※女攻め要素有り
水菓子みたいなくちづけを
仕事終わりに駅前で待ち合わせをした。「お疲れ」と言ったさんの声は明るかったし笑顔だったけれど、小さすぎる肩に大きな疲労を背負っているように見えた。僕の前では無理をして欲しくないと思うも、少しだけ見栄っ張りで強がりな彼女も愛おしいと感じる。
「杉浦くんちってお酒ある?コンビニ寄ってこっか?」
さんに問われ、自宅にある冷蔵庫の中身を思い出そうとする。確かビールが何本か入っていたはず。しかしさんが好きそうな甘いお酒はなく、つまみになりそうな物や調理する材料もなかった。
コンビニに寄って行こうという提案に乗り、自宅近くにあるPOPPOに入った。追加のビール、さんが飲むぶんのフルーツ系のお酒、ちょっとしたおつまみ、お腹の足しになりそうな惣菜、さんが好きそうなスイーツなどをカゴの中に放り込んでいく。
そろそろ会計をしようかという所で、とある棚に視線を吸われた。絆創膏や整髪料などが並べられているすぐ下に、避妊具が売っている。まるで狙いすましたかのように視界に入り込んできたそれに、どうしてか後ろめたい気分になる。さんは僕から少し離れた所でお菓子が並ぶ棚を見ていた。
さんと付き合ってそれなりの月日が経っているけれど、キス以上のことはしていない。僕がさんの家に行くこともあるし、今日のようにさんが僕の家に来ることもある。しかし友人関係が長かったせいなのか、いつだって『そういう雰囲気』にはならない。ある程度食べて、ある程度飲んで、ある程度のんびりして、その後は二人揃って眠るだけ。
別に性欲がないわけじゃない。男としては当然ながらさんとそういうことをしたいという気持ちはある。でも、いつまで経っても進展しないこの状況に浸かっていると、もしかしたらさんにはそういう気持ちがないんじゃないか?と思うようになってしまう。僕は、彼女が嫌がることは絶対にしたくはない。
避妊具から目をそらす。もしここで購入したとしたら『今からやる気満々です』と知らしめているようで嫌だった。というかそもそも、僕だってそういう準備くらいしている。自宅に戻れば自分にしか分からない場所にちゃんと仕舞ってある。しかし、いま購入してもしなくても準備をしている時点で結局は『やる気満々』なんじゃないか?と自分で自分に指摘したくなってしまった。
視線をわざとらしく外側に大きく向けてから、未だにお菓子の棚を物色しているさんに近付く。さんは「これも買っていい?」と言いながら、僕の答えを待たずに小さなチョコレートの箱をカゴの中に放り込んだ。
自宅に到着すると、僕たちは交代にシャワーを浴びた。部屋着に着替え、コンビニで買ってきたお酒や食べ物たちをリビングのローテーブルの上に並べる。さんはソファではなくラグに直接腰を下ろし、一足先に先ほど買ったチョコレートをつまんでいた。僕も同じように彼女の隣に腰を下ろす。
「はい、お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
どちらからともなくそう言って、お酒の缶をぶつけ合う。まだ一口も飲んでおらず満杯のお酒が入っている缶は低い音を響かせた。明日は久しぶりの休日で、さんも確か仕事は休みだったはずだ。今日は思う存分ゆっくり出来る。そんなことを考えながら隣にいるさんを見ると、お酒を一口飲んでからふうーと大きく息を吐いていた。
「今日はほんっと大変でさ。この時間のために生きてたって感じ」
さんの大げさな言い方に少し笑ってしまう。化粧を落としきった顔は年下に見えるくらいに幼い。思わず頭に手を伸ばし髪を撫でた。とても綺麗で滑らかなその感触に、まだほとんど飲んでいないというのに酔っ払ったかのように頭がふわふわとしてくる。
さんは子ども扱いされることを嫌う。髪を撫でたりする行為はまるでヨシヨシとされる子供のようだと感じるのだろう。だから僕がこうして頭に手をやると、大概はいつも目を細め、少しむくれたような表情をする。その表情がとても可愛くて好きだ。不機嫌そうな表情をしながらも、さんは僕の手を振り払うことはしなかった。これもいつもの流れ。
