あの街が見える丘で

 家路につくのであろう人々の背中が儚げな色で染まるある日の夕方のこと。僕は早めに仕事を切り上げて絵美の墓参りに行った。

 今日は絵美の命日。横浜から電車を乗り継いで一時間ほどの場所にある墓地へ向かった。そこは繁華街から少し離れた高い所にあり、木々が多くとても静かだ。途中、供え用の花を買った。本来であれば絵美の好きな色や好きな花の種類を選びたい所ではあったが、墓参りには相応しくないのでやめておいた。夕方のせいか、墓地には僕以外の人の姿はなかった。

 沢山の墓が並ぶ中から絵美が眠る場所を探すのは簡単だ。何故なら絵美の墓は他の墓よりも石の背が高いからだ。最近の流行りなのか近年の墓石は背の低い物が多い。掃除のしやすさや安定感など様々な理由があるのかもしれないが、詳しくは知らなかった。

 桶に水を入れ、買ってきた花も一緒に入れる。そのまま真っすぐに墓の前に行くと、僕が持ってきた物と似た花が供えられていた。昼間の時間帯に大久保君か、もしくは父さん母さんがここに来たのだろう。

「久しぶり。あんまり来れなくてごめんね」

 墓に向かって謝罪の言葉を口にしたが、当然ながら返事は返ってこない。少し前までは頻繁にここへ来ていたが、横浜九十九課が軌道に乗ってきたここ最近はあまり時間が取れなかったため久しぶりの墓参りとなってしまった。

「結構前の話になるけど、僕、探偵業を始めたんだよ。九十九君っていう大事な相棒が出来てさ。あ、今度連れて来るね」

 話し掛けながら桶に入っている花を取る。ビニールの包装を外して墓に供えようとした所でふと手が止まった。花立にはすでに沢山の花がささっていたため、これ以上は必要ないように見える。しかしせっかく持ってきたのだからと思い、花立へ半ば無理矢理に僕が持ってきた花をさした。風に吹かれてわさわさと揺れる花の束を見ながら、あまり派手な物を好まなかった絵美がこの状況を見たら苦笑いしそうだな、となんとなく思う。

「そういえば、ちょっと前に僕に同僚が出来たんだ。さんって言うんだけど、すごく良い人だよ」

 墓の前にしゃがみ込み、話を続けた。さんは横浜九十九課で一緒に働いている同僚だ。僕にとって九十九君は大切な相棒で、さんは大切な仲間という感覚だった。さんは僕たちと同じように探偵業は未経験らしかったが、与えられた仕事はきっちりとこなす真面目な人だった。

「この間ストーカー被害に悩んでるっていう相談が来てさ。さんは依頼人の話を聞いてる間に泣いちゃったんだよね……」

 ふとつい先日起こったことを思い出し、話し始める。それは九十九課へ相談にきた女性の依頼人の話で、ストーカー被害に悩まされているのだと苦しそうな表情をしていた。さんは同じ表情をしながら向かいの席に座り依頼人の話を聞いていたが、突然その目から涙を流した。僕は驚き呆気に取られたが、さんは依頼人の手を握り「大変でしたね」と言った。同じ女性だからこそ分かる悩み、恐怖、苦労をさんは感じ取ったのかもしれない。

 そしてさんは苦しそうな表情を消し、今度は眉間に皺を寄せ怒りに耐えている表情を見せた。握っていた手を放し姿勢を正すように席へ座り直すと、依頼人に向かって「私が必ずなんとかします。証拠を掴んで警察に突き出してやりましょう」と力強く言った。依頼人は顔の前で手を合わせ、まるで何かに祈り、縋るかのように「ありがとうございます」と言って涙を流した。

「僕さ、感情的になりすぎたり、一人の依頼人に同情して肩入れしすぎるのは良くないって思ってたんだけど、ああやって同じ立場で物事を見れるのは良いことだよなって思ったんだ。依頼人もああいう人が相手の方が嬉しいだろうし、安心するよね、きっと」

 あの時に感じたことをそのまま口にする。さんに対して思ったことは自分の胸の奥にしまって誰にも話したことはなかったが、絵美の前だと妙に素直になれる気がした。

さんってとにかく一生懸命なんだ。どんな依頼にも全力で手を抜かないし、いつだって依頼人のことを、ていうか、とにかく“人”のことを想ってる。自分のことは二の次って感じでさ……。尊敬出来る部分もすごく多いんだけど、たまに心配になるんだよね。この間なんか仕事で二日くらい完徹してたし。女の人だし、僕より年上なのにだよ?ほんと、すごいパワフルっていうか、笑えるよね。美人だし、仕事も出来るし、気遣いも出来て優しいし、ほんとさんって……、」

