでいた目線を上げると目の前に杉浦くんが立っていた。屋根がある駅構内ではなく、その外側で傘をさして立っている杉浦くんは、私と目を合わせるなり「おかえり」と言った。何故彼がここに居るのかが分からず何の返答もしないでいると、杉浦くんはフッと吹き出しながら、右手で小さく手招きをした。

「ほら、一緒に帰ろう。雨、ひどくなってきたから迎えに来たんだよ」

「え、ほんとに?ちょうど傘なかったんだ。助かるよ。ありがとう」

 このまま濡れて帰るか、どこかでビニール傘を買って自宅玄関を不要な傘で埋めるかしかないと思っていた私は、杉浦くんのありがたい言葉に飛びつくように駆け寄った。

 ふと彼の手元を見てから気が付く。杉浦くんは傘を一つしか持っておらず、私は思わず「あ」と小さく声を上げた。その声に反応した杉浦くんは何故か嬉しそうに微笑む。ああ、これは強制的に相合傘をしなくてはならないのだな、と思うと妙に緊張し出した。そもそも傘を忘れてしまった自分に非があるので何も文句は言えない。

 お互いの体を密着させ、二人で一つの傘を使って九十九課までの道を歩いた。雨のせいで足元はぐちゃぐちゃだし空気は冷たいし髪は広がるし肌はベタつくし良いことなんてない。思いがけず杉浦くんと相合傘で帰ることになったわけだが、これは良いことなのか悪いことなのかは良く分からない。九十九課までの道程がさっさと終わって欲しいような、まだ終わらずに居て欲しいような、何とも言えない気持ちになってくる。

さん、明日も外出だよね。どこだっけ?」

 急に問い掛けられる。私がどのような仕事をするのかは九十九課のスケジュールに記載してあるため、杉浦くんはそれを見たのだろう。今日は都内にある依頼人宅に行って聞き取り調査を行ったが、明日も同じ仕事内容になる予定だ。今回の依頼人には小さなお子さんが居るため、長時間家を空けられないとのことで基本的に私から出向くことになっていた。

「明日も都内だよ。依頼人のお家に行って聞き取り」

 返答すると、杉浦くんは「ふーん」と言いながら空を見上げた。それはなんだか興味のなさそうなそっけない返事に聞こえ、そちらから聞いてきたくせに、なんて考えてしまう。

さん知ってる?明日も夕方から雨なんだよ。天気予報で言ってた」

「えーほんと?やだなぁ。明日こそは折り畳み傘忘れないようにしないと……」

「ダメ」

 他愛もない会話の中で、私の独り言のような言葉を遮るように杉浦くんが強めの声を上げる。それに驚いて立ち止まった私に合わせて、杉浦くんも立ち止まった。思わず顔を見合わせる。何を言われたのかが良く分からなかった私は、酷く間抜けな顔をしていただろう。そのせいなのか杉浦くんは私と目を合わせるなりに目を細くして優しく笑った。

「傘は持ってかなくていいよ。明日も僕が迎えに行くから。相合傘して帰ろう?」

 杉浦くんはそう言って私の肩を抱くと、そのまま歩き始めた。立ち止まっていた私の体は強制的に引っ張られる形となり、杉浦くんと歩幅を合わせて歩き出す。ぱしゃぱしゃと水が跳ねる音と、自分の心臓の音を聞きながら、先ほどの言葉の意味を考える。そして今朝、九十九課を出る前に持ち物を確認した時には確かにあった折り畳み傘がバッグから消えていたことを思い出し、ハッと息を飲んだ。

「杉浦くん……」

 名を呼ぶと、杉浦くんは歩みを止めないまま私の方を見て、軽く首を傾げる。

「もしかして……なんだけど、今朝、私の折り畳み傘盗った?」

 ゆっくりと問いながら杉浦くんの横顔を見上げる。杉浦くんはほんの少し気まずそうな表情をしながらも、肩をすくめながら「さぁ、どうだろ」と言って笑う。その様子はどう考えても“やっている”ようにしか見えなかった。

 それにしても、私は折り畳み傘を盗られたことにまったく気づかなかったし、そもそもそんなタイミングがあったのだろうか。杉浦くんは元々神室町で窃盗団に所属していたため、その頃のスキルは残っているのだろう。まぁ、関心出来ることではないのだが。

「さすが、元泥棒……」

「ちょっともう、さんまでひどいな。泥棒じゃなくて窃盗団だってば。僕は私利私欲で盗む奴らとは違……、あ……」

 杉浦くんは立ち止まり、途中で何かに気が付いたように言葉を止めた。

さんと一緒に相合傘して帰りたかった、っていう理由は“私利私欲”かも……。ごめんね?」

 すぐ近くで囁かれた声は吐息交じりで、雨の肌寒さのせいで妙にあたたかい。謝罪の言葉を口にしつつも、悪びれる様子もなく子供のように笑う杉浦くんが憎たらしく、同時に愛おしく思えた。

 とりあえずあの折り畳み傘は奮発して買ったお気に入りの物なので、さっさと返して欲しい。しかし少しだけ浮かれた様子の杉浦くんがあまりにも可愛かったので、しばらくは彼に預けておいても良いかな、なんて思ってしまった。


‎(‎2022‎.‎3‎.‎22)‎