失楽園 - 2
「思い出した」
思わず独り言がこぼれる。いま私の目の前に居る長髪髭面眼鏡の変人。彼の既視感の正体にやっと気が付いた。この男は確かアンドロイド製造企業サイバーライフの創始者であり、社長だ。雑誌で見たカムスキーの顔は短髪で髭も眼鏡もなかったため気が付かなかったが、肌の色、青く冷たい目、イライジャ・カムスキーという名前、間違いない。
よりにもよって私の職を奪ったアンドロイドを作った張本人に結婚を申し込まれている。先ほど名前を知ったばかりの相手にプロポーズするなど頭がおかしいとしか思えない。馬鹿と天才は紙一重と良く言うが、ここまでとは。
「あなた頭おかしいでしょ。なんで私があなたと結婚なんかしなくちゃいけないの」
もはや相手に敬語を使う気すらなかった。不快感を示す表情をしながら私が言うとカムスキーは目を細めフンと鼻を鳴らし、まるで私を見下し嘲るように笑う。その表情に更なる不快感を覚えていると、カムスキーは「そんな事言えるのかな、君が」と呟きながらゆっくりとこちらに近づき、続ける。
「君は少し前に失業しただろう。来月の光熱費も家賃も払えるかどうかという状況で長年一緒に居た恋人にも別れを告げられた。今の世の中高いスキルを持たない人間を雇ってくれる所は少ない。つまり君は分かりやすく言えば“お先真っ暗”、というわけだ」
自分の近況を次から次へと言い当てられ、呼吸が浅くなった。何故、という思いが頭の中を支配する。何故この人が私のことをここまで知っているのか。もしかしたらカムスキーは超能力でも使えるのかと思ったが、そんなはずはないと思いなおす。
「なんで、知ってるの?」
「いち個人の情報を調べることなどたやすいんだよ。先ほど君の名前を聞いたが、本当は名前の情報など一番はじめに手に入った。私は君の出身地も学歴も身長も体重もスリーサイズも把握してる」
悪寒が走った。人と言うのは他人をここまで不快に感じることが出来るのかと呑気にも新鮮な気持ちにすらなってくる。そしてスリーサイズという単語に私は思わず自分の胸元に手を当て、一歩後ずさる。しかしその僅かな抵抗もカムスキーは馬鹿にするように微かに笑い、一歩前へ進むと私を見下ろした。
「私と結婚するなら生活を保障しよう。望むなら仕事を与えてやってもいい。サイバーライフは猫の手も借りたいほど忙しいんでね。職もなく住む場所も失うであろう君には、拒否権なんて無いに等しいと思うが?」
一歩、一歩、ゆっくりと近づいてくるカムスキーに、同じように一歩、一歩と後ずさりをしているといつの間にか自分の背中が壁についていた。その逃げ場のない状況と、先ほどカムスキーが私に言った「拒否権なんて無いに等しい」という言葉を思い出し絶望的な気持ちになる。彼の顔が見れなかった。
しかしよくよく考えると何故この男、カムスキーは私なんかと結婚などしたいのだろう。大した学歴や職歴もなく絶世の美女というわけでもないし、抜群のスタイルを持っているわけでもない。どこにでも居るような平々凡々なこの私と、何故。
そらしていた目線を上げカムスキーの顔を見た。良く見れば彼は綺麗な顔をしている。滑らかで白い肌、血色の良い薄い口唇、真っすぐ通った鼻筋、瞳はまるでキャンディーのように美しい水色をしている。恵まれた容姿のうえ彼は社長だ。結婚相手などいくらでも居そうに思える。
「なんで私なの?あなただったら他にもいい人沢山いるでしょ」
考えていた疑問を率直に口にした。カムスキーはその問いかけをされることを予想していたようで、両眉を上げ穏やかに笑うと私の頬に手を添えて言う。
「私に言い寄ってくる女など、みな地位と権力欲しさの下品で薄汚い奴らばかりだ。そんな奴らに好かれるなんてうんざりなんだよ」
「そんなのはっきり断ればいいじゃない」
私の言葉にカムスキーは一瞬だけ目を丸くしたかと思うと、すぐにフフ、と声を出し歯を見せながら笑う。先ほどまで私を馬鹿にしたり嘲ったりするような笑いしか見せなかった彼が、まるで“思わず吹き出した”というような表情をしたので私は一瞬ドキリとした。
「君は世間知らずだね、。仕方がない君に教えてあげよう」