しばらく経つと、二本目、三本目と缶が空になっていく。いつもよりずっと早いペースに心配になったけれど、さんは「へーきへーき」と言いいながらとろんとした目で僕を見た。いつもは白いはずの頬がほんのりと赤い。明らかに平気ではなさそうな様子だったため、僕はさんが持っていたお酒の缶を取り上げた。
「今日はこのへんにしておいたら?さん、あんまりお酒強くないんだから……」
「へーきだってば。お酒、まだ残ってるんだから返して」
「だめ。これは僕が飲むから。あとはお水にしときなよ」
取り上げた缶に口唇をつけ、一口飲む。フルーツの香りが鼻から抜けて行き、後味にほんの少しだけアルコールの風味がした。度数も低いし、これはもはやほとんどがジュースではないかと思うも、さんを酔わせるには十分だったようだ。
取り上げた缶をテーブルに置いた、その瞬間だった。さんの顔が一気に近付いてきて口唇が触れる。突然の出来事に驚き声も出ない。ほんの一瞬だけぶつかり合った口唇はすぐに離れ、さんは相変わらずのぼんやりした目で僕を見た。至近距離にある顔から熱が伝わってくる。
「さ……」
さん。その名を呼ぼうとした瞬間、僕の肩に手がかかった。強く押され、バランスを崩した体がラグの上に倒れ込む。さんの体が僕の体の上に重なり、その柔らかな感触が僕の腹の辺りにある熱を突き動かした。
「杉浦くん」
吐息交じりの声が僕の名を呼んだ。何が起こっているのか分からず、心臓が破裂しそうなくらいにうるさく、呼びかけに返事をすることも出来ない。再びさんの顔が近付いてきて、口唇が重なった。先ほどのぶつかり合うだけのものとは違う。今度こそ本物のキスだった。甘ったるい味がする。
さんは両手で僕の頭を押さえつけ、深くキスをする。そしてその口唇はすぐ下に降りて行き、鎖骨の辺りに触れた。気が付くとさんの手が僕の下半身に伸びている。柔らかく、少しだけ冷たい指先が形をなぞるようにいやらしく動き、思わず体が跳ねた。僅かな刺激により自分のものにグ、とほんの少しだけ力がこもる。
「ちょっ、と、ちょっと待って、さん」
格好悪く焦り、しどろもどろになりながらさんの腕を掴んで止める。少しの間だけ動きが止まり、僕たちはお互いを見つめた。
「やだ。だめ。待たない」
まるで駄々っ子かのような言い方だった。さんは僕を睨むように見下ろすと「いつまで経っても手を出してこない杉浦くんが悪いんだよ」と言った。何も言い返せなかった。
キス以上に進展しないこの状況に浸かり切った僕は、もしかしたらさんにはそういう気持ちがないんじゃないか?と思うようになっていた。でも違った。さんはずっと僕を待っていて、僕もずっとさんに触れたいと、触れられたいと思っていた。
「後悔しても知らないからね、僕」
上に乗っていたさんの肩を掴み、今度はこちらからラグの上へ押し倒す。体勢を入れ替えて今度は僕がさんの上へ覆いかぶさった。再び口唇を重ねる。甘い香りが鼻から抜けると、すぐに舌が潜り込んできた。それに応えるように自分のものを絡ませる。熱い吐息が僕の頬にかかった。酔った頭をはっきりとさせるかのように、何度も何度も彼女の名前を呼び、何度も何度も好きだと伝えた。
「私のこと、いやらしい女だって、引いた?」
力なく呟くさんを見つめながら、大きく首を振る。するとさんはどこか安心したように微笑み、上半身だけを起こしておもむろに自分のバッグを漁り始めた。取り出したのは小さなポーチのような物で、控えめで淡いクリーム色が彼女にとても良く似合っている。ジッパーがゆっくりと開かれ、中から見覚えのある形の物が顔を覗かせた。
「あ」
思わず小さく声を上げた。僕がコンビニで買えなかったアレ。どこに仕舞ったのか忘れてしまったアレ。目線を泳がせながら恥ずかしそうにえへへと笑うさんがあまりにも可愛くて、僕は思わず彼女を抱き締めた。髪に顔を埋めると、僕と同じシャンプーのにおいがした。
(2025.5.20)