good morning HUMAN - 1

 僕は夢を見たことがある。まるで肌の機能をなくしたアンドロイドの体のように真っ白な空に、真っ白な地面。何もないその場所と同じような真っ白な服を着た女性がひとり、こちらを見つめて立っている。女性の顔はぼんやりともやがかかっており、顔見知りであるのか見知らぬ赤の他人であるのかすらも分からない。

 ゆっくりと近づくと、真っ白だったはずの女性の服がじわじわと赤く染まっていき、それがすぐに血液だという事に気付く。赤い血液ということはこの女性はアンドロイドではなく人間なのだと呑気にも思う。

 僕が女性の顔を覗き込もうとすると、まるで阻止するかのようにこちらに手を伸ばしてくる。人差し指がそっと肩のあたりに触れたかと思うと、すぐにゆっくりと下ろされ、シリウムポンプのある胸のあたりで動きを止める。

 あなたは誰ですか。そう問いかけても返答せずただこちらを見つめるだけ。もどかしさを感じ触れようとすると拒否するかのように彼女は一歩だけ身を引き距離を取る。初めこそ真っ白だった彼女の服も血液の赤に侵食され、気が付いた時には美しい深紅のワンピースへと変わっていった。

 あなたは……。

 もう一度問いかけようとした時にやっと気が付く。声が出ない。そう思ったのと同時に目が覚めた僕は夢から現実へと引き戻された。アンドロイドである僕が夢を見ることなどあるのか。そう考えたこともあったが実際にこれは夢なのだろう。何処の誰かとも分からないその女性と鮮やかな赤いワンピース。それがいつまでも僕の記憶メモリに焼き付いて離れなかった。


 。僕はその人の名を良く知っていた。ただ知っているのは名前だけで、どこの誰でどんな顔をしているのかどうかは知らず、年齢や性別すらも知らない。ただ名だけを知っていた。

 僕がその人の名を知ったのは半年ほど前のこと。ある日気が付くと、シリウムポンプがある胸の付近に妙な文字が浮かび上がっていることに気が付いた。鏡で確認してみると、反転した世界に居る僕の胸に“”という文字がはっきりと書いてある。短い単語の響きからそれが人の名前だと判断するのに時間はかからなかった。

 その文字は半年経った今でも胸元にあり、擦ったりなどをしても消えることはなくそのまま残り続けている。その様子から考えるに外側から受けた何かしらが要因となって起こっている現象などではなく、僕の体の内側に異常が起こっているのではないかと考えた。つまり分かりやすく言えば“僕の胸に誰とも知らぬ他人の名前が浮かび上がるようにプログラムした人間が居る”という事だ。可能性として考えられるのはそのという人物だろう。

 はっきり言えば放っておいても良かった。消えない文字が浮かんでいるだけで他に支障があるわけでもなく、胸元であれば服を着てしまえば分からない。僕は女性のように肌が出る服を着るわけでもないので、問題はないと思われた。しかし、気にはなる。何故こんな無意味に近い事をするのか。このプログラムはいつ組み込まれたのか。何故いまこのタイミングなのか。という人物は一体どこの誰なのか。気になって仕方なかった。

「探してみるのが一番良いんじゃねぇのか」

 デトロイト市警。事件の一報も何もない平和な署内にあるデスクに頬杖をつきながらハンクは言った。妙に考え込んでしまう僕にあっさりとそう言う彼に少しだけ眉が歪む。そんな簡単に言われても……、と思いつつ、僕はハンクに一度視線を送った後に軽くため息をついた。

 探すと一言に言っても手がかりがない。なんせ情報はという名前しかないのだ。生きているのか死んでいるのかさえもはっきりしないし、行方不明なのかどうなのかすらも分からないため、署にある膨大な量の行方不明者リストから探す気も起きない。

 なんの返答もしない僕にしびれを切らしたのか、ハンクは頬杖をやめ、少しだけこちらに身を乗り出して言う。

「なんだよコナー。お前が気になって仕方がないみたいな顔してるからアドバイスしてやったってのに」

「……少し考え事をしているので黙っていてもらえませんか、ハンク」

 何の感情も乗せずに言うと、ハンクはフンと鼻を鳴らしそのまま口を閉じた。

 文字は体の内側から現れるようにプログラムされている“と思われる”。だとしたら一番怪しいのは僕を作ったサイバーライフ関係者だ。しかし、そこに絞り込んでサイバーライフの現社員の名前を調べてみたが、どこを探してもの文字は見当たらない。すでに辞職した社員を当たってみても良いが、そこまでするには少し時間がかかりそうに思えた。

