あなたの恋人は誰ですか?

 外で昼食をとり、真っすぐ事務所へ戻ると見知らぬ男性が居た。初めは依頼人かと思ったが、来客用のソファに座るでもなく、立ったままさんと話し込んでいる様子を見る限り、友人か何かだろうと予想できる。さんはその男性との会話に夢中になっているのか、僕が帰ったことに気が付いていないようだった。時折笑いを交えて話すその姿から二人が親密なのだということが良く分かる。何も言わずにゆっくりと二人に近付くと、さんはやっと僕の存在に気付いたようだった。

「あ、杉浦くん。お帰り」

 なかなか気付いて貰えなかったその状況がなんだか悔しくて、さんの声掛けに「うん」と素っ気なく返す。男性の方を見ると目が合い、丁寧に頭を下げられた。その様子を見たさんは「あ」と小さく声を上げる。

「この人、私の学生時代の先輩なんだ。近くまで来たから寄ったんだって」

 男性を紹介され、僕は彼をまじまじと見た。黒の短髪に綺麗に仕立て上げられたスーツ姿は、エリートサラリーマンとでもいったところか。見た目は爽やかでとても誠実そうに見える。

「おーい『この人』ってなんだよ、相変わらずは冷めてんなぁ」

 彼は歯を見せて笑い、そう言う。僕は言葉の内容よりも『』という呼び方が引っかかった。九十九君どころか僕ですら彼女のことを『さん』と呼んで、その名を呼び捨てたことはないため、想像以上に二人は親しいのかもしれないと感じる。さんは僕のざわつく心中などまるで気が付いていないようで、男性を見ながら笑っていた。

「それにしても、がこんな立派なとこに勤めてるなんて、なんか俺まで嬉しくなるよ。ほんと、頑張って来て良かったな!」

 事務所を見渡した男性はしみじみと呟いた。そして片手をさんの肩に置き、そこをポンポンと叩く。さんは照れくさそうに笑い、「ありがとうございます」と返していた。肩に触れたその行為は、さんを称えているのか激励しているのかは分からないしどうでもいい。しかし僕には、そのボティタッチそのものが不愉快だった。いや、不愉快という表現は間違っているかもしれない。なんだか胸の奥がモヤモヤとして、苛ついた。

「じゃ、俺はそろそろ帰るよ。長居しても仕事の邪魔になるだろうからさ」

 男性はそう言い、僕に向かって再び丁寧に頭を下げると「失礼します」と挨拶をする。僕も同じように頭を下げ、顔を上げた時には男性は既に事務所を出た所にあるエレベーターに向かっていた。さんは何も言わずに男性の後を追う。恐らく階下まで見送ろうとしているのだろう。お世話になった先輩ならば、それくらいをして当然なのかもしれない。そう思うのに、僕の胸の奥はモヤモヤとしたままだった。

 二人がエレベーターに乗り込み、扉が閉まる音がした。僕はゆっくりと壁にある窓に近付き、道に面した外を覗き込む。ほんの数秒後にさんと男性の二人がビルから出てくる姿が見えた。まるで二人の動向を監視しているように思えて、自己嫌悪したくなる。実際“監視しているように”ではなく“監視している”と言って正しいのだろうが。

 さんと男性は通行人の妨げにならぬよう道の端に寄り、最後の挨拶を交わしているようだった。誰がどう見ても親し気な二人は、僕の知らないたくさんの時間を過ごして来たのだろう。そう考えると悲しいような腹が立つような、言葉にし難い不快な感情で胸がいっぱいになる。そして同時にそんな風に考えてしまう自分がひどく醜く思えた。

 その時、男性が腕を伸ばし、さんの頭の上に手を置くのが見えた。そしてそこをポンポンと叩くようにしながら、どこか愛おしそうに髪を撫でるその様子に僕は自分の目を疑う。さんが嫌がるようなそぶりを見せなかったので、恐らく今の行為は今日が初めてじゃないんだろう。不快な感情に飲み込まれそうになるのを耐えるため、僕はこぶしを強く握りしめた。

 しばらくすると、さんが事務所に戻ってきた。どこか上機嫌に見える彼女の目の前に立ち、行く手を遮る。急に目の前に現れた僕に驚いたのか、さんは「びっくりした」と独り言を呟いた。

「あの人絶対さんのこと好きだよね」

 思っていたことを率直に言うと、さんは僕の言葉が意外だったのか、眉間に皺を寄せて表情を歪ませていた。この人は何も分かっていない。先輩とかいうあの男性の気持ちも、僕の気持ちも何一つ分かっていない。そんなさんの様子に僕はいら立ちを隠せなかった。

さんの彼氏って誰?」

 僕の問いかけにさんは混乱しているようだった。

「ちょっと、待って。なに?急にどうしたの?」

さんの彼氏は誰かって聞いてるの。ほら、答えてよ」

 一歩前に出てさんに顔を近付ける。このまま抱き締めてしまおうか、それともキスで口を塞いでしまおうかとも思うが、『さんの彼氏は誰か』という問いの答えを聞くまでは耐えなければならない。赤く柔らかい口唇から僕の名が紡がれるその瞬間までは。

「杉浦くん……、だよ」

 さんは混乱した様子のまま僕の名を呟いた。僕が威圧的で、尚且つ不機嫌なのを感じ取ったためか、さんは怯えた様子で目を軽く潤ませている。彼女に対して申し訳なさを感じつつも、ああやっぱり好きだなぁという愛おしさの感情が広がっていくのが分かる。

 ゆっくりと両腕を伸ばし、顔を包み込むようにしながらさんの頬に触れた。

「そう。僕がさんの彼氏。さんは僕の。だから僕以外の奴に触られたりしないでよ。あんな風に、笑ったりしないで」

 囁いてからすぐに、顎を持ち上げて口唇を塞ぐ。さんは特に抵抗もせずに僕を受け入れた。事務所には僕とさん以外の人間は誰も居ない。それなのにまるで「この人は僕のもの」だと知らしめるように、僕はさんに何度も何度もキスをした。肩に触れ、髪に触れ、その体を強く抱き締める。

 自分以外の男に触られるなとか、笑い掛けたりするなとか、そんなものは不可能に近いし、厄介な言い分でしかない。自分は恋愛に関してこんなにも面倒臭い人間だっただろうかと自己嫌悪したくなる。僕をこんな奴にしてしまったのはさんだ。さんと出会わなければ、さんを好きにならなければ、僕はこんな人間じゃなかったはずだ。

「杉浦くん、妬いてるの?」

 腕の中でさんが呟いた。まさか今更気付いたのだろうかと少し驚いたが、さんであれば無理もない気がする。あの男性の好意にも、僕の醜すぎるひどい独占欲を引きずり出したことにも、何もかもに気付いていなかったのだから。

さんって、ほんと鈍いよね……」

 そんな所が好きなんだけど。そう思ったがなんだか悔しくて、そこまで口にはしなかった。


‎(‎‎‎2022‎.11‎.‎27‎)‎