八神隆之による杉浦文也に関する調査報告書
「八神氏には、杉浦氏を尾行して欲しいのです」
九十九は深刻そうな面持ちで俺に向かって言った。話があるから九十九課に来て欲しいという電話を受け異人町を尋ねたが、事務所のソファに腰を下ろすなり前置きもなく話が始まって混乱する。どうやら今の九十九にはコーヒーを出す余裕もないらしい。
「ちょっと待った。話が見えないんだけど……」
軽く手を出し、九十九の言葉を遮るようにしながら言った。いま杉浦は出払っているらしく事務所には居ないようだが、九十九はまるで内緒話をするかのようにこちらに顔を近付け囁く。
「最近、杉浦氏の様子がどうにもおかしいのです。妙にそわそわしたり、早く帰ろうとしたり。もしかして副業でもしているのかと考えたのですが……。いえ、もし副業をしていたとしても構いません。ただ杉浦氏に隠し事をされているのだとしたら……ボクは悲しい……」
「あー……、分かった分かった。とりあえず仕事の後の杉浦を尾行すればいいんだな?」
このままだと話がとてつもなく長くなるような予感がして俺は途中で言葉を遮った。九十九は眉尻を下げながら小さく頷く。
俺は杉浦のことをある程度は知っているつもりだ。恐らく九十九が心配するようなことはないだろうし、九十九自身もそれは分かっているに違いない。九十九はただ杉浦のことを心配しているだけだ。唯一無二の大切な相棒として。
とりあえず外で杉浦の帰りを待つことにした。当たり前だが俺の顔は割れているためばれないようある程度の変装をして張り込んでいると、程なくして杉浦が戻ってきた。そしてその数時間後に仕事を終えた杉浦は事務所を出て帰路に就いた。
ひとまずは仕事終わりの杉浦を尾行する。このまま真っすぐ家に帰るならばそれも良し。もしこの後“副業”とやらを行う場所に向かうのだとしたら九十九の読みが当たったということになる。
杉浦は九十九課を出てすぐ、鶴亀街道を西に向かって歩き出す。太い道路には何台もの車がスピードを出して行き交い、空気が澱んでいる気がする。特に周囲を気にすることもなく歩く杉浦の数メートル後ろを物陰に身を隠しつつ尾行した。
鶴亀橋を渡り川沿いを少し進むと、異人町の西にあるスナック街に辿り着いた。もしも九十九が言うように杉浦が何かしらの副業をしているのだとしたら、もしかしたら飲食店の店員だろうか、などと考える。しかし俺の予想とは裏腹に杉浦はスナック店には目もくれず、路地を少し入った場所にある小洒落たバーに入っていった。
そのバーは路面沿いに大きな窓があり、店内の様子がある程度見える。そこまで狭くもなく広くもない店内には杉浦以外にも客が居るように見えた。これなら俺一人ぐらい入っても気付かれないだろうと思い躊躇なく店のドアを開ける。
杉浦は奥にあるカウンターの端の席に座っていて、俺は怪しまれないように自然な様子を装いながら少し離れた席に座る。どうやら杉浦は一人でここに飲みに来ているようだった。酒飲みのイメージがない杉浦もこんな店に一人で来て飲むこともあるのか、などと思っていると、店の奥から一人の女性が顔を出した。
「あ、杉浦さん!いらっしゃい」
バーテンダーの制服を着た女性はカウンター越しでもスタイルが良いと分かるくらいに手足が長く、笑顔が素敵な人だった。目鼻立ちがはっきりした顔に一つにまとめられた長い黒髪が凛々しく、一目で“綺麗な人”という単語がピッタリだと感じてしまう。
「杉浦さん、今日もひとりですか?この間話してた会社の同僚さん、連れてきてくれればいいのに」
「えー、さんは僕一人じゃ不満?」
「やだな、そんなことないですよ」
と呼ばれたバーテンダーの女性と杉浦が言葉を交わす。表情はほころんでいて、二人がそれなりに親しい仲であるということが良く分かった。何よりも俺は杉浦の顔に目を奪われた。見たことのないくらいに優しい顔だったからだ。もともと優しかった目元を更に細くさせ、微笑みながら女性を見つめている。その顔を見てピンと来た。杉浦はあのというバーテンダーに惚れている、と。
なるほどな、という独り言が思わず口からこぼれそうになるのをおさえる。
今までに杉浦の口から女関係の話題が出たことはなく恋人が居るのかどうかすらも知らなかったが、恐らく俺の読みは当たっているだろう。今の様子を見る限りどう考えても杉浦はあの子に惚れている。だがあのという子が杉浦のことを好きかどうかまでは分からない。
