気づいてる、気づいてる、気づいてる
作戦の地まで我らを運ぶ航空機。垂直離着陸が可能なそれは助走を必要とせず、空中に浮かぶまでの揺れも少ない。肩と腰を固定するベルトの窮屈感や、戦地に赴く前の緊張感などにはとっくの昔に慣れていた。戦いを終えて帰投する際も同じこと。行きと帰りで違うのは、再び生き残った自分への想いがあるということだけだった。
ヘリポートに到着し、機体から降りた。我らを出迎える整備士たちの中に一人だけ白衣を身に着け浮いた人物が居る。彼女の名は。医務室に常駐している医師で、主に怪我や病気の治療を行う者だ。我らセラフ部隊には見慣れた人物だったが、ヘリポートまで部隊員を出迎える医師は彼女のほかに存在しない。
「月城さん、お疲れ様です」
はいつものようにそう言って笑顔を見せた。その言葉に返事をするよりも早く、は我の腕にあった擦り傷に気が付き、「あ」と声を上げる。移動の際、小枝か何かにでも擦ってしまったのだろう。
「ああ……、ただのかすり傷だ。これくらい問題はない。放っておいても……」
「ダメです。ほら、医務室、行きますよ」
我の言葉を掻き消すようにが声を上げた。怪我をしていない方の腕を取られ引かれるがままに歩き出す。我にとって貧弱以下でしかないこの手を振りほどくことなど容易い。しかしそれを行動に移すことはいつであろうとしてこなかった。“してこなかった”と言うより“出来なかった”と言う方が正しいのだろう。
医務室はいつも通りに静まり返っており、我らの他に人の姿は見当たらなかった。このような状況では良く「私たち医療班が必要にならないに越したことはありません」というようなことを口にする。確かに怪我人も病人も居ない方が良いに決まっている。
は我から腕を放すと、何も言わず目と顎だけで椅子に座るよう促した。そして同じように我も何も言わず、黙って椅子に座る。はすぐに医療道具が入っているのであろう棚から何かしらを取り出して持ってくると、向かいにある椅子に座り我の腕を取った。
「たとえ小さな傷でもやっぱり痛いのは嫌でしょ?ちゃんと注意しなきゃダメですよ」
消毒液らしき薬品を染み込ませた布を傷口に当てながら、まるで独り言のようには呟いた。我のような無愛想で無骨者の人間に対して意見をぶつけてくる者はほとんど居ない。それが部隊員ではなくスタッフなら尚更だ。しかしはいつでも我に注意を言って聞かせる。ああしろこうしろだの口煩く感じる時もあれば、確かにと感心してしまう時もある。
「……すまないな、いつも」
無意識に口から言葉が出ていた。は消毒を終えた腕に薄く切ったガーゼをあて、それを固定するために半透明の医療用プラスチックテープを貼っていた。我の言葉を意外に思ったのか作業する手を止め、目を丸くしてこちらを見る。
「え、何ですか急に。今日って勤労感謝の日?」
は半笑いを浮かべながらプラスチックテープを切り、作業を終わらせる。傷の程度から考えると大げさな処置に見えたが、これも彼女らしいと思うと自然と笑みがこぼれた。
「我は……、貴様が居る医務室が、嫌いではない」
その言葉を口にした時、室内の全てが動きを止めたような感覚がした。の目を真っすぐに見つめると、先ほどの半笑いはどこぞやと姿を消し、間の抜けたようなきょとんとした顔がこちらを見ていた。その表情に再び笑いそうになってしまう。
「貴様の顔が見れるのなら怪我の一つや二つ悪くはない。最近ではそう、思うのだ」
ぽと、という微かな音が聞こえた。それはが持っていたプラスチックテープが床に落ちた音で、まるで車から外れた車輪かの如くころころと転がっていく。目線をそちらに移し、追うと、テープは部屋の壁にぶつかって止まった。
「月城さん」
名を呼ばれ、我は再びの顔を見る。彼女の表情はまるで魂が抜けてどこかに飛んで行ってしまったかのような無表情だった。
「今の……、“貴様の顔が見れるのなら”って……、やつ」
「それがどうした?」
の声が軽く震えているように聞こえ、同時に声だけではなくまぶたや口唇までもが細かく震えていることに気が付いた。
「愛の告白……」
「む?」
「愛の告白だと受け取って良いんですよね!?」
返す言葉がなにも浮かばず、我はただ呼吸が止まったかのように黙り込んだ。貴様は何を言っているんだ。そう思うのに口唇が動かない。
先ほどまで無表情に思えたの顔はゆっくりと赤みを帯び、大きな瞳を更に大きくさせてこちらを見る。それはほんの少し潤んでいるように見え、医務室の照明を受けて光り輝いていた。は座っていた椅子から半分体を持ち上げ、前のめりになって我に顔を近付ける。その妙な迫力に我は小さく身を退いた。
「お、おい、待て」
「つまり月城さんは、毎日でも私の顔を見たり、声を聴いたりしたいってことですよね!?こうして治療されたり、会ってお話したいって思ってるってことですよね!?」
「我はそこまで言っておらんぞ!」
反論した瞬間、こちらに伸びてきた小さく白い手が我の口を覆い、塞ぐ。言葉と呼吸を潰され、思わず「んう」と声を上げた。は我の口を塞いでいる手に強く力を込めながら、ゆっくりとこちらに顔を近付ける。なんだか胸の奥の方がうるさくてたまらなかった。
「月城さん」
に名を呼ばれたが、口を塞がれているために返事が出来ない。早くこの手をどけろ。そんな意思を込めながら我はを睨むように見た。
「あなたもう完全に、私のこと好きじゃないですか」
その瞬間にが手を放し、塞がれていた口が解放された。ぶは、と大きく息を吐いてから思いきり吸う。すると今度はの手が我の身に着けているネクタイを掴み、引っ張った。なんとも言えない消毒液の香りがして、それはまるで怪しい薬かのように鼓動を早める。顔が熱くなっていく自覚があった。
「月城さんが私のこと好きだって素直に言うまで、今日は医務室から出しませんからね」
鼻先が触れ合いそうな距離に思わず石像のように固まる。我は気付いた。いや、気付いて“しまった”。彼女に、に、言い様のない感情を覚えてしまったことに。
“す”と“き”の二文字を口にしてここから立ち去ろうとも、それを拒否しこの場所でずっとと一緒に居ることになろうとも、どちらにせよ我に逃げ道などどこにもない。そう考えると自然と溜息がこぼれたが、それは悲観や諦めなどではなく、喜びや恍惚に似ていた。