命の終わりとジャンドゥーヤ

 彼女を一目見た時から率直に欲しいと感じた。血の色や苦痛に歪む顔を見てみたい。だんだんと生気が失われていく様を感じたい。あの美しい脚を、オブスキュラの一部としずっと傍で見ていたい。そう考えた時にはすでに体は動いていた。

 名も知らぬ彼女を攫うのは簡単だった。気を失わせ生きたまま運んだ。勢い余って殺してしまっては意味がない。ぐったりと力を抜き僕に全てを預けるようにもたれかかる彼女の体は暖かく柔らかく、僕の欲を駆り立てる。

 アトリエにある作業台の上に彼女を寝かせると、台につながれた拘束器具に両手両足を繋いで自由を奪う。どんな瞬間すらも撮り逃さぬよう台のすぐ目の前には三脚に設置されたカメラがあった。

 さて、この女をどんな作品にしようか。そう思いながら白く美しい彼女の輪郭を中指でなぞっていると、まつ毛の長い瞳がゆっくりと開かれ目が合う。

「目が覚めた?」

 文字通り目を丸くし素早く瞬きを数回繰り返した彼女はすぐに自分が置かれた状況を理解したようだった。片手を動かそうとするも拘束具がそれを許さず、彼女は頭だけをきょろきょろと動かし混乱しているような表情を見せる。

「あなただれ?ここどこ?なにしてるの?」

 質問が多い。そう思ったが無理もない。誰だって何気ない日常を過ごしている中で、攫われ体を拘束され、そして今から僕に殺されるというその現実に混乱しない人間など居ない。

「僕はステファノ。君の名前は?」

 そう言えば僕はこの女の名前さえしらなかったのだと気づき、彼女の目をまっすぐに見つめ、問う。彼女はまだ少し戸惑った様子で「だけど」と呟いた。

「そうか。ここは僕のアトリエだよ」

 の眉間に皺が寄る。せっかくの美人が台無しだな。そう思ったが口には出さず、僕は自分の口唇を舌で舐めた。片手の手袋だけを外すと今度は下半身に伸ばし、柔らかな肌触りの太ももに手を這わせる。が息を吸うヒュッという音が聞こえた。

「私を犯すの?」

 円を描くようにそこに触れその滑らかさに酔いしれていると、が小さな声で呟いた。その声は震えてこそいなかったし、涙声でもなかった。しかしその声の小ささから彼女が少なからず怯えているという事は分かる。

 彼女の体にナイフを入れて材料にする前にこの体を楽しんだっていい。僕にだって性欲がないわけじゃない。しかし、そんなつまらないことなどしたくはない。

「セックスなんかよりも、もっともっと楽しいことだ」

 低い声で囁くように言うと、僕はの太ももに舌を置きゆっくりと這わせる。彼女は小さく声を上げたが、その声がもっと聞きたいと感じた僕は肌に歯を立て噛みついた。

「っ!」

 僕の耳に苦痛に耐えるの大きな声が聞こえた。そこまで強く噛んではいないが、まるで雪のように白い彼女の太ももに僕の赤い歯形が付く。

「おっといけない。大事な素材に傷がついてしまうね」

 太ももから口唇を離し体を起こしての顔を見ると、未だに混乱の表情のまま僕を見つめていた。随分と鈍い女だなと思う。そろそろ恐怖を感じてきてもおかしくないのに。小さくフゥとため息をついた。まぁいい。なんだか鈍感そうなこの女でもナイフを見せつけ頬かこの綺麗な太ももにでも突き付けてやれば、絶望の表情になるだろう。

 ゆっくりとナイフを取り出し、目の前でひらひらと揺らして見せる。僕はを見下ろしながら、あくまでゆっくりと優しい声色で言った。

「さ、今から君を殺そうと思うけど、静かにしていると約束できるかな?