 話の途中で何かに気が付き、ハッと息を飲む。先ほどからずっとさんの話ばかりを続けている自分に気が付き、思わず口を閉じた。なんだか顔が熱くなってきた気がする。閉じた口の辺りに手を当てるとそこは想像していたよりも熱を帯びていた。

 墓を真っすぐに見つめる。そこには誰も居ない。

「僕さ、さんのこと……、好きなんだよね」

 僕は素直にその言葉を口にした。改めて口に出して言うと照れくささを感じつつも、後悔はしない。一体いつからさんを好きだったのか。どんなきっかけでさんを好きになったのか。何もかもが分からなかったが、ただ一つ、『さんのことが好き』という気持ちだけが僕の中にある確かなことだった。

 ほんのりと温かかった程度の顔の熱がどんどんと上がっていく感覚がする。恐らく今の僕の顔は赤いんだろう。墓地には僕以外人の姿が見当たらないため、この顔を誰かに見られる心配はない。そのはずなのになんだか焦ってしまって、赤いであろう顔を隠すように、尚且つ誤魔化すようにしながらその場に立ち上がる。

「じゃあ、また来るね」

 そう言ってから墓石に手を添える。ひんやりとした冷たい石の感触と、僕の熱い手のひらが合わさった。

 墓地を出る頃には夕日が沈みかけ、辺りはぼんやりと暗くなり始めていた。どこかで晩ご飯でも食べて帰ろうかと考えながら駅に向かう道を歩き始めた瞬間、あることに気が付く。気配を感じて振り返ると、電柱の影に何かが隠れるのが見えた。

 目を細く凝らしながらゆっくりとその影に近付く。誰かがそこに居て僕のことを見ている。その“誰か”は近付いても逃げるような素振りを見せず、観念したかのように体を固めていた。顔を確認出来る距離まで近づいた時、僕は思わず息を飲む。

さん?」

 電柱の影に隠れていたのはさんだった。何故さんが隠れて僕を見ていたのか。何故さんがこんな所に居るのか。この場所は横浜から遠く離れているため偶然とは言い難いだろう。

 理解が追い付かず、何も言えなくなる。さんはそんな僕の顔を見ながらも気まずそうに、それでいて申し訳なさそうに目を泳がせ、何度も瞬きを繰り返していた。

「いや、その、なんだか今日の杉浦くんは様子がおかしかったから、何かあったのかなって気が気じゃなくって、心配で、それで、その……、」

 さんの言葉で、僕の中にあった疑問が一斉に消え去る。

「僕のこと、ずっと尾けてたの?」

 まるで独り言かのような言い方だったと自分でも思う。さんは泣きそうな顔をしながら僕に向かって「ごめんなさい」と言って頭を下げた。

 正直驚いた。横浜からこの場所まではそれなりの距離がある。その間駅までの道や電車の中など、ずっとさんに尾行されていたのにそのことに気が付かないなんて。僕の感覚が鈍ったのか、それともさんが腕を上げたのか。どちらかと言えば後者なのだろうと考える。さんのことだ。きっと僕の知らないうちに沢山の努力をしたに違いない。僕を気遣って僕を心配して僕のことを想って惜しみなくその力を使ってくれる。ああ、さんのこういう所が僕は好きなんだとしみじみ想った。

「ねぇ、さん」

 さんを見下ろす。僕に怒られると思っているのか、未だに苦しそうな表情のままだ。等間隔で立っている街灯が灯り始め、その光にさんの顔が映える。とても綺麗だと思った。

「僕、さんが好き」

 僕の言葉が意外だったのか、さんは表情を一変させて目を丸くする。そしてすぐに眉間に皺を寄せ、信じられないとでも言うように「今なんて言ったの?」と聞き返して来た。その問いに答えることなく、僕はさんの腕を取ってその場から歩き出す。

「ねぇ、今度さんに話したいことがあるんだ。僕の家族のこととか色々。聞いてくれるよね?」

 うん、という言葉しか聞き入れないかのような言い方だった。さんは戸惑いながらも頷き、僕に引かれるがまま後をついてくる。頬がほんのりと赤くなっているように見えて、僕の心臓が早くなっていくのが分かった。小高い場所にある墓地から坂道を下り、駅に向かって歩く。引いている腕を手のひらに移動させ指を絡めるように強く握ると、横にいるさんの肩が微かに揺れ、愛しさを感じた。

 次に絵美の墓参りに来るときは九十九君とさんを連れてこよう。そして二人に話そう。僕と、何よりも大事な家族についての話を。


‎(‎2023‎.12‎.‎13)‎

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