きみに巻かれたいんだ
WLFが所有する基地のひとつであるスタジアム。私の部屋はそこにあるが、ある程度の自由を許されている個人的な時間を自室で過ごすことはあまりない。私が居る場所と言えば大概は食堂かトレーニングルームか、アビーの部屋だった。
私の部屋から少し離れた、二階の奥まった場所にアビーの部屋はある。正確に言えばアビーとマニーのシェアルームだがそんなことはどうでもいい。というより、何故アビーとマニーが同室なのかが納得いかない。二人が大の親友であることは私も知っているが、一応は異性であるし同室にするなら同じ女の私の方が適任だと思うのに。
いつものようにノックもせず部屋に入り込み奥まで進むと、くたびれたベッドに腰を掛けたアビーがこちらを見た。私は彼女と言葉を交わすよりも前に首をきょろきょろと動かし辺りを見回す。いつも口うるさく私に絡んでくる黒髪のメキシコ野郎の姿が見当たらない。
「あ、今日マニー居ないじゃん!ラッキー」
独り言にしては大きすぎたかもしれない私の声に、アビーは両眉を上げフンと鼻で笑う。彼女のその仕草は大の親友であるマニーを邪険に扱う私を咎めているようにも見えたが、特に何も言うこともなく笑うだけのその表情につられ、私も笑う。
「ねぇアビー。マニーなんか追い出して私とルームシェアしようよ、いいでしょ?」
「、あんたそれ言うの何回目?」
言葉を交わしながら私はアビーの隣に腰かけると、ベッドのスプリングが軋み音を立てる。アビーはおもむろに近くにあったダンベルを手に取り軽い筋トレを始め、私はそれを横で見ながらも部屋の様子を観察する。
はっきり言えば、アビーとマニーの部屋は汚いし散らかっている。あちこちに畳んでいない衣類が散乱しているし、先ほど部屋に入る時に見えたシンクには洗わずにたまった食器類が山積みになっていた。私がアビーと同室になれば部屋の掃除だって片付けだって進んでやるのに、と考える。
「ね、アビー。一緒の部屋になってくれたら、私なんでもするよ。洗濯物の片づけとかお皿洗いとか、ぜーんぶ」
アビーはダンベルを持ち上げていた手を止め、こちらを見る。そして鼻で小さなため息をついたあとにまるで“やれやれ”とでも言いたげに肩をすくめて笑った。
「ダメ。私はマニーと一緒に居るのが一番楽だし丁度いいんだよ。あいつ、良い奴だし」
“あいつ、良い奴だし”。優しい表情で言ったアビーのその言葉に、胸の奥が狭くなるような感覚がした。
マニーが良い奴だということは十二分に知っている。いつも私をからかうようなことばかり言ってきてはうざったく絡んでくるものの、彼はとても友達想いで父親想いで、なによりアビーのことを誰よりも理解している。そう、私はマニーに嫉妬している。それは自分でも痛いほどに分かっていた。アビーにとってマニーのような存在になれたら良いのにと何度考えたことか。
つい黙り込んでしまった自分に気付きハッとした。おそらく今の自分は不機嫌丸出しの表情をしていたに違いない。アビーに子供っぽい姿を見せることだけは避けたかったのに。何か弁明をしようと口を開いたその瞬間、横に座っていたアビーはいつのまにかベッドから立ち上がっており、目の前に立ってこちらを見下ろしていた。
「まったく、しょうがないね」
アビーはそう呟いてからしゃがみこみ、ベッドに座ったままの私と目線を合わせると顔を覗き込むようにして首を傾げた。
「じゃあこうしよ。今日は一日私があんたのトレーニングを見てあげるから。それで勘弁してよ」
自分の頭の上に何かが乗った感触がし、アビーの手だということにすぐに気が付いた。ゆっくりと動くそれは優しく私の髪を撫で、自分の顔に熱が集まっていくのが分かる。赤くなっているであろう顔を隠すために少し俯き、私は絞り出すように呟く。
「トレーニングと、ごはんと、一緒に本が読みたい……」
小さすぎる声だったような気がしたがアビーはきちんと聞き取ってくれたようで、それを聞くなり、ふは、と軽く吹き出すようにして笑う。
「ちょっと。子供じゃないんだから本くらい一人で読めるでしょ?」
「ち、違うよ!本を読んで欲しいんじゃなくて一緒に本を読みたいの!」
思わず顔を上げ反論するとアビーと目が合った。彼女は相変わらずとても楽しそうに笑っていて、その笑顔が直視出来ないほどに眩しく感じる。
「みたいな妹が居たら、毎日が楽しそうだね」
アビーはそう言いながら私の額を小突き、再び笑った。“みたいな妹”。その言葉を頭の中で繰り返す。大切な人でも親友でもなく、妹、か。ほんの少しだけ残念な気持ちもあったが、ひとまず今日の所は“妹”で我慢しようかな。
妙な感触と熱さが残った額を手でおさえながら目を伏せる。私の耳に彼女の微かな笑い声だけが響いて、ひどく心地良かった。