 左手で太ももに触れ、右手にもったナイフを彼女の頬に当てる。まだ傷つけぬよう刃は立てずナイフの腹を丸い頬にぴたりと付けた。

 僕は、人間の命が終わる瞬間が好きだ。血と肉が飛び散り、脳が、内臓が、機能を停止していく様を見るのが好きだ。絶望と恐怖と苦痛に歪む人間の表情は僕の欲望を満たしてくれる。

 さぁ、この女はどんな表情を見せてくれるのか。そして楽しんだ暁にはこの陶器のように美しい脚をオブスキュラの一部とし、ずっとずっと僕の傍に置いておこう。早くこの肉を裂きたくてたまらない。早く血が見たくてたまらない。

 そう思っていたが、僕の期待は大きく裏切られた。ふと気が付くとは穴が開くほどに僕の顔を見つめていて、その表情にはなんの感情も込められていないように見える。頬にナイフを突きつけられている人間の顔には思えない。

「怖くないのかい?君は今から死ぬんだよ。僕が殺すんだ」

 先ほどとは違う、優しさなどひとつもこもっていない声色で問いかける。するとあろうことか彼女は小さく溜息をつき、とても残念そうな表情をした。それは今から殺される恐怖や命が終わる絶望などではなく、例えば食事の皿をうっかり割ってしまった時の「あーあ、やっちゃった」という台詞でも呟きそうな表情だった。

 今まで殺して来た人間はほとんどが命乞いをしたり泣いたり怒ったり、様々な感情僕にぶつけてきたが、その裏側には全て恐怖が詰まっていた。こんな顔をする人間など見た事がない。

「何故、……恐れない?」

 わずかな苛立ちを感じ、顔を近づけて凄んでもは表情を変えなかった。僕は太ももに触れていた手に力を込め肌に爪を立てたが、その小さな痛みですら彼女は眉間の皺を少し深くさせただけ。そしてゆっくりと綺麗な色の口唇を開いた。

「そりゃ怖いよ。死にたくないし。でもどうせ殺すなら明日とかにしてほしかった」

 その言葉は予想外だった。明日?たった一日生き延びたところで何になるというのだろう。の言う事がまるで理解できず黙り込んでいると、そんな僕に構いもせず彼女は続けた。

「昨日取っておいたジャンドゥーヤ、今日食べるつもりだったのに。せめてそれを食べてから死にたい」

 言葉を失った。

 死をたった一日先送りにしてほしいという要望自体が予想外だったが、理由はさらにその上を行っていた。死にたくない、生きたい、この先何年も生きて誰かと恋に落ち家族を作り人生を全うして死にたい、などという陳腐な要望ではない。たった一日生き延びて、ジャンドゥーヤを食べてから死にたいと僕の目の前の女は言っている。

「随分と食い意地が張っているみたいだね……、君は」

 頬に当てていたナイフをゆっくりと退かしの目を見つめた。彼女は僕の言葉が心外だったようで、眉をひそめ軽くこちらを睨んで言う。

「あなただって“死ぬ前に食べておきたいもの”くらいあるでしょ」

 “死ぬ前”という状況下でまず“食べ物”という選択肢が出てくる辺りが食い意地が張っているというのではないだろうかと思うが、彼女との口論が億劫で何も言わずに少し笑う。「死ぬ前に食べておきたいもの」だなんて考えた事もなかった。僕は作品を作る事に人生をかけてきたためか食に対する興味などはほとんどない。

 しかし、死ぬ前に食べて“みたい”物はあると気が付いた。彼女を見下ろしながらも横目で下半身を見る。作業台に横たわるの白い太ももが視界に入り、僕はゴクリと喉を鳴らした。ああ、コレなら食べて“みたい”かもしれない。

 作業台に手を突きに顔を近づけた。ゆっくりと、もどかしくいじらしく、その太ももに手を這わせると耳元に口唇を寄せ、囁く。

「僕は……君を食べてみたい、かな?」

 彼女の髪に顔を埋めたせいで、どんな表情をしているのか僕には分からない。恐怖?絶望?悲しみ?怒り?それとも、恍惚や僕に対する軽蔑だろうか。どんな表情でも面白いだろう。

 少なくともこの美しい脚はただそれだけで作品になり得る。血が通っているからこその美しさなのであれば、今ここで壊す必要もないのかもしれない。いつか僕が本当に彼女を、を、僕の素晴らしい作品として生まれ変わらせたくなるその時まで、もう少しこの肌を堪能したい。そう思った。