私を吸い込むフラワーホール

 何日か前から杉浦くんはとある企業へ潜入調査をしていた。なんでもその企業には横領をしている輩が居るという疑惑があるらしく、その証拠を掴んで欲しいという依頼が九十九課に来ていた。杉浦くんは完璧に仕事をこなし、物的証拠(それこそ書類や写真など決定的なもの)を掴んで、あとはそれを依頼人に渡すだけとなっていた。

「ただいまぁ」

 エレベーターのある方向から聞き覚えのある声がしたため、おかえりと言って出迎えようとしたが、私の口からは一切の声が出なかった。事務所に入ってきたのは潜入調査を終えた杉浦くん。そのはずだったが、その見た目が普段とは違っていたため驚き、思わず固まる。

 杉浦くんは潜入のための変装をしていた。買ったのか借りたのかは知らないがネイビーのスーツに赤を基調としたお洒落な柄のネクタイがとても良く似合っている。いつもの明るい茶髪を暗めの色に染めており、どこからどう見ても“若いサラリーマン”という感じがした。私は杉浦くんが調査へ行く際見送りが出来なかったため、そのスーツ姿はたった今初めて目にした。

「おお、杉浦氏、お疲れ様です」

 背後から九十九くんの声が聞こえた。私はそこでやっと固まっていた自分に気が付き、つられるように「お疲れ様」と口にする。杉浦くんは疲れているのかソファにどさりと座り、ジャケットを脱いで自身の隣のスペースに置く。

「ああ、疲れた。ほんとスーツって窮屈でやんなっちゃうよ。僕、サラリーマンとか絶対無理」

 杉浦くんはハハ、と半笑いで言う。そして首元に人差し指と中指を差し込んで引き、ネクタイの締まりを緩めた。その仕草を見た私は思わず声を上げそうになってしまう。これが漫画やドラマでよく見る『かっこいいスーツ男子のときめく仕草』というやつか、と頭の中で勝手に呟いた。

 私の視線に気付いたのか、杉浦くんが目を細めながら首を傾げる。

さん、どうしたの?さっきっから僕のことジッと見て」

 その言葉に、そこまで凝視している自覚のなかった私は少しだけ焦る。スーツ姿の杉浦くんはいつもの感じとは違い、とても大人っぽく見えて格好良い。私にとって九十九くんは優しいお兄ちゃん、杉浦くんは可愛い弟という感覚が抜けなかったため、弟の意外な一面が見れたような気がしてなんだか嬉しかった。

「いや……、こうして見ると、杉浦くんも大人の男の人なんだなぁって思って。感慨深くなっちゃった」

 まぁ、言うなれば私は調子に乗っていた。だからこそこんな言葉を口にしてしまった。それを聞いた杉浦くんは一度目を丸くしたかと思うと、すぐに眉間に皺を寄せて怪訝そうな目付きでこちらを見る。しまったと思った時にはもう遅かった。

「へぇー……、さんは僕のこと子供だと思ってたんだ……、ふーん……」

 杉浦くんは誰がどう見ても不機嫌そうな顔をしていた。口角を下げ、低い声で嫌味っぽい台詞を吐く。目は細めたまま、私のことを睨んでいるような気さえする。

「あ、いや、違うよ。そういう意味じゃなくて、すごく大人っぽく見えたから……」

「そっかぁ。僕、この事務所では一応最年少だしね。さんから見ればそりゃ子供だよね」

「違うってば、もう。怒らないでよ。ごめんってば」

 杉浦くんの返答にチクチクとした棘を感じ、誤解を解こうとソファに近付く。しかし杉浦くんはすねたように私から目をそらし、口をとがらせていた。その仕草は子供っぽく可愛らしいのに、スーツを着た姿はとても大人っぽく見えて、ひどくアンバランスだ。

「こら二人とも!」

 なんと言えば杉浦くんが機嫌を直してくれるだろうかと考えていた矢先、背後から九十九くんの声が聞こえた。思わずその方向を見ると、そっぽを向いていた杉浦くんも同じように九十九くんを見たようだった。

「喧嘩はいけませんぞ。九十九課はみんな仲良く!がモットーです!」

 九十九くんはまるで母親か学校の先生かのように、人差し指を立てて私たちに言う。私が杉浦くんの機嫌をそこねてしまったというか、杉浦くんが私の言葉を誤解して勝手にすねているだけというか、喧嘩以前の状態にある気がしたが、それについて言及はしなかった。

 ふと、杉浦くんの方を見る。すると彼はソファから立ち上がり一歩前に出て、腕を伸ばし私の肩を抱いた。腰を折ってこちらに顔を近付けると、下げていた口角を持ち上げ、にやりと笑う。

「大丈夫だよ九十九君。僕たちとーっても仲良しだから。ねぇ?さん?」

 杉浦くんはそう言って、先ほど緩めたネクタイをさらに緩め、しゅるしゅると音を立てて首から外す。その手つきと、音と、私を煽るような声に艶めかしさを感じ、妙に緊張してしまう。

「でもさんには僕が子供じゃないってこと、ちゃーんと知ってもらわなきゃかな?」

 それは私にしか聞こえないくらいの小さな声だった。言葉の意味を考えれば考えるほど心臓が早く鳴り、呼吸が浅くなる。九十九くんは“仲が良さそうな私たち”を見て、穏やかに、そしてどこか満足そうに微笑んでいた。


‎(‎2022‎.‎6‎.14)‎