いま、わたしを口説かないで

 ここは雰囲気に酔ってしまうようなお洒落な店なんかじゃなく、来慣れたボブの店。カウンターに二人並んで座り、料理は注文せずにお酒だけを飲んでいた。はっきり言えばお酒はあまり得意ではない。それでも自分の隣に居る彼に気を取られすぎぬよう、私は緊張をお酒で誤魔化していた。

「ぼくは、あなたが気になっているんです」

 マクワさんがまるで独り言のように呟き、私はというと言葉の意味が理解出来ずに思考が停止する。数秒間前だけを見た後、横に居るマクワさんの方向を恐る恐る見ながら問いかけた。

「気になっている……、と言うと?」

 気になっている、という言葉は様々な受け取り方が出来ると思う。例えばトレーナーとして一目置いているだとか、もしかしたら私のトレーニング方法などが気になっているのかもしれない。まさかあのマクワさんが私なんかを“異性として気にしている”という意味ではないだろう。そうだったら良いのにと思いつつも、自分で自分の想いを否定した。

 マクワさんは私の言葉を聞くなりこちらを向いて目を丸くし、サングラス越しに見える彼の大きくも丸く優しい瞳と目が合った私は、妙な恥ずかしさを感じ素早く数回瞬きをした。フゥというため息が聞こえ、マクワさんはサングラスのブリッジ辺りに手を置いて、まるで表情を隠すかのように俯く。

「おかしいな。こういう風に言えば察して貰えると思ったんですが」

 それは先ほどと同じような独り言に近い呟きに聞こえた。マクワさんは座ったままで軽く身じろぎをし、体をこちらに向ける。真っすぐに見つめられたまま腰を少しだけ折って顔を近づけられたが、不思議とお酒のにおいは感じない。マクワさんは至近距離のまま、私にしか聞こえないような小さな声で囁くように言った。

「あなたが好きという事です、さん」

 それは望んでいた言葉なのに、私の中にはなんの感情もわいてこない。その理由はお酒だ。マクワさんはお酒に酔った勢いで冗談を言っているに違いない。彼が冗談でそんな事を言うような人間ではないと分かりつつも、何故かそう結論付けたかった。

 すると、黙り込み俯いた私の目の前に一つのグラスが音を立てて置かれる。置いたのはマクワさんで、グラスにはなみなみとお酒が注がれており、彼がグラスに一度も口をつけていないと言う事がはっきりと分かる。まさか。そう思いつつゆっくりとマクワさんの方向を見ると、彼はカウンターに頬杖をついたまままるで子供のように笑っていた。

「言っておきますがぼくはシラフですよ。見てください。最初から一口も飲んでいない」

 先ほど顔を近づけた時にマクワさんからお酒独特のにおいを感じなかった事を思い出した。私は自身の緊張を誤魔化すことに必死で、彼がお酒を飲んでいなかったことに気が付かなかった。

「さ、返事は? 頂けないのですか? 」

 こちらへ身を乗り出しながらマクワさんは言い、私は逃げるように身を引いて手で口元をおさえる。あんなに飲むんじゃなかっただとか、数時間前に戻りたいだとか、様々な後悔のような思いが頭の中を駆け巡る。

「私は……、」

 声が震え、上手く言葉にならない。顔に熱が集まってきて頭がくらくらとするのはアルコールのせいで、マクワさんのせいなんかじゃないんだ、きっと、きっと。