ぞくぞくながく
OTMGirlsを初めて見たのはもうどれくらい前のことになるだろうか、はっきりとは思い出せない。友達とも呼べるかどうか分からない程度の知り合いに誘われて行った地下アイドルのイベント。OTMGirlsはそこに出演していたグループの一つに過ぎなかった。曲のキャッチーさとセンターであるマナカのファンサにうっかりと落ちてしまった私は、時間の許す限りはOTMGirlsのライブを見に行くようになった。とは言えバックンさんたちのように全通するような常連とは違い、あくまでライトなファンだ。
ライブハウスBASUE。そこがOTMGirlsのホームとも呼べる箱だった。OTMGirlsは余程のことがない限りは週末の金曜日にそこでライブをする。そして私も余程のことがない限りは週末の金曜日にそこへ通っている。今週も特に面白味もやりがいも感じていない仕事を終え、ごく自然にBASUEへと足を向けた。
BASUEの前についてからふと気づく。そういえば今日の開場はいつもより少し遅めで18時30分からの予定だった。スマホで現在時刻を確認すると17時30分で、まだかなり余裕がある。どこかで食事でも済ませようかと思ったが食欲はそこまでない。どうしようかと思いながら路面へ向かって出されている立て看板をぼんやり眺めた。OTMGirlsの名前が大きく書いてあり、頭の中にマナカ、ミギー、ヒダリンの顔が浮かぶのと同時に、もう一人、そこに付け加えるにはどう考えても場違いな強面の人物の顔が思い浮かぶ。今日もあのプロデューサーは来ているのだろうか。
「おい、何してる」
頭の中を埋め尽くしていた無意味な思考を、低く唸るような声が引き裂く。声のした方向へ目を向けると、そこには先ほど思い浮かべてしまった強面の人物、その人が立っていた。OTMGirlsのプロデューサー、豹堂さんだ。
「こんなとこに突っ立ってたら邪魔だろうが。てめぇらファンの評判が悪けりゃOTMGirlsのイメージも悪くなんだよ。退け」
豹堂さんは私の返答を待つこともなく、まくし立てるように早口で、尚且つ威嚇するように更に低い声で言った。そして私の首根っこを掴みながら歩き出し、そのまま道の端まで引きずっていく。私は反論も反抗も何も出来ないままただ黙っていた。『こんばんは』だとか『お疲れ様です』だとか軽い挨拶のようなものでも、『すみません』だとか『すぐに退きます』だとか謝罪の言葉のようなものでも、何かしらを口にすれば良かったのだろうが、豹堂さんを前にするとどうにも調子が狂い、思っていることが上手く言えなくなる気がする。
通行人やBASUEに入る関係者の邪魔にならないように道の端に移動すると、豹堂さんはまるで厄介な物を払うかのように乱暴に私から手を放す。そしてすぐ近くにあった自動販売機にコインを入れ始めた。恐らく彼は元々ここで飲み物を買おうとしていたのだろう。私を見つけたのはたまたまというわけだ。掴まれた首筋になんとなく触れてみる。そこまで強い力ではなかったため痛みなどはないし、赤くなったりもしていなさそうだ。なのにどうしてか胸がざわついて、首と顔がひどく熱い。
「おい、」
急に名を呼ばれ、思わず背筋が伸びる。まるで教師にでも呼び付けられた時のように「はい」と短く返事をした。豹堂さんに名を呼ばれるのはこれが初めてのように思う。常連とは言えなくとも毎週のようにライブに通っている客だ。顔くらいは覚えられていてもおかしくはない。しかし名まで知られ覚えられているのは意外だった。彼の前で名乗ったことはあるような、ないような、記憶が曖昧だ。もしかしたらマナカ辺りに聞いたという可能性もある。
「今日、予約は?」
豹堂さんは自動販売機から栄養ドリンクを取り出しながら私に問いかける。予約というのはチケット予約のことだろう。私がBASUEに来るときはいつもOTMGirlsが目当てだ。彼女たち以外のグループでチケットを予約することはまずない。
「ちゃんとOTMGirlsで入れてますよ」
スムーズに答えても豹堂さんはこちらを見ようとはしなかった。栄養ドリンクの蓋を開けると、フンと鼻で笑う。
「当然だな。他の奴らで入れてたらタダじゃ帰さねぇよ」
豹堂さんはそう言ってから栄養ドリンクを一気にあおる。
