嘘吐き落ちる星
ジェシーとはそれなりに仲が良いと自負している。少なくとも私はジェシーの性格や好き嫌いも理解しているつもりだし、ある程度であれば言いたいことも言える。だからこそ意見の食い違いから言い合いというような、小競り合いのようなものをしてしまうこともある。
昨夜、ジェシーと喧嘩をした。原因は巡回のルートに私が口を出したことだ。雪が多くなってきたここ最近ではパトロール中に吹雪に見舞われることが多く、少しでも早くルートを回ることが必要になるかと思い近道を提案した。しかしジェシーに「そっちのルートは傾斜が強くて危険だから」という理由で却下された。反論しようと口を開いた瞬間に、私はジェシーに強く睨みつけられた。この時の彼はいつもと様子が違っていて、もしかしたら機嫌が悪かったのかもしれない。少なくとも私の意見を頭ごなしに否定して睨みつけるなんてことはいつものジェシーであれば絶対にしないことだ。
何度もジェシーに謝ろうと考えた。しかし彼の姿を見かけるたびに体の動きが止まり、上手く呼吸が出来ずに声が出なかった。またあの時のように否定されて睨みつけられたらどうしようなどと考えてしまい、あの日からジェシーとは一切口をきいていない。
それから数日。私は食堂のカウンターで夕食を取っていた。パサパサしたパンに良く分からない薄い味付けの豆。そんなメニューでもいつもはそれなりに美味しいはずなのに、今日は全くそう思えない。理由は分かっている。味気ない夕飯が更に味気ないのは、隣の席にジェシーが居ないからだ。ハァ、と軽くため息をつき、スプーンを皿に落とすとカランという虚しい音がする。お酒でも飲めば少しは元気が出るだろうかと思い、追加で一杯頼もうと顔を上げた、その時だった。
「よぉ」
聞き慣れた声が聞こえ、自分のすぐ隣の椅子が引かれ人影が腰を下ろす。ジェシーだった。彼はカウンターに肘をつき、顔の前で指を絡ませるように両手を握り合わせていた。時折、落ち着きのない様子で親指が動いている。ジェシーはこちらを見たようだったが、私は目を合わせる勇気がなく手元の皿に目線を戻した。
「なにしてんだ?」
ジェシーが問いかける。こうして声をかけられることも、隣に彼がいることもとてつもなく久しぶりな気がして戸惑う。たった数日の間に口をきかなかっただけなのに、何故こんなにも懐かしい気持ちになるのかが分からなかった。
「晩ご飯だけど。見て分かんない?」
内心は軽いパニックになっているにも関わらず、それをジェシーに悟られるのが怖くてそっけない返事をした。もはや食欲などほとんどないのにスプーンで豆をすくってそれを自身の口に突っ込む。何度咀嚼しても味を感じなかった。
「お前、ホンット、かわいくねぇな……」
まるで独り言のようにジェシーが呟いた。自分が可愛くないことなどもうずっと前から自覚している。もしも私が素直で従順で可愛らしい女になったとしたら、ジェシーは私のことを好きになってくれるのだろうか。そんなことを考えるも口から出るはずもない。代わりに口から出たのは大きな溜息だった。ジェシーに抱いている好意を素直に口に出来ないのであれば、せめてこの間の口論についての謝罪はするべきなのかもしれない、とぼんやり思う。
「ジェシー、その、この間は……、ごめん。ちょっと言い過ぎた」
絞り出すような小さな声で呟いた。しばらくの間、言いたくても言えずにいた謝罪の言葉。それが口に出来たのは少しでもジェシーにとって“可愛い”女になりたいという願望があったからなのかもしれない。いまさら素直になった所で意味などないと分かってはいても、いつかは言わなければならないのだろうと思っていた。ジェシーは驚いたような様子で眉を微かに動かし、カウンターに手をつくと身を乗り出すようにして私の顔を覗き込む。
「どういう風の吹き回しだよ。から謝ってくるなんて」
「ジェシーが正しいって気付いたんだよ。こんな風にギクシャクするのはもう、嫌だから」
手に持ったままのスプーンを静かに皿に置く。私はすぐ隣にいる彼の方へ向き、まっすぐに目を見た。
「私、ジェシーとは、良い“友達”で居たいんだよ」
私はそれだけを言うとすぐ前に向き直りカウンターに置かれたままの皿に目線を落とす。ジェシーがどんな表情をしているか確認するのが怖かった。「良い“友達”で居たい」だなんて嘘だ。本当はジェシーの特別になりたい。特別な存在になりたい。昔からずっとそう思って来た。しかしいつだってジェシーの隣に居るのは私ではない女の子。それはきっとこの先も変わらないだろう。
目の奥が熱くなるような感覚に襲われ、私はあわててスプーンを手に取った。さっさと食べて食堂を出よう。そう思い皿に残された少ない豆をすくって口に入れようとした瞬間、自身の頭に重い衝撃がのしかかる。私の頭の上にジェシーの手が乗っており、そのまま乱暴に私の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。それはまるで犬を撫でるかのような仕草だった。
「さっきの、『可愛くない』ってのは、取り消しな」
「やめて」だとか「痛い」だとか反論しようとしたのと同時に、ジェシーはそう言った。わけがわからず顔を見るととても嬉しそうに笑っており、ジェシーのそんな顔を間近で見るのがとても久しぶりのような気がして、胸の奥が熱くなる。
「お前も可愛いところあんじゃん、」
ジェシーはそう言って、私の額を人差し指と中指で軽く小突いた。
何故だろう。私をからかうようなその態度は“素直に謝った私が馬鹿だった”と後悔してもおかしくなかったのに、ただ彼の口から出た『可愛い』という言葉で頭がいっぱいになる。その言葉に意味なんてない。ジェシーにとって私は“言いたいことを言い合える長い付き合いの腐れ縁”。それ以上でもそれ以下でもない。
俯き、黙り込んだままの私の前に手が差し出される。それは見慣れたジェシーの手で、私は伏せていた顔をあげて彼の顔を見た。
「ほら、仲直りの握手でもしとくか?」
ジェシーは両眉を上げて微笑み、握手の催促をするように再度こちらに手を近づける。大きな手のひらと長く太い指。ゆっくりと自身の手を伸ばしジェシーの手を軽く握ると、強い力で握り返される。熱すぎると思えるくらいの手のひらの熱は、私のものかジェシーのものなのか分からない。握手した手をそのまま引っ張られ、私は椅子から立ち上がった。何が起きたのか分からずにいると、ジェシーは私の手を握ったまま店の出入口に向かって歩き出す。
「家まで送ってやるよ。星でも見ながら帰ろうぜ」
「星って……、いつからそんなロマンチストになったの。そんなガラじゃないでしょ……」
「うるせぇな。いいだろ、付き合えって」
店内の人をかき分け外に出る。すっかり陽が沈んだ街には人の気配はなく、さきほどまで居た騒がしい店内とは真逆にとても静かだった。ジェシーは握ったままの私の手をいつまでも離さない。雪が降り積もった寒々しい空気を纏う街では、触れ合っている手がより一層に熱く感じてしまう。この手が冷たいものであれば、私はこの想いを消せたかもしれない、なんてありもしない事を考えた。
ねぇ、わたしやっぱりあんたが好きだよ、ジェシー。心の中で呟いた声は当然ながら彼には聞こえていない。この想いはもうしばらく隠したまま、彼とは友達で居よう。そんなことを考えながら夜空を見上げると、広く深い暗闇に灯る小さな星の光がいつもより眩しく思えた。