good morning HUMAN - 2

 バル・。享年78歳。元々は義足や義手を製作する職に就いていたらしいが、その技術力の高さとひらめきの才能に目をつけたサイバーライフ社は高待遇な労働条件で彼女を引き抜いた。バルは生前結婚し、沢山の子供を産んだ。その数は7人。家族や友人に看取られながら眠るように息を引き取った彼女は恐らく人望があったのだろう。葬式ではたくさんの人が涙を流したのだという。

 ……と、まぁここまでが、ここ数日で僕が調べたネット上にある文章だ。本当のことなど本人や周囲の人以外に分かるはずもない。そんな事よりも、僕にとってはに関することの方が重要だ。バルの7人の子供たちの中にの名はない。あとは何人いるか把握すらもできない孫たちを当たってみようか。

 僕は署を出てタクシーに乗ると、ある場所へ向かった。それはデトロイトの繁華街から少し離れた場所にある墓地。そこにバルの墓があるという情報を少し前に手に入れており、一度彼女の墓参りをしてみたいと思っていた。理由は特にない。何か手がかりを探すとか些細な情報も欲しいだとかそんな気持ちは一切なく、ただバルという、もうこの世には居ない一人の女性の墓参りをしたくなった。それだけだった。

 そこまで考えた所で、僕の頭の中にハンクの顔が思い浮かぶ。きっと警察での仕事やハンクのサポートを放り出して必死にを探している僕に対して怒っていることだろう。もしかしたらそのうち怒りの電話がかかってきて怒鳴り散らされるかもしれない。『何してるんだ!早く署に戻れ!』と怒鳴るハンクが容易に想像出来て少し笑う。

 そう、僕は一体何をしているのかと自分でも思う。はじめこそ“ただ気になる”程度の気持ちだったのに、何故か“を探し出す”という想いが強くなってきている気がした。

 バルが眠る墓がある墓地は、葉が落ちて痩せこけた木がたくさん生えている寂し気な場所だった。墓地というのは何故こうも不気味な雰囲気なのだろう。たとえば美しく色鮮やかな花を植えたり、風船やぬいぐるみでも飾れば良いのにと冗談めいたことを考える。

 墓地の中央のところにさしかかった時だった。少しだけ灰色がかった十字架の墓石が目につく。元々は綺麗な白い墓石だったのだろうが、時が経ち色あせてしまったのだろうと予想する。そこに“バル・”という文字が彫り込まれていた。

 バル・。享年78歳。子宝に恵まれ家族に看取られながら……という文字が墓に刻まれている。それは僕が調べたバルに関する文章とまるで同じだった。しゃがみこんで墓石に手を伸ばし、肌触りの悪いそこに触れながら呟く。

とは、……一体誰なのですか」

 もちろんその問いかけに返答などあるはずもなかった。むしろ返答があったなら僕には死者の声が聞こえるということになってしまう。自身の行動を鼻で笑うと、すぐにその場から立ち上がった。もう帰ろう。ハンクからの電話はないが、きっと怒っているに違いない。ドーナツで機嫌でも取ればなんとかなるだろうかとぼんやり思いながら、来た道を戻ろうと振り返った時だった。

 そこに、一人の女性が立っていた。手には人間の血のような色をした深紅の薔薇の花束を持ち、ただまっすぐにこちらを見つめている。僕は一瞬目を見張った。何故ならその女性に何処かで会ったことがあるような気がしたからだ。しかし女性の顔をもう一度まじまじ見ると、それが間違いだったと思い直す。彼女は僕の記憶メモリの中にあるどの女性の顔とも一致しなかった。

 ドクリと一度、シリウムポンプが大きな音を立てた気がした。いま目の前に居る女性に見覚えはない。僕の記憶メモリの中に彼女の顔はない。それなのに何故だろう。何故か僕は彼女を知っている気がした。それも、ずっと前から。いま初めて会ったはずなのにどうしてそんな事を思ってしまうのだろう。

「あのー……?」

 女性は目を細め怪訝そうにこちらを見る。僕を不審者だと思っているのかもしれない。ひとまずは名乗るなどをし自己紹介をしたほうが良いだろうかと考えていると、女性は僕の背後にある墓を一度見た後に言った。