 ふと、頭のなかにとある人物の顔が思い浮かぶ。サイバーライフの事を聞くならば“彼”しかいないだろう、と思いつつも、僕は彼には会いたくはなかった。サイバーライフ社の創始者イライジャ・カムスキー。彼の話し方は妙に気に食わないし、僕の内心を見透かしているような態度も良い気分にはならない。少なくとも彼の近くは居心地が良いものではなかった。

 しかし、何の手掛かりもなく立往生しているこの状況を変えるには彼に会わなくてはならないのかもしれない。今の僕に出来る事と言えばきっとそのくらいだろう。

 端末に表示されている時間を見る。13時を少し過ぎた今ならカムスキー邸を訪ねても問題はないと考えた。腰は重いが仕方ない。僕はゆっくりと立ち上がり、椅子にかけてあったジャケットを羽織る。その様子を見ていたハンクが怪訝そうな顔でこちらを見たかと思うと、なにかを察したように口を間抜けに開けた。

「もしかして……“あそこ”に行くのか?」

 ハンクは“カムスキー”の名前を口にはしなかった。彼のその言い方はまるで、口にしたら最期、呪われてしまう恐ろしい魔物の名前であるかのように聞こえる。僕はもちろんだと言うように両眉を上げて一度だけ頷くと、ハンクの表情がぐしゃりと歪んだ。

「俺は行かねぇぞ」

「分かってますよ。僕一人で行ってきます」

 返答しつつ、ネクタイが少しだけ緩んでいた事に気付き結び目を締め直した。その行為に自身の気持ちも少しだけ引き締まった気がし、僕はそのままデスクから離れる。背後から「……幸運を」というハンクの低い呟きが聞こえた。

 いつ以来か分からないほど久しぶりに訪れたカムスキー邸は特に何も変わっておらず、玄関扉の横に設置されているインターホンのおかしなメロディもそのままだった。インターホンを押してしばらくした後、扉を開けたのも以前と同じRT600、通称クロエだった。ニコリともせず、ただ無表情のまま僕の顔だけを穴があくほど見つめている。

「……コナーです。イライジャ・カムスキー氏に少々お聞きしたいことがあります」

 刺さるような視線に居心地の悪さを感じながら言うと、彼女はゆっくりと口角を上げ微笑み「どうぞ」と言いながら僕を家の中へ入れた。ロビーの様子も以前と何も変わっておらず、カムスキーの大きな肖像写真はどの角度から見ても目が合う気がする。

「イライジャなら奥の部屋におります。そのままお進みください」

 ドアの閉まる音とほぼ同時にクロエが言う。以前はこのロビーで待つように言われたため、今回も同じように待たされるのだろうと考えていた僕は不意を突かれ、無表情のままクロエを見た。こんなのはまるで“僕が来るのを分かっていた”みたいじゃないか。カムスキーに未来予知能力なんかあるわけがないと思いつつも、やはりあの人は読めないと不信感が募る。

 彼女は戸惑い気味の僕の様子を見ても微笑みの表情を変えず、部屋の奥へ手を差し伸べる。まるで『さっさとどうぞ』とでも言わんばかりに。

 僕は軽く肩をすくめ、部屋の奥に進んだ。

 以前カムスキーが居たプールの部屋を抜け、そのさらに奥の部屋に進む。壁や床や家具、何から何までが白いその部屋にカムスキーは居た。部屋の中央あたりにある、これまた白いソファに脚を組んで座り、コーヒーでも入っているのだろうか、マグカップを片手にくつろいでいる。

「……珍しい客人だな」

 カムスキーは僕の顔を見るなりに言った。その言い方も彼の声も気に入らなかったが、とりあえずは「どうも」と挨拶だけをする。カムスキーは手に持っていたマグカップをソファの近くにあったテーブルに置くと、立ったままでいる僕を見上げた。その目はまるで『用件は何だ?』とでも言いたげだった。

「単刀直入にお聞きします。カムスキー、あなたはという方をご存じですか?」

 。その名を聞いたカムスキーの眉が一瞬だけピクリと動き、目が細められるのを見逃さなかった。やはりこの男、何か知っている。そう感じカムスキーの返答を待ったが、彼が口にしたのは僕の思惑とは正反対の言葉だった。

「知らないな」

 低く冷たい声で言った後、カムスキーはテーブルの上にあるマグカップを手に取ると軽く口をつける。余裕があるかのように見えるその態度に、僕は苛立ちを隠せなかった。カムスキーの方向へ一歩近づき、両手を広げて訴える。