九十九は杉浦の様子をおかしいと感じたり副業をしているのではないかと心配していたが、なんてことはない。杉浦はただ惚れてる女に会いにこの店に通っているだけであって、やましいことはなにもないように見える。心配していた九十九に早くこのことを知らせてやろうと思い、俺は店を出るため席を立った。
「あ、ねぇ、そこの人。ちょっと待って」
聞き慣れた声。目線を上げその方向を見ると杉浦がこちらに体を向けており、俺に声をかけたということはすぐに分かった。まずい、と直感し体を固める。
「良かったら一緒に飲まない?……ねぇ、八神さん?」
杉浦は俺に向かって笑いかけ、カクテルの入ったグラスを軽く持ち上げる。
どうやら俺は杉浦を舐め切っていたらしい。変装もしているし探偵としては自分の方が先輩だという驕りもあったんだろう。大きなため息をつきながら思わず「お前、気付いてたのかよ」と呟いた。
俺は杉浦の隣の席に座り一緒に飲んだ。杉浦はどうやら俺に尾行されていたことにすぐに気が付いたらしく、「事務所を出てからおかしいなと思ってた」と話した。
俺たちの酒は全てさんが作ってくれて、どれもとても美味しかった。カウンター席に座り間近で見たさんは一層に美しく見え、視界がぼんやりとしてきたのは酒のせいなのか彼女のせいなのか分からなかった。
「九十九君には余計な心配させちゃったな。明日、謝らないと」
杉浦はまるで独り言のように呟きながらグラスに口をつける。既にそこそこ酔っているのか、顔が少し赤く見えた。
気が付くと俺たちの目の前からさんの姿が消えており、彼女は他のテーブル客の相手をしているようだった。チャンスだと思い俺は杉浦に気になっていたことを聞くため、内緒話をするかのように顔を近付ける。
「杉浦。お前、あのバーテンの子と仲良いの?」
「ああ、さん?うん……、まぁね。僕良くここ来るから」
さんのことを聞いても何の動揺も見せず素直に答える杉浦に少しだけ悔しくなる。例えばこれが東だったら動揺してグラスの酒をこぼすぐらいのことはしているだろう。そんな杉浦を見ていたらなんだか意地悪をしてみたくなった。
「お前さ……、ここに良く来るからさんと仲が良いんじゃなくて、さんと仲良くしたくてここに来てるんじゃないのか?」
グラスを持っていた杉浦の手が一瞬だけ揺れ、初めて動揺が見て取れた。その事実になんだか嬉しくなってしまう自分が酷く意地の悪い人間に感じる。杉浦の少し赤い顔も酒のせいだけではないように思えてきた。
「……やっぱり、“センパイ”、には敵わない、かぁ」
杉浦はため息交じりに言うとこちらに向かって笑いかけた。杉浦がさんに惚れているという自分の読みが当たったことが嬉しく、何も隠そうとしない杉浦の素直さに微笑ましい気持ちになる。きっと“杉浦が惚れている女のために夜な夜なバーに通っている”なんて海藤さんや東が知ったら驚くだろう。
「でもさ八神さん。僕、さんには“ただの客”としか見られてないみたいなんだよね。どうしたら良いと思う?」
杉浦はそう言ってグラスに残る酒を一気にあおる。俺にはそれが“ばれてしまっては仕方がない”と考えているように見えた。
「うーん……、やっぱりデートとかに誘ってみるしかないんじゃない?さんの行きたいとことか聞いてみてさ……」
「私がなんですか?」
俺がアドバイスを口にした直後、頭上から女性の声が落ちてくる。慌てて目線を上げるとそこには案の定さんが立っており、いつの間にかテーブル客の相手を終えてカウンターに戻ってきていたようだった。
「いや、大丈夫。なんでもないよ。ごめん」
杉浦は片手を振りながら言い訳の言葉を口にする。その姿も先ほどの優しい顔と同じように俺の見たことのない表情で思わず笑みがこぼれてしまい、口元を隠すように手でおさえる。しかしそれは当然のようにばれていたようで、杉浦は眉間に皺を寄せて俺を睨んでいた。
「今日は全部、八神さんに奢ってもらおっかな。僕の秘密知っちゃったんだし、これぐらい良いでしょ?」
杉浦はそう言って鼻で長い溜息をついた。さんは何のことだが分からないとでも言いたげに軽く首を傾げながら頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
まるで子供のような杉浦の態度と、鈍いさんの反応が妙におかしくて、俺は再び笑う。かけがえのない大切な仲間の初々しい恋が上手くいくことを心から願いながら、俺はグラスに残るぬるくなった酒を飲み干した。
(2021.11.15)