「おばあちゃんのお知合いですか?」

 『おばあちゃん』。女性のその一言が頭の中に響き渡る。バル・には7人の子供たちが居た。その子供たちの中に僕が探しているという人物は存在しない。そして子供たちの子供。つまりバルにとっての孫たちの名までは僕は把握していない。まさか、という想いが胸を満たす。

「あなたの……」

 そう言葉にした後、自身の口唇が震えたのが分かった。

「あなたの名前を、……教えてくれませんか」

 問いかけに女性は一度目を丸くすると、まるで子供のように首を傾げながら僕の背後にある墓を指さし、言った。

。いまそこに眠ってる人の、孫だよ」

 僕の胸に浮かび上がったという名。何故こんな事が起こるのか。これをプログラムした人間は何を意図してこんなことをしたのか。プログラムはいつ組み込まれたのか。という人物に会えばすべての答えが分かるのではないかと思っていたのに、その時の僕はすっきりするどころか何故か胸の奥がざわついて仕方がなかった。

 墓地に強い風が吹き、痩せこけた不気味な木々の枝が揺れる。が持っていた薔薇の花束も風に吹きつけられ、花弁が一枚だけ流されていくのが見えた。

「あのさ、ちょっとそこ、どいてくれないかな?お花供えたいんだけど……」

 絵に描いたような苦笑いをされ、自分がバルの墓の目の前に立っていたことに気が付きハッとした。「すみません」と謝罪の言葉を呟きつつ横に退けると、は両手で持っていた深紅の薔薇の花束を墓の前に静かに置く。そして胸の前あたりで両手を組み合わせ祈るように目を閉じた。

 僕はそんな彼女の横顔をジッと見つめる。写真で見たバルとは似ていないが、祖母と孫だ。似ていなくてもそこまで不自然ではない。年齢は10代後半から20代前半といったところだろうか。恐らく服装やこめかみのLEDで僕がアンドロイドだという事を彼女は分かってはいるのだろう。

 ふと、閉じられていたの目が開き、ゆっくりと、恐る恐るというように僕の方向へ顔を向ける。

「……何?」

 彼女の横顔を凝視していた事はばれているのだろう。その表情は僕を“怪しいアンドロイド”として見ている事を物語っていた。何の返答もせず、ただの目だけを見つめる。彼女が。僕の胸に名が刻まれている、その張本人だ。しかしその事をどう説明しよう。そして説明したとしてその先はどうすればいいのか。

 無意識に自分の胸元に手を伸ばした。ネクタイの結び目に人差し指をかけ引っ張り、締まりを緩める。そのまま流れるようにネクタイを外して地面に落とすと、今度はシャツのボタンに指をかけた。

「……え、なにしてんの?」

 が言うが、特に気にもせずシャツのボタンをひとつ、ふたつと外していった。みぞおちのあたりまでボタンを外すと、そのまま両手でシャツを広げ、自分の胸元をに見せる。しかし僕の行動に驚いたのか、は一歩後ずさりながら自分の顔を両手で覆い視界を遮っていた。

「うわ、なに、あなたそういう趣味!?変態!?」

「違います。よく見てください。僕の体を」

 距離を取ろうとするを逃すまいと腕を伸ばし、顔を覆っている手を取って強く引いた。僕はもう片方の手で自身のシャツを掴み広げ、胸元を見せる。そこには未だ“”の文字がくっきりと残っていた。

「分かりますか。ここに名前がある。僕の胸に」

 抵抗の様子を見せていただったが、僕の叫びにも似た言葉に体の動きが止まる。閉じかけていた薄目を恐る恐るというように僕の胸元に向けると、そこに浮かび上がっている文字を見るなり目を見開いた。

「わたしの名前……?」

 小さな呟きだった。胸元の名前と僕の顔を交互に見ている表情は茫然としているようだったが、ほんの数秒後、はまるで何かを思い出したかのように「あ!」と声を上げる。

「もしかして、あなた、コナー……?」

 僕は彼女に名乗った覚えはない。本来ならば一番最初に名前を聞いた時にしっかりと自己紹介をするべきだったのだろうが、その事が頭からすっぽりと抜け落ちていた。何故が僕の名を知っているのか。お互いが状況を理解出来ていないような混乱した表情をしていただろう。は目を見開き茫然とし、僕は眉間に皺が寄り間抜けに開いたままの口が塞がらない。この不可思議な状況を変えたのは、の言葉だった。

