夢で終わらせない

「ぼくはきみが好きです」

 マクワさんはためらいもなく愛の告白を口にする。あのマクワさんに好かれるなんて幸せな人も居るもんだなと思いつつ、相手はどんな人なのだろうと純粋に興味がわいた。

 私はマクワさんが好きだと告げた相手の姿を確認しようとしたが、よくよく見ればマクワさんはこちらを真っすぐに見つめており、今の台詞が他でもない自分の方向へ発せられた声だと気付く。思わず後ろを振り向いてみるも私の背後に人の姿はない。

「は?」

 吐息と共に間抜けな声が口からこぼれる。

 私たちが居るのはキルクスジムにある休憩スペースの中で、ジムに所属するトレーナーであれば誰でも使用することが出来る。今この場にいるのはマクワさんと自分の二人だけ。マクワさんと私の二人きり。これはまさか……。

「あの、もしかして『きみ』って私のことですか?」

「きみ以外に居ないでしょう、さん」

 マクワさんは平然とした態度でそう言う。私は頭がズシンと重くなり足元がふらついたのを自覚した。自分の意志とは関係なく目が泳ぎ視界が歪み、マクワさんの顔が見れなくなる。

 え?好き?誰が?誰を?マクワさんが?私を?好きってどういうこと?それはつまりカレーが好きとか雪が好きとかそういう感じ?ピンクが好きとかコーヒーが好きとかそういう感じ?いやどういうこと?なにを言っているの?私は何を考えているの?

 パニックになり意味不明な考えが頭の中をぐるぐると回る。視界が点滅している気すらしてきて、それは私の脳が“これ以上考えたらパンクするぞ”と警告を出しているかのようだった。

「ご、ごめんなさい!」

 私は叫び、逃げるように休憩スペースを飛び出して風の如く廊下を走り出した。いや、逃げる“ように”ではなく実際にその場から逃げ出した。背後からマクワさんが私の名を叫んだ気がしたがもう止まれない。

 マクワさんが私を好きだなんてありえない。だってあのマクワさんだ。キルクスジムのリーダーで強くて格好良くてカリスマ性があって優しくて礼儀正しくて紳士でたまに良い香りがして、そんなまるで住む世界が違うような素晴らしい人なのに、そんなマクワさんが私の事を好きだなんてありえない。

 廊下に響く足音が二つに増えている事に気付いたのとほぼ同時に、腕が何かに掴まれた。勢いよく走っていたはずの私の体は強く引かれた事によりその場に立ち止まる。背後へ振り向くといつの間に追いついたのかマクワさんが私の腕を掴んでいた。

「つかまえた」

 マクワさんは乱れた呼吸で低く囁く。私と同じように全力で走ったのか肩で息をしていた。私は掴まれた腕を振りほどこうとするもマクワさんの力は強く叶わない。身を引いて距離を取ろうとするがそれを許すまいとするようにマクワさんはどんどん私の方へ近づいてきた。

「ちょっと、あの、待ってください、きっと何かの間違いです、これは」

「待って欲しいのはぼくの方です。逃げないで教えてください。何が間違いなんですか?」

「その、ええと」

 私は身を引き、マクワさんは距離を詰めてくる。それを繰り返しているうちに自分の背中が壁についている事に気が付き、私は身も心も追い詰められた状況になった。マクワさんは至近距離でジッと私を見つめているが、サングラスの表面が光を反射していて表情が良く分からない。

 そう、これは間違い。何かの間違いなんだ。あのマクワさんが私の事を好きだなんてありえない。私はマクワさんの事を好きだし尊敬もしているし、彼に好かれる女性は幸せ者だなとも思う。でもマクワさんが好きになるのはきっと私じゃない。私だなんておこがましい。

「私は弱いし、美人じゃないしスタイルも良くないし平々凡々な女だし、マクワさんとは住む世界が違うっていうか、マクワさんが私のこと好きだなんてきっと何かの間違いです。申し訳ないというか釣り合わないっていうか」

 思っている事を早口で言葉にする。自分で言っていて悲しくもなるがこれは紛れもない事実だ。自分の中にある現実と理想を“身の程を知りわきまえるべきだ”という思いが包み込む。

 その時だった。ドン、という大きな音がして私は驚き目を見開く。それはマクワさんが私の背後にあった壁を叩いた音だった。まるで私の逃げ場をなくすように手をついて距離を詰めてくる。すぐ目の前にあるマクワさんの顔に混乱し、いま何が起こっているのかも理解が追い付かない。

「いま言った事、全て取り消してください」

 マクワさんはサングラスを外し、胸元のポケットにさしながら言う。その声は怒りが込められているように聞こえ、案の定マクワさんの目は細められて眉間には微かな皺が寄っている。

「きみは弱くないし、きちんと努力している姿もぼくは知っている。見た目とか住む世界が違うとかそんなくだらないこと関係ない。ぼくはきみだから、さんだから好きになったんです」

 “好きになった”。先ほどの間の抜けた頭で聞いた告白の言葉よりも、改めて聞く愛の言葉が強く耳に響く気がした。自分の顔に熱が集まってくるのが分かり、まるでそこに心臓が移動したのかと錯覚するほどだ。その変化に気が付いたのかマクワさんは私の顔に手を伸ばし頬に軽く触れ、優しく撫でる。

「ぼくの気持ちを『間違い』だなんて決めつけないでください。ぼくはきみが好きだ。それだけじゃダメなんですか?それだけじゃきみは不満ですか?」

 微かに眉を震わせながら言うマクワさんに、私はなんて愚かだったのだろうと自己嫌悪でいっぱいになる。

 自分自身を卑下するのは間違ったことだとは思わない。しかし“マクワさんが自分のような者を好きになるなんてありえない”と決めつけ彼の言葉を“間違い”だと否定するなんて、とてつもなく失礼なことじゃないか。

 申し訳なさと、改めて聞いたマクワさんの言葉に目の奥が熱くなってきた私は顔を伏せる。下口唇を強く噛みしめたが涙は堪えられそうにない。

「返事を聞かせてくれませんか。ぼくはさんが好きです。きみはどうなんですか?ぼくが、……嫌いですか?」

 涙を流しそうになっている私に気が付いたのか、マクワさんは気遣うように優しい声色で言う。噛みしめていた下口唇を解放し、声が震えないようにゆっくりと言葉を口にする。

「嫌いじゃ、ないです、その、……逆です」

 言い終わると同時に、マクワさんが私の顎を掴み伏せていた顔を無理矢理に上げさせた。涙で歪んだ視界いっぱいにマクワさんの顔が広がり、何が起きたのか一瞬分からなくなる。

「ぼくの目を見て。ちゃんと言ってください」

 私の目はまっすぐにマクワさんを捉えていた。瞳の表面に溜まった涙が耐え切れずにこぼれ、頬を伝う。

 ああそうかと心の中で呟いた。“あなたが好き”。たった一言を口にするのにこんな気持ちになるのだと今更ながらに気付く。きっとマクワさんも私に好きだと告げた時同じ気持ちだったのだろう。胸が熱くて苦しくて、たった一言ですら喉に詰まったように呼吸さえままならなくなる。

 「私もマクワさんが好きです」。その言葉は声を震わさずにしっかりと言えたかどうか、自分では分からない。ただ目の前にあるマクワさんの顔は柔らかに歪み、私が良く知る優しい笑顔だった。