この夜雨がやんだら

 リリーは昔から少し変わったところがあった。髪を伸ばすのを嫌がって短い髪で過ごすことが多かったし、私とふたりきりの時はいつも自分のことを「僕」と言っていた。短い髪も、自分の事を「僕」ということも、そのどちらもリリーには似合っていたので特に気にも留めていなかったが、ある日突然“彼”は、自分の事をリリーではなく「レブと呼んで欲しい」と私に言った。

 その時に私はやっと気付いた。ああ、リリーはきっと、男の子になりたいんだ、と。

 雨が降る夜。私が眠る小部屋の戸が叩かれる音が微かに聞こえた。雨音に混じったそれは本当に小さな音だったが、睡眠を妨害された苛立ちを感じつつ音が気になり、戸に近づいた。その時だった。

?起きてる?僕だよ」

 聞き覚えのあるその声は、雨音に妨害されかき消されそうになりながらも私の耳に届く。レブだ。すぐに戸に手をかけゆっくりと開けると、屋根から零れ落ちる雨が太い束になって降り注ぎ、視界を遮る。

「レブ……?」

 家の者を起こさないように、小さな声でその名を呼ぶ。雨の滝を避けるように彼を見ると、目の前にいるその人は自分が良く知る者とはまるで違う姿だった。ただでさえ短かったレブの髪は一本もなく、その地肌が見えるほどに剃り上げられている。フードも被らずに雨を直接受けたのだろう、頭は濡れていた。

 思わず目を見開き彼を見た。レブは居心地が悪そうに自身の頭に手を置き、そこを軽く撫でる。所々に髪の毛が濃く残っている部分があり、恐らくは自分で剃ったのだろうということが良く分かった。

 言ってくれれば私が剃ったのに、というようなことを一瞬考えてしまい、自分を拳で思いきり殴りたくなる。レブがしたことはこの島の掟に反する。つまり彼の死を意味するということだ。そんなことを私が手助けするなんて出来るはずがない。

 恐らくレブは死を覚悟して頭を剃った。何もかもを捨てる覚悟で。そのことを考えた時、私の目から涙が零れた。屋根から零れ落ちる雨の滝のように、ダラダラと頬を滑り降りる。

「……泣かないでよ、

 レブは私に一歩近づき、頬に手を添えると親指で涙を拭う。泣かないで、なんて無理な話だ。小さなころから一緒にいた大切なレブが死ぬかもしれない。見せしめに痛めつけられて、私の目の前で吊るされるかもしれない。そんな姿を想像しただけで涙が勝手に零れてくる。

 彼が自分を「僕」と言うことも、レブという名前も、剃り上げられた丸い頭も、私はとても好きだ。でもそれはこの島の掟に反すること。本当なら「似合っている」だとか「私は好きだよ」などと言ってしまいたい。でもそれは、この島では彼に「死ね」と言っているような物だ。レブがレブであるためのそれは、レブを殺すことになる。

 止まらない涙で滲む視界にレブが映る。彼は私の耳の辺りの髪を軽く撫で、悲しそうな声で言った。

「僕は今から、島を出る」

 驚きつつも、心のどこかで“ああ、やっぱり”とも思っていた。レブの掟に反する行為が島の者に知られれば命はない。その前に島を出ようということなのだろう。レブが生きていくためには、レブがレブで居るためにはそうするしか他ないのだろうと、私にも分かっていた。

 そしてそれは、私たちの今生の別れを意味するのだということも、分かっていた。私はまだ子供だし、武器の使い方も知らなければ、身を守る術さえも知らない。そんな私がレブに着いて行けば足手まといになるに決まっている。“私も一緒に行く”だなんて、言いたくても言えるはずもない。

 何も言えずにいる私の肩にレブの手がのせられ、彼はまるで独り言かのように呟く。

「最後に、本当のこと聞かせて欲しい」

 “最後”。その言葉が胸に突き刺さり、まるでえぐられるような気分になる。最後だなんて言わないで欲しい。いつかまた会えるって言って欲しい。その願いは私の口から声になって出ることはない。

は僕のこと、……どう、思ってた?」

 何と答えるのが適切なのかが分からなかった。レブとは同い年で、家が近くて、物心つく頃から何をするのも一緒で、家族のような親友のような存在だった。レブが自分を「僕」と言おうと、名前を変えようと、頭を丸刈りにしようとレブはレブで、私の大好きな人。ただそれだけだった。

「好きだよ、私は。どんなレブでも」

 下口唇を噛みしめながら手の甲で涙を拭くと、先ほどよりもましになった視界にレブの顔がはっきりと映る。彼の顎から滴る雨水がとても美しく見えた。

 レブは両手で私の頬を包むと、額に口唇を落とした。その口付けはまるで親が子供を慈しむような、親友への別れの挨拶のような、そんな口付けだった。雨に濡れた冷ややかな感触。そのはずなのに何故かとても柔らかく、暖かい。

「ありがとう、

 その一言だけを残し、レブは雨が強くなる闇の中に消えて行った。背中が見えなくなっても私はその場から動けず、ただ自分の体に残る彼のぬくもりを噛みしめ、涙を流すことしか出来なかった。

 いつか私もこの島を出て一人で生きていけるようになったら、もう一度彼に会えるだろうか。レブのように身も心も強くなれば、彼と肩を並べることが出来るだろうか。冷たく降り続くこの夜の雨が止んだのなら。