ミッドナイトリピート
はいつも僕と目を合わせるように「この曲好きだな」と言って微笑んでいた。キャンプのベンチに置かれたままになっている誰の物かも分からないスピーカーからとある曲が流れるたびにいつも同じようなことを言っていて、その言葉を聞くたびに僕は正直“それ言うの何回目?”と思っていた。
切ない女性の歌声とシンプルなピアノの音からはじまる少しだけ寂しげな曲。幼かった僕には曲の印象などそんな程度のもので、歌詞の意味なんて分からなかったし大した解釈も出来なかった。でも僕よりも大人だったは様々な想いでその曲を聴いていたのだろう。
「この曲のどのへんが好きなの?」
僕がそう尋ねるとはいつも「うーん」とか「えっとね」などと言って何かを誤魔化しているようだった。年下の僕に対して説明したとしても理解できないと思われていたのかもしれない。でも今思えばは僕を子ども扱いしたことはなかったような気がする。反対に大人扱いしてくれることもなかったけれど。
ショーンは周囲にいる人たちと遊んでばかりで、独りぼっちの僕のそばに居てくれたのはいつもだった。ショーンがフィンやキャシディたちと酒を飲み楽しそうに話していると僕はいつも蚊帳の外で、日が沈んだ薄暗い空に浮かんでくるまだ弱い光の星を眺めていると、いつも傍にが寄ってきていた。
スピーカーから流れるの好きな曲を聴きながら弱々しい星たちが浮かぶ空を二人で眺めているとどんどん夜がふけてきて、当時の僕のような子供が起きていることが許されない真夜中になっていることがしばしばあった。ハンボルト郡のキャンプでの生活はそこまで好きにはなれなかったけれど、その時間だけは唯一安らげる物だったように今更ながら思う。
「ダニエルはさ、プエルト・ロボスに行きたいの?」
いつものように星を眺めて居た時、そうに尋ねられたことがあった。の表情を見ればその質問に大した意味なんかないということが分かったけれど、僕はその質問にスムーズに答えることが出来なかった。その頃の僕はプエルト・ロボスにそこまで興味はなくお母さんを探したいと思っていて、キャンプでの生活に嫌気が指していたため現状を変えてくれそうな何かに憧れていた。
「自分でも良く分かんない。でももうここには居たくないよ」
正直な気持ちを口にすると、は平坦な声で「そっか」と呟き、曲が流れていたスピーカーの電源を落とした。辺りを静寂が包み、何故か僕は自分の心臓の音がうるさくてたまらないという自覚があった。
「じゃあ、近いうちにさよならかもね。私たち」
はそう言って僕の手を握った。今思えばの声は低くもなく高くもなく、決して温かいわけでも冷たいわけでもなかったし、僕の手を握ったというその行為にも何の意味もなかったのだろうと思う。ただは僕の顔を見て穏やかに微笑んでいた。その顔を目にした時、今までに経験したことのないような言葉にし難い想いが胸を満たしていった。
“とは、さよならしたくないかもしれない”
その言葉が頭の中を駆け巡っていたのに、何故か口にすることは出来なかった。あの頃の僕は子供だった。だからこそに対するその気持ちの意味も、に覚えていた感情の名も分からなかったのだろう。
農園での事件を起こしたあとキャンプのファミリーたちはバラバラになり、がどうなったのか僕は知らない。フィンあたりに連絡を取ればもしかしたら何かわかるかも知れないがなんとなくそれをする気にはなれず、オレゴン州ビーバークリークでの生活が始まってから数年の月日が経ち、僕はいつの間にか十六歳になっていた。
そんな田舎での生活の中、ある日古いCDを扱うアンティークショップでが好きだと言っていた曲が入っているアルバムを見つけた。お母さんが昔使っていたラジカセにCDをセットし曲を流すと、自分の部屋だけがあの日のハンボルト郡にタイムスリップしたようだった。
切ない女性の歌声とシンプルなピアノの音からはじまる少しだけ寂しげな曲。幼かった僕には曲の印象などそんな程度のもので、歌詞の意味なんて分からなかったし大した解釈も出来なかった。でもそれが今なら分かる。この曲は女性の切ない心情を歌った曲だ。曲が響き渡るこの部屋の中に居ると、何度も何度もあの夜の事を思い出した。キャンプにともる弱い灯り。見たことがないくらいの星空。それらの光に照らされた彼女の横顔。
過去の出来事は永遠に動き出すことはない。前に進むわけでも後ろに戻るわけでもない。だからこそ人は明日という未来を目指すのだろう。彼女が好きだった曲は変わらずに流れ続けるけれど、あの日は二度と戻らない。
僕はもう一度に会いたいと思った。会って、顔を見て、あの頃分からなかったが好きな曲の意味と解釈を彼女に言って聞かせたい。この曲はきみにとても似合っていたし、僕もこの曲が好きだし、きみのことも大好きだったよ、なんて言ったらはどんな顔をするだろうか。