『タダじゃ帰さねぇ』、という台詞は発する人によっては口説き文句にも聞こえるのだろうが、彼が言うととてつもなく恐ろしい意味に聞こえてしまう。まるでカタギとは思えないようなその態度もその言葉も、ほとんどの人は嫌悪や恐怖を覚えたりするだろう。しかし私はどうしてか嬉しかった。もしかしたら私はマゾなのかもしれない、なんて馬鹿げたことを考えてしまう。妙に緊張し心臓がうるさく、首と顔が持っていた熱が増していくような感覚がした。
「そうやって怖いことばっか言ってると、OTMGirlsのファンが減っちゃいますよ。私だってそのへんのメン地下とかに行っちゃうかも。いま、流行ってるし」
自身に起こっていることを誤魔化すため、茶化すように言った。実際ファンの間では「豹堂さんはカタギに見えないプロデューサー」ということで通っている。本職は別にあり昼間は真面目なサラリーマンをしているという噂もあるが、実際に豹堂さんを目の前にし威嚇の一つでもされるとそんな話は信じられなくなる人が大半だ。豹堂さんがOTMGirlsの評判を下げたりファンを減らしているというようなことは今の所はなさそうだが、いつそうなってもおかしくないような気もする。
「へぇ……、メン地下ねぇ……、お前が……?」
ふと気が付くと、豹堂さんが私を見下ろしていた。こちらから目線をそらさぬまま、先ほど飲み干したのであろう空になった栄養ドリンクの瓶をとても良いコントロールでゴミ箱に放り込む。豹堂さんは目を見開いていた。まるで獲物を捕らえる時かのような視線と妙な迫力に思わず後ずさったが、豹堂さんはそれを阻止するかのように私の肩を掴み、顔をグッと近付けた。私の視界が豹堂さんで埋め尽くされる。
「男なんかにうつつ抜かすなんてそんなこと許さねぇぞ俺がそのメン地下とやらぶっ潰してやるよどこのどいつだ!?あ!?吐けよ!さっさと吐いちまえよオラ!!」
豹堂さんは大きな声で怒鳴りながら、掴んでいる私の肩を揺さぶる。視界を埋め尽くしている豹堂さんの顔が二重にも三重にも見え、脳がシェイクされているような感覚に陥った。
「いやいやいや!!例えば!!例えばの話ですって!そんなの居ないです!」
必死に反論すると、豹堂さんは揺さぶる手を止め、表情をいつもの無表情に近い仏頂面に戻す。そして私の肩から手を離すと、チッと小さく舌打ちをしながら「紛らわしいこと言いやがって」と独り言のように呟いた。
彼の顔は、勘違いしてしまった自分を恥じているのか、頬がほんのりと赤くなっているように見えた。思わず目を奪われる。薄暗かったため見間違いだったかもしれない。しかしそれでも良かった。豹堂さんの言葉と態度が、私には魅力的に思えた。豹堂さんはファンが減ることを危惧しているだけであって、それは私でなくとも同じことだ。“私”が必要なわけではない。そんなことは分かっているのに、嬉しくてたまらない。やはり私はマゾなのかもしれないと再び馬鹿げたことを考えてしまう。
「営業、上手だなぁ……、豹堂さん」
自分にしか聞こえないくらいの声量で独り言を呟く。当然豹堂さんにははっきりと聞こえていなかったようで、何か言ったか?とでも言いたげに表情を歪めながらこちらを見た。私が首を横に振ると、豹堂さんは先程と同じようにフン、と鼻を鳴らした後にこちらに背を向け歩き出す。BASUEに戻ってライブの準備をするのだろう。その背中をぼんやり見つめていると、豹堂さんはふと立ち止まり、振り返った。
「今日のライブもマナカたちがしっかり盛り上げる。てめぇらファンもしっかり盛り上がれよ、分かったな」
豹堂さんは釘をさすかのように、人差し指を私に向かって突き出した。「はい」と短く返事をしながら頷くと、豹堂さんは満足そうに不敵な笑みを浮かべ、地下へと続く階段を下りて行った。
まだ緊張は解けず、心臓はうるさいままだ。顔が熱さを増し、触れられた首も肩も妙にむずがゆい。ああそうか、と心の中で呟く。マナカ、ミギー、ヒダリンの三人を想い出すと同時に豹堂さんのことを考えてしまうのも、豹堂さんを前にすると自分が自分じゃなくなるような感覚がするのも、思っていることを上手く口に出来なくなるような気がするのも全て、その理由が今、はっきりと分かった。私は豹堂さんが好きなんだ。
スマホで時刻を確認すると18時だった。開場まであと30分。ライブまではあと一時間だ。OTMGirlsに会えるまであと一時間。豹堂さんに再び会えるまで、あと一時間。余計なことを考えてしまった自分がなんだかいやらしく、尚且つ恥ずかしく思えて、私は首筋をさすった。そこはいつまでも冷めることなく熱いままだった。