月の代わりに
狭く固いベッドの上で体を左に転がし、次に右に転がした。目を閉じて肩の力を抜いても眠りに落ちそうにない。何を隠そう私は寝つきが悪い。眠ろうとベッドに潜って目を閉じても軽く三十分ほど寝返りを繰り返すことなど珍しくはない。
なんとなく枕元に置いていたスマートフォンを取り、画面を眺める。その時急に着信が入り、驚いた私は電話の相手が誰なのか確認もせず無意識に通話ボタンをタップしてしまった。
「うわ、やっちゃった! 」
独り言にしては大きな声だった。画面を確認するとそこには“マクワ”の文字があり向こう側からフフ、と上品な笑い声が聞こえる。私は「もしもし! 」と言いながら急いで電話を耳にあてた。
「……電話しない方が良かったですか? 」
電話の相手、マクワさんはまるで私をからかうかのように笑いながら言う。しかしその声に刺々しさは一切なく、どう返答したら良いか分からずに居た私を察したように再び笑って言った。
「あなたのことだから、また眠れていないんじゃないかと思って」
「いえ、そんな……」
“そんなことないです”と強がった返答をしようとして思いとどまる。きっと私の考えていることなど彼にはお見通しに違いない。電話の向こう側からマクワさんがフゥ、と小さく息を吐く音が聞こえた。
「すぐに強がるのはさんの悪い癖です。大丈夫ですよ。目を閉じて、ゆっくりウールーでも数えたらすぐに眠れますから」
優しく穏やかな声が耳に響き、心地よい気分になる。私は電話を耳に当てたまま目を閉じ、頭の中でゆっくりとウールーを数え始めた。丸くてふわふわした綿毛のようなウールーが思考を埋め尽くしていく感覚がする。
「……すみません、ぼくは嘘をつきました」
マクワさんの声で頭の中のウールーたちが散る。「嘘をついた」という言葉の意味が分からず聞き返すように「え?」と声を上げると、マクワさんは先ほどよりも小さく弱い声で呟くように言った。
「本当は眠れないあなたを心配したんじゃないんです。ぼくがさんの声を聞きたかった。眠る前に」
今までにないようなマクワさんのか細い声に胸の奥が狭くなり、なんだか心配になってくる。なにかあったのだろうかと思ったが、聞いたとしてもきっとマクワさんは答えてはくれない。彼はいつも私に自分の中の弱みを見せようとはしない。それは私に心配をかけたくはないからなのだろうが、なんだか少し寂しかった。
「マクワさん。一緒に寝ましょう。先に眠った方が勝ちです。どうですか」
私は何も考えずにそう言った。電話のためマクワさんがどんな表情をしているのかは分からないが、しばらく何も言わずに黙り込んでいたので呆気にとられていたのかもしれない。数秒の沈黙を破ったのはマクワさんの笑い声だった。堪え切れないとでも言いたげにハハ、と小さく笑い、それはいつもの上品な笑い方と少し違っていた。
「ほんと、あなたにはかないません」
マクワさんは笑いながらそう言い、何故か私までつられて少し笑う。電話のスピーカーから彼の小さな笑い声と吐息が聞こえ胸が熱くなった。お互いになんの合図もなかったが、私は毛布を被り直し頭を枕に預ける。
「いざ勝負」
その言葉をどちらからともなく口にして、私は目を閉じた。電話越しに彼の呼吸音が聞こえ、本来ならば緊張してしまいそうなその状況でもなんだか心が落ち着き思考が水に溶けるような感覚に陥る。
ああ、そういえばマクワさんに“おやすみなさい”と言い忘れてしまったなと思いながら、私は意識を手放した。