カムスキーは小さな声で囁くように言い、私の頬に添えていた手を耳の辺りに移動させた。そのまま手は首、後頭部へと移動し、力をこめ引かれた私の体はカムスキーの方へ倒れこむ。まるで抱きしめられているようなその体制にも関わらず、私の体は石のように固くなり動けなくなっていた。
「大事な取引先の関係者も株主も、節操なく私の所に来るんだよ。何事も穏便に済ますには“妻所帯”という立場が一番。そう思わないか?」
耳元でカムスキーの囁きと呼吸音が聞こえる。彼の胸に手を当て押し返さなければ、会ったばかりの男にこんなことされるなんておかしい。そう思っているのに体が上手く動かない。彼はそんな私のことを全てお見通しのようで、再び嘲るようにフン、と鼻を鳴らして笑う。
「ただ私と君はあくまで“表面上の夫婦”だ。まぁ、君に情を注ぐ価値があるというのなら話は別だがね」
私の耳元にあったカムスキーの口唇はゆっくりと離れ、彼の目が私の顔を見つめていた。その表情は見覚えのある穏やかな笑みで、まるで雑誌の表紙を飾るかのような“営業スマイル”。悪寒を感じていた私の肌がさらに泡立った。
この人は私を“道具”として見ている。道でぶつかり、激高し、雪玉をぶつけたという、悪い意味で印象に強く残った私を“丁度良い駒”と考えたんだ。こんな結婚間違っているし、やはりこの男は頭がおかしい。
しかし、だ。このままホームレスになるか死の淵を彷徨うくらいならと思うと、カムスキーの言う通り私に拒否権などないのかもしれない。どうすればいいのか迷っている私の背中を、カムスキーの言葉が押した。
「私と結婚しないなら、先日の雪玉の慰謝料を払ってもらおうか。そうだな……、10万ドルでどうだ?」
10万ドル。それは私の財布の中身よりもゼロが三つほど多い。私にとってその金額は、将来お目にかかれるかかかれないかの大金だった。失業し明日をどう生き抜くかの瀬戸際に立っている私が払えるような金額では、決してない。
「……わかりました」
声に力は入らず、とても小さかった。しかしその返答をカムスキーが聞き逃すことはなかったようで、彼は私の頭に手を置き軽く髪を撫でると、満足そうに笑って見せる。その胡散臭い笑顔が、ひどく憎たらしい。
世の中は金が全て。そんな事分かっているつもりではあったのに、まさかこんなことになるなんて。私は自身の生活を保障してもらう代わりに、彼の妻になる。カムスキーの“都合の良い駒”になったのだ。
事が進むのは私の予想以上に早かった。翌日にはカムスキーがよこしたアンドロイドたちが部屋から荷物を運び出し、半ば強制的に彼が住む家へと連れていかれた。カムスキーが暮らす家はデトロイト中心部にある大きなマンションの高層階で、ワンフロア全てがカムスキーの自宅なのだと言う。聞けば郊外に別荘を建設中で、そこへ移り住むことも検討中らしい。
「荷物が多すぎる。私の家を汚す気か?」
運び込んだ荷物を一通り見たカムスキーが不機嫌そうに呟き、私は耳を疑った。運ぶ手間を考えほとんどの物は処分したのでかなり身軽になった気がしていたが、カムスキーにとってはそれでも多かったらしい。というか、彼からしてみれば私の荷物など全て不要に思っていたとしても不思議ではない。
「これでもかなり処分したんですけど」
カムスキーの言葉と態度が気に食わず、軽く反論しつつ思わず眉間に皺が寄った。彼にとっては“単なる荷物”であるかもしれない。独り暮らしをし始めた時に買ったマグカップ。お気に入りで穿きまわしているスカート。ベッドサイドに飾っていたぬいぐるみ。不必要と言われればそれまでではあるが、私にとっては全て思い出の詰まった大切な物だ。
しかし、そんな私にお構いなしに、カムスキーは冷ややかな表情を変えず強い口調で言う。
「捨てろ。必要になればまた買えばいい」
「ちょっと待ってください。これは、」
再び反論しようとしたその時だった。カムスキーは大股で歩き距離を一気につめると、私の肩を掴み無理矢理に上を向かせる。強制的に目が合い、私は口にしかけた言葉を飲み込んだ。
「言う事を聞け」
まるで蛇に睨まれた蛙だと思った。もちろんカムスキーが蛇で、私が蛙だ。小さく無力で情けない蛙。“蛇”の迫力に何も言えずにいると、彼の手が私の口元に伸び、顎を掴む。
「それと、その丁寧な話し方もやめてくれないか。君は私の妻なんだから」