「おばあちゃんの言った通りだ」

「どういう意味ですか?」

 率直な問いかけをすると、茫然としていたはまるで目を覚ましたかのように素早く瞬きを繰り返し、か細い声で言う。

「私の名前が体に刻まれた、コナーっていうアンドロイドが必ず目の前に現れるって、おばあちゃんはいつも言ってた。冗談だと思ってたけど、本当だったんだ……」

 バル・。彼女は一体何者なのか。そして何故、僕の体にの名が浮かび上がるようプログラムしたのか。僕にを探させて何をしたかったのか。目的はなんだったのか。何もかもが分からない。胸の中にある何かがひっかかっているような不快感はに会えば全てが解決するかと思っていた。それなのに、解決するどころか不快感が増えていくばかり。

「あなたがコナー……私のおばあちゃんが作った、アンドロイド……」

 はうわ言のように呟きながら僕の頬に触れる。その手はまるで機械のように冷たかった。

 バルの孫であるは、僕の体に名前が浮かび上がった事について一切の心当たりがないようだった。つまりこのプログラムを組み込んだのはバル・で決定的だろう。実際彼女はに対し『コナーというアンドロイドが必ず目の前に現れる』と言い聞かせていた。

 不快だった。僕の体に現れたの名がプログラムされたものならば、僕がを探す行為もバルの思惑通りなのかもしれない。その可能性の高さに僕は眉が震えるのを抑えられなかった。つまり僕は踊らされていた?

「……すみません、僕はこれで失礼します」

 その瞬間、何もかもの気持ちがスッと冷めたような気分になる。僕は自身の頬に触れていたの手を軽く振り払い、背を向け墓地の出入口へと歩き出した。後ろから僕を呼び止めるようなの大きな声が聞こえたが、聞こえないふりをする。

 もういい。僕はバルという一人の人間に踊らされていただけなんだ。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるし、そんな自分への嫌悪感がひどい。さっさと署に帰って通常の業務に戻ろう。きっと今頃ハンクは不機嫌そうに目を細めているに違いない。

 ハンクの怒り顔を思い出しながら、自分の頭の中に残るの痕跡を消そうとした。驚きつつも少しだけ嬉しそうにしていた彼女の表情。その記憶を。

 署に戻ると、ハンクの表情は予想通りに不機嫌そうなものだった。僕のデスクに分厚い書類ファイルを低い音を立てて置き「どこで油売ってたんだオマエ」と唸る。軽く謝罪し書類ファイルを一瞥すると、それはまだ端末に未入力の事件資料だった。なんだ、と思い軽くため息をつく。ハンクはデジタルな業務が苦手なのでそれを僕に押し付けたいだけじゃないか。そう思ったが、目の前でこちらを睨みつけるハンクがとても怖い顔だったので、黙ってそのファイルを手に取る。

 ふと、の顔を思い出してしまい、無意識に自分の胸のあたりに手をあてた。そこには未だの名が浮かび上がったままになっているが、もしかしたらこのままずっと消えないのだろうか。またの事について深く考えてしまっている自分に気付き、軽く頭を振る。もう考えるのはやめよう。そう決めたじゃないか。今は業務に集中しよう。これ以上ハンクの機嫌を損ねたくはない。

 その時だった。オフィスにバン!と大きな音が響き渡る。それは銃声や誰かしらが殴られたような音などではなく、ロビーからオフィスに入るための自動ゲートを無理矢理突破した時の音だった。ギャビンという刑事が機嫌が悪い時にそのような通過の仕方をするので、僕はまたかと思いつつ出入口の方向を見る。

 しかしそこに立っていたのはギャビンではなく、女性だった。

「すみません、アンドロイドのコナーくん居ますか?」

 女性の叫び声がオフィスに響き渡る。何故か挙手して叫んだ彼女には見覚えがあった。見覚えがあるというよりつい先ほど墓地で会ったばかりだし、つい先ほどまで考えてしまっていた人物である。

……!?」

 思わず口走る。何故この場所が分かったのだろうと驚き目を見開いた。僕のかすかな声を聞き逃さなかったらしいはすぐにこちらを向くと、目が合うなりパッと花が咲いたように笑う。