「どんな些細なことでも構いません。教えて頂けませんか」

 大き目の声が部屋に響き渡り、カムスキーは伏せていた目を上げてこちらを見た。彼の顔は僕の態度を意外に感じているような表情だった。今にも『何故お前はそんなに必死になっているんだ?』と言い、笑われるような気さえしてくる。

 フ、と小さなため息のような、嘲笑のような音が聞こえた。

「コナー、君はなぜその人物を探している?何故私が知っていると思ったんだ?」

 問いかけにすぐ返答することが出来なかった。という人物を探しているのは、僕の胸にその名前が浮かび上がってきて、気になって仕方がないからだ。調べても大した手がかりはつかめず、カムスキーに聞くのが一番手っ取り早いと思ったため、ここを訪れた。本来ならば今も僕の胸に残っているの文字を見せてしまえばいいのだろうが、何故かしたくなかった。カムスキーに胸の文字を見せてしまえば、それを簡単に消されてしまう気がした。

 そこまで考えて、ふと思う。何故僕はの文字を“簡単に消されてしまう”事を恐れているのか?何故こんなにもカムスキーから情報を引き出そうと必死になっているのか?この良く分からない思いも、もしかしたらプログラムされていることなのではないだろうか、とすら思う。

「……まぁいい」

 カムスキーのその声が、目の前が見えなくなるほどに考え込んでしまった僕の思考を引き裂き、思わず目を覚ましたようにハッとした。僕の様子を見たカムスキーはニヤリといやらしく笑い、続ける。

という人物は知らん。だが、というファミリーネームには聞き覚えがある。たしか昔、サイバーライフに勤めていた人間の中にバル・という名の女が居た」

 カムスキーの言葉を一言一句聞き逃さぬように耳をそばだてる。

 僕の胸に現れたという名前。その人物と同じファミリーネームだという事は、の親族かもしれない。どちらが親でどちらが子か、もしくは遠い親戚の可能性もある。カムスキーによると、バル・という女は優秀な機械学者だったらしい。高待遇な労働条件を元に他社から引き抜かれ、サイバーライフ社で研究職に着いた。しかしカムスキーはその女が入ってすぐにサイバーライフ社を退き入れ替わりとなったため、詳しくは知らないのだと話した。

 今までにない手がかりに僕の胸は躍った。というファミリーネームと、過去サイバーライフ社に在籍していた職員に焦点を当てて調べれば、さらに詳しい事が分かるかもしれない。

 それ以上の情報はカムスキーの口から語られる事はなかった。カムスキーがその女と入れ替わりになったことや、それなりの過去のことなので記憶が曖昧になっている部分もあるのだろう。

「有力な情報を、ありがとうございます」

 僕はカムスキーに向かってそう言い、軽く頭をさげるとそのまま背を向け部屋の出入口に向かって歩き出す。早く署に戻ってまた一から調べ直そう。そう考えていた時だった。僕の背中にカムスキーの声がぶつかる。

「コナー、待て。肝心な事を言い忘れていた」

 嫌な予感がした。脚がピタリと止まり、強い重力を感じているかのように床から動かすことが出来ない。ゆっくりと後ろへ振り返ると、僕の中にある“嫌な予感”を増長させるように、カムスキーが優しく微笑んでいた。

「バル・という女はかなりの年寄りだったはずだ。今はベッドの上か、もしくはお空の上……といったところだろうな」

 ベッドの上か、お空の上。カムスキーの言葉を頭の中で繰り返す。つまりという女は老衰のため病床に伏せているか、もしくはもうすでにこの世には居ないかもしれないと言いたいのだろう。

「君が探しているという人物が、子か、孫であることを祈るよ」

 変わらない微笑みのままカムスキーは言う。胡散臭い表情に僕の眉間に皺が寄り、目を細めてカムスキーを見た。こんな重要な事を言い忘れていた?あの頭の良いカムスキーに限ってそんなことあるはずがない。この男、わざとだ。

 嫌悪感と不信感が増し、僕はカムスキーの顔を見ないようにしながら部屋を出た。そのまま玄関まで迷わず真っすぐに進み、ロビーに居たクロエにも何の言葉もかけずに外へ出る。情報のためとは言えやはりこんな所に来るべきではなかった。そんな事すら思ってしまう。

 しかし、手がかりは掴んだ。それも今までないくらいという人物に近づいた気がする。僕は自身のシリウムポンプの辺りに手を当てた。今でもここにその名が浮かび上がっている。。今度こそ僕は、絶対に君を突き止めてみせる。