肺は貴女で埋まってる
今日は何日なのだろう。ふと、そんなことを思う。今まで何一つ疑問に思わなかったが、よくよく考えてみればこの基地には日付を知るためのカレンダーの類が何一つないし、電子軍人手帳にも今が何年何月何日なのか表示されていない。何故今まで気付かなかったのか。そしてなんとなく、月城さんのお誕生日はいつなのだろうかと考えた。もしそれが分かるとしたら、私は彼女に何をしてあげられるのだろう。
学舎内の中庭にある日の当たるテラス席。そこに月城さんは目を閉じ座り込んでいた。私が「月城さん」と名を呼ぶと、薄っすらとまぶたを持ち上げ横目でこちらを見る。しかし返事をすることもなく再び目を閉じてしまった。
「あの、突然なんですけど、何か私にして欲しいことってありませんか?」
問いかけると、月城さんは目を閉じたまま眉だけを僅かに動かした。
「本当に突然だな……」
月城さんが呟いた言葉はまるで独り言のように聞こえた。確かにいきなり『して欲しいことを言ってくれ』だなんて混乱するに決まっている。私は向かいの席に座り、テーブルに頬杖をつきながら月城さんを見つめた。太陽の光が温かく私たちを照らし、月城さんの髪の毛先がキラキラと光っているのが分かる。とても綺麗だなと素直に思った。
「なんでも良いですよ。肩を揉めとか、あんぱん買ってこいとか……、なんでも」
少しだけ身を乗り出しながら言うと、月城さんは閉じていた目を開いて私と視線を交わせる。その表情は眉間に皺が寄っていて、まるで“こいつは何を言っているのだろう?”とでも言いたげだった。
「おい。何を考えている。どういう意味だ」
「良いから良いから。言ってくださいよ。なんでもしますよ」
月城さんは腕を組み、考え込むかのように口を閉じて口角を下げた。何を言われるのだろうとワクワクしていると、月城さんは何かを思いついたように目線を上げ、組んでいた腕を解いた。
「、今から少し黙れ」
「……へ?」
私が予想していたのは、例えば自分の代わりに掃除をしろだとか、鍛錬に付き合えだとか、そういう類のものだった。『少し黙れ』。その要望の意図が読めず、思わず間抜けな声を出す。
「今から我が三つ数える。その間に口を閉じろ。いいな?ひい、ふう、……」
「え、え?なに、え!?」
「みい」
混乱しているうちに三つ数え終わり、私は反射的に両手で口を塞ぐ。口で呼吸が出来なくなったため息苦しかったが、なんとか鼻で息をする。鼻風邪をひいていなくて良かったと心から思ったのは生まれて初めてだった。もし鼻でも詰まっていたら呼吸困難で死んでいたかもしれない。
私たちの間に沈黙が流れる。テラス席は学舎入口近くの中央部分にあるため静寂などでは決してなく、そこかしこから誰かの話し声や喧噪が聞こえてきた。そんな中、月城さんは何も言わずに無表情で私を見つめてきて、私は両手で口を塞いだまま、ただ彼女を見つめ返すことしか出来なかった。
「ふ、」
沈黙を破ったのは小さな笑い声だった。それは月城さんのもので、無表情を僅かに崩し、目を細くして困ったように笑って見せる。月城さんの、まるで思わずこぼれてしまったような突然の笑顔を見るのは一体いつぶりなのか思い出せないくらいに久しぶりで、目を奪われた。
「本当になんでも聞くのだな」
月城さんは顎の辺りに手を添え、笑い顔を隠すようにしながら言う。その言葉に私は思わず口を塞いでいた両手を外し、大きく息を吸い込んだ。
「もしかして、からかったんですか!?」
「おい。我はまだ口を開いて良いとは言っていないぞ」
反論され、私は再び両手で口を塞いだ。何も言えなくなり、眉間に皺を寄せながら『真面目に答えてください!』という気持ちを込めて月城さんを睨む。しかしこの表情も彼女にとっては笑いの種でしかなかったらしい。先ほどよりも目を細くして笑っている月城さんはとても綺麗だった。
「面白い奴だよ、貴様は」
口を塞いでいなくとも、私はなにも言えなくなってしまっていただろう。月城さんに何かをしてあげたいと思っていたのに、いつだって彼女は私に幸せな気持ちをもたらしてくれる。ここに居ていいのだと、生きていていいのだと思わせてくれる。月城さんが笑ってくれるのなら、いくらでも呼吸を止めても構わないのに。思わずそんなことを考えてしまった。
私はあなたのためなら何だってする。力も財も何もいらない。あなたのためなら呼吸を止めたって、この命さえ投げうったって、一向に構わない。そんな風に言っても、何よりも仲間の命を大切に考えている彼女のことだから、反対に困ったように悲しげな表情をするだろう。だからこのことは誰にも、月城さん本人にも言わず、私の胸の奥底に秘めておくことにした。