「あ、コナー。いた」

 不可思議な行動に署に居るほとんどの人間の目線がに集まっていた。それを気にも留めずは大手を振り、ずかずかとオフィスを進むと僕の目の前まで来て、ピタリと歩みを止める。

「もう。なんですぐ帰っちゃうの。せっかく会えたんだからもう少しお話したかったのに」

 デスクの上に両手をつき、こちらに身を乗り出して顔を近づけながらは言った。すぐ横に居るハンクは眉間に皺を寄せ混乱した様子で僕との顔を交互に見ている。彼の思っている事は分かる。恐らくは“なんだこの小娘”とでも思っているのだ。

 僕はを黙らせるように顔の前に片手を出し、なるべく冷静を装って言う。

「申し訳ありませんが、僕はあなたに話すことなどなにもありません。お引き取り下さい」

「そんな冷たいこと言わないで。コナーになくたって私にはあるよ」

 まさに“ああ言えばこう言う”である。僕はハンクが何か言いだしてこの場が更に面倒な事になる前に、の腕を取ってその場から歩き出した。混乱しているハンクには申し訳ないが詳しい説明は後にするとして、とりあえずこの人を何とかしなければ。

 ゲートをくぐり、乱暴に出入口の扉を開けて外へ出た。大量のパトカーが停まっている駐車場までを引きずるようにして移動し、そこで彼女の腕を離す。すぐに背後へ振り向くと、は僕の行動が理解できないとでも言うように目を丸くしていた。

「どうやってここを突き止めたのかは知りませんが、もう僕はあなたに用はない。関わらないでください」

 強めの口調で言うと、は目を丸くすることを止め、真剣な表情で僕の顔を見た。

「コナーの胸に私の名前が浮かび上がった詳しい理由について、知りたくないの?」

 返答にハッとする。先ほど墓地で会った時、には僕の体に名前が浮かび上がった事について一切の心当たりがないようにも見えた。それなのに今のの口ぶりは“全ての真実を知っている”かのように聞こえる。まさか彼女は知っているのか?僕はの両肩を掴んでグッと顔を近づけると、駐車場に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

「あなたは知ってるんですか!?」

「ううん、知らないけど」

 思わずため息にも似た「は?」という声が口からこぼれ、の両肩から手を離す。呆れて言い返すことも出来なかった。なんなんだこの人は。これ以上話していても時間の無駄。僕は業務をこなさなくてはならない。きっとまたハンクは不機嫌そうに僕を睨むだろうが、全てこの人のせいだ。僕の体に名前が刻まれている、この人の。

 無言のままに背を向け、署内に戻ろうと歩みを進めた。その時だった。先ほどの僕に負けないくらいの大声で、が叫ぶ。

「おばあちゃんの考えてたことなんて私にもわからないよ。でも気になるじゃん。コナーだって気になったから私を探したんじゃないの?」

 気が付くと、僕の腕をが掴んでいた。強く引かれ、僕はそれ以上前に進むことが出来ない。振り返りを睨むと、彼女は僕とは正反対の優しい表情をしていた。

「ね、だからさ、せめて友達になろうよ。仲良くしていくうちに、何か分かるかもしれないし」

 は僕から手を離すと、目の前に自分の手を差し出した。恐らくそれは“握手”を求めているのだろう。そんな事ぐらい、僕にだって分かる。友達?仲良く?彼女と僕が?僕を作ったと言われている女の孫と、僕が?何故そんな事をしなくてはならないんだろう。僕はただ胸に名前が浮かび上がるプログラムの真相を知りたいだけだ。の事を知りたいわけなんかじゃない。

「申し訳ありませんがお断りします。僕はそこまで暇じゃない」

 僕は再びに背を向け、彼女の顔すらも見ずに言った。返答も待たぬまま署の出入口に向かって歩き出す。さて、今度こそハンクは怒り狂っているに違いない。どう言い訳しようかと考えながら歩いていると、背後から叫び声が聞こえた。

「わたし、諦めないからね!コナー!」

 その叫び声も無視し、僕は歩き続けて署内に戻った。ゲートをくぐろうとする直前で立ち止まり考える。諦めない?一体何をだ。僕はもう諦めたい。この胸にの名が現れた理由を突き止めることを、諦めたい。それなのに名前が浮かび上がっているシリウムポンプのあたりがざわついて、気になって仕方がないのは何故なんだろう。