ソファに沈む
長いようで短かった一日が終わった。今日私が行ったトレーナー仲間たちとのシュミレーションバトルの戦歴は3勝0敗で無敗。そのデータをタブレット端末に入力し、今後に役立つようなトレーニングメニューを組んでやっと、今日一日の私の“仕事”は終わる。ソファに深く座り込み、相手の手持ちポケモンたちやそのタイプ、戦略に至るまで様々な情報を入力していた最中、夢中になっていた私は自分の肩にズシリと重みがかかった事に気が付くのが遅れた。
なんだろうと思い横を見ると、先ほど「寝る前にシャワーを浴びる」と言い残してバスルームに消えたはずのマクワさんが私の肩に頭を預け寄りかかっていた。
どうしたのかと思い声をかけようとした瞬間に気が付く。マクワさんは目を閉じ、眠っていた。口元からはかすかな息がもれ、肩が軽く上下している。彼の髪からはシャンプーの香りがしたので、おそらくはシャワーを浴び、そのままこのソファまで辿り着いたが力尽きてうたた寝をしてしまったようだ。
「マクワさん。起きて。風邪ひきますよ」
私は呟きながら自分の肩に寄りかかっているマクワさんの頭に手を伸ばした。指先に触れた髪は濡れておらず、恐らくマクワさんはシャワーを浴びてすぐにドライヤーで髪を乾かしたのだろう。ソファに腰を下ろしたらすぐに眠ってしまうほどに疲れているという状態なのに、こういう所はしっかりしている。
髪に触れていた手を静かに退けながら、ふと思う。こんなに疲れている様子ならば、このまま起こさないでいる方が良いのではないだろうか。しかし、いくら髪を乾かしてあるとは言え、お風呂上りに薄着でうたた寝などすれば体調を崩しかねない。せめてなにかしら羽織る物をかけてあげるべきだ。
ブランケットを取りに行こう。そう思い、ソファから立ち上がろうとした時に気が付いた。マクワさんは身体の力を抜きこちらに寄りかかっているせいでとても重く、私はその場から動けそうになかった。どうしたものか。そう心の中で独り言ちたのと同時に私の肩への重さが増え、マクワさんの体は更にこちらへ迫ってくる。
「お、重っ……!マクワさん、起きて、ねぇってば」
少し大きめの声を口にしてもマクワさんの固く閉じられたまぶたが動く事はない。抵抗しようと彼の肩を押したがびくともせず、体勢は悪化して文字通りマクワさんが私に“のしかかっている”ような形になっていた。
あ、やばい。死ぬかもしれない。苦しさと浅くなる呼吸に酸素を求め顔を上げると、すぐ目の前にマクワさんの顔があった。鼻が触れあいそうな距離で、彼の長めの髪と寝息が頬に当たって少しくすぐったい。なんて、そんな事を呑気に考えている場合ではなかった。このままでは本気で圧死してしまいそうだ。
その時だった。願いが通じたのか声が聞こえたのか分からないが、マクワさんの目がゆっくりと開き、数回瞬きをする。そして目の前に居る私を認識するや否や、部屋に響き渡るような大きな声で叫んだ。
「な、なにしてるんですか!」
マクワさんはそう言うなり体を起こし、私から離れる。自身の髪をぐしゃぐしゃと撫でつけながら目を泳がせ、この状況を必死に理解しようとしているようだった。「なにしてる」って。どう考えてもそれはこちらの台詞ではないだろうかと思う。私は自由になった体で必死に酸素を吸いながら肩で呼吸をしつつ、反論する。
「ちょっと、違いますよ。これはマクワさんが……」
“こんな所でうたた寝をするのが悪い”とでも言おうとした時に気が付く。マクワさんは自身の表情を隠すかのように口元を手で覆っていたのだが、その顔は薄っすらと赤かった。マクワさんはファンからの過剰な求愛行動にも照れたりなんかしないし、顔を赤くしている所もあまり見たことはない気がする。その新鮮な表情に、私は彼を少しからかいたくなった。
「マクワさん、顔赤い」
「……さっき熱いシャワーをあびたので、そのせいでしょう」
「シャワーのせい?本当に?」
間髪入れずに言い返すと、マクワさんは微かに目を細めながら私を見つめた。その顔はすでに赤くはなく、片方の口角だけを上げて厭らしい笑みを浮かべている。あ、やばい。そう思った私は「そろそろ寝ますね」だとか「私も眠くなってきたなぁ」だとか適当な理由をつけて立ち去ろうとした。しかしそれは叶わなかった。
「」
マクワさんが名を呼んだ。ソファから立ち上がろうとした私の腕をマクワさんの大きな手が掴み、引く。バランスを崩した体は後方へ倒れこみ、胸の前あたりにマクワさんの腕がまわると、後ろから抱きしめられているような形になった。経験したことのないような甘ったるい雰囲気の体勢に、自分の顔が熱くなってくるのが分かる。
「逃がしませんよ」
反論しようと口を開けたのと同時に、耳元から低い呟きが聞こえる。その響きに胸が苦しくなり、抵抗しようとしていた気持ちが消えていく。ゆっくりと首を動かして、恐る恐るとでもいうように後方へ振り返りマクワさんの顔を見ると、先ほどの赤い顔は嘘だったかのように、余裕たっぷりに微笑んでいた。
「ぼくをからかったこと、後悔させますから」
声が聞こえたのと同時に首にあたたかく柔らかい感触がする。ああ、これは罠だったのかもしれない。そう思いながら先ほど私の体にのしかかっていた彼の重さと、いま私を抱きしめている腕の強さがなんとなく似ている気がして、私の口唇から恍惚のため息がもれた。