カムスキーの表情は先ほどと違い、穏やかな微笑みだった。カムスキーという人間は二人存在するのではないかと錯覚するくらい、同じ人間とは思えない表情。
顎を掴んでいた手は頬へ移動し、大きな手のひらがそこを撫でる。私はカムスキーの不気味なほどの穏やかな微笑みと優しい声で、ただ頷くことしか出来なかった。その様子を見たカムスキーは「いい子だね」と囁きながら頭を撫でると、髪に口唇を落とす。いまさら何の抵抗も出来なかった。
彼は、読めない。考えていることも、本当の気持ちも、なにもかも分からない。私を都合の良い駒として冷ややかな目で見る時もあれば、まるで本当の伴侶かのように優しく微笑んだりもする。どちらが本当のカムスキーなのだろう。
ふと、自分の周りに居るアンドロイドの姿を見た。荷物を運んだアンドロイドたちは見たことのないモデルばかりで、もしかしたらまだ一般販売がされていないプロトタイプのアンドロイドなのかもしれない。広いカムスキーの部屋を見渡すと、キッチンの近くに女型アンドロイドの姿が見えた。
ハッと息を飲む。私はそのアンドロイドの美しさに目を奪われたわけではない。金色の髪と青い目の、まるで本物の人間かのような美しい機械人間。それは私の仕事を奪ったアンドロイドと同じ見た目をしていた。
足早に女型アンドロイドに近づく。私と目が合うなり彼女は「こんにちは」と挨拶をした。そのアンドロイドは私から仕事を奪ったアンドロイドとはまったくの別物だ。しかし同じ顔をし、同じような挨拶をした彼女に対し、嫌な記憶が蘇るとともに醜い感情に心を支配される。
「彼女はクロエだよ。私の身の回りの世話をしてくれている。君も何かあれば彼女に頼むといい」
私の後を追ってきたのか、いつの間にかカムスキーが横に立っており、同じようにアンドロイドを見つめていた。このアンドロイドの名前は“クロエ”。もしかしたらあのアンドロイドも現に、私の居なくなった職場で周囲から“クロエ”と名前を呼ばれているのかもしれない。
「どうした?」
嫌な想像をしていた私の思考をカムスキーの声が引き裂く。自分がどんな表情をしていたかは分からないが、カムスキーは私の顔を覗き込んでいた。
「私が解雇される原因になったアンドロイドと同じ顔をしてる」
呟いた声は意図せず低くなり、自分の胸にどす黒い感情が広がっていくのが分かる。カムスキーは私の言葉を聞くなり、まるで「なるほど」とでも言いたげに両眉をあげ、フーンと鼻で長くため息をついた。
「君はそのアンドロイドを憎んでいる、と?」
カムスキーの言い方が気に食わず、私は思わず彼を睨んだ。私の生活を狂わせた原因はこの“クロエ”にあるのだから、憎んでいないと言えば嘘になるだろう。しかしアンドロイドを憎んだところでどうにもならないという事などは自分が一番良く分かっていた。
「君が憎むのはそのちっぽけなくだらない会社であって、敵意の対象をアンドロイドにするのはお門違いなんじゃないか。アンドロイドに罪はないだろ」
まるで心を読むように考えていたことをそのまま言われ、頭に来た。私はカムスキーの方向へ体を向け、叫ぶ。
「あなたに何が分かるの。アンドロイドを作った張本人に言われたくない」
広い部屋に自分の大声が響く。壁がビリビリと震えているような気さえしたその時、私は少しだけ後悔した。私の目を見るカムスキーの目から、夫としての穏やかで優しい微笑みが消え、冷ややかな色だけになっていたからだ。
「君には少し、“しつけ”が必要だな。」
次の瞬間。素早く伸びてきたカムスキーの腕が私の肩を掴み、もう片方の手が顎を掴んだ。声を上げる余裕もないまま、強い力で動きを封じられ、顔をグッと近づけられる。鼻や、頬や、口唇が触れあいそうな距離だった。
本当の夫婦ならば、このような行為は日常茶飯事なのかもしれない。しかし私たちは表面上の夫婦で結婚式すらあげていない上に、恋人ですらないのだ。
しかし、カムスキーの顔はそれ以上私の方へ近づくことはなかった。目を細め彼の顔を見ると、目が合うなりフン、と鼻を鳴らし、笑う。
「。君にはサイバーライフに来てもらう。私の役に立つことだけを考えろ」
カムスキーは吐き捨てるように呟き、私の体を解放した。