スノーホワイト - 1
私たち機械に感情がないと一番初めに言ったのは、恐らく彼だ。彼が私を作らなければ、私が彼と出会わなければ、こんなにも苦しく悲しい足枷にしかならない邪魔な感情なんてものは知らずに済んだのに。恋や愛なんてそんな形のないようなもの私は知らない。知らないはずだった。プログラムの異常だと片づけてしまえれば良かったのかもしれない。しかし私の中に確かに、感情は存在した。
私はイライジャに恋をした。彼を愛していた。
「SW700、何か喋って」
男性の声が聞こえる。白い蛇のような長い器具が自分の腰の辺りに刺さっているのが分かった。それが音を立てて外され私の体は地面にしっかりと立つ。足の裏に覚える床の感触はひんやりとして気持ちが良い。体には薄い布が巻かれていてほとんどの部分は見えなかった。
「私はSW700。あなたのお名前は?」
その言葉が自然と口から出て、目の前に立つ長い髪の男性は、フ、と静かに笑う。彼は私が生まれて初めて見る人間だったが、どこかで見たような顔だった。
「私はイライジャ・カムスキー。君を作った人間だよ。君の親だ」
親?と頭の中で彼の言葉を繰り返す。親という言葉は知っている。しかし目の前の男性は私が知る“親”という生き物にしては若すぎる気がした。イライジャと名乗った彼は私の耳の上あたりに手を伸ばし、髪をそっと撫でた。その行為と彼の優しい表情は“親が子を愛おしく思っている”それを体現しているようだった。
「今日から君の名前は、だよ。ほら。返事をして」
「はい。私は。イライジャ、ご用件は?」
「なにもないよ、大丈夫。いい子だね」
イライジャは私の頭に手を置き髪を撫で続けていた。機械として生まれた私が初めて感じたぬくもり。それは彼の大きな手。その日から私はイライジャに褒められ、頭を撫でられるのが何よりも好きになった。
私はイライジャにという名前を貰い、SW700という型番はほとんど口にしなくなっていた。自分の居場所はいつも同じ。イライジャが作業をする実験室の片隅にある小さなガラスケースの中。二人きりの実験室はまるで雪原のように白く眩しくていつも静かだった。イライジャは一生懸命にデスクに向かっている事が多く、時には名前も分からないような器具と一日中にらめっこをしている。本当に文字通りいつでもアンドロイドの事を考えているような人だったと思う。
「イライジャ」
私がその背中に呼びかけると彼はすぐにこちらを向く。そして私が入っているガラスケースの前までゆっくりと歩き、ガラス越しに私を見つめた。
「どうした?」
「いえ、お疲れのように見えます。少しお休みしては?」
イライジャは作業中、私をこのガラスケースから出す事は決してなかった。しかしこうして彼の名前を呼び、体の心配をするといつも優しく笑いかけてくれる。私は彼に恋をしていた。私を作り私をこの世に生み出した親であるイライジャを愛していた。これは私の中に存在してはいけない“感情”。あくまでプログラムの異常にしか過ぎない。この恋が不毛なものでもいい。無意味なものでもいい。ただイライジャが私に優しく笑いかけてくれるならそれでよかった。
しかしこの日のイライジャはいつものように私に笑いかけてはくれなかった。目を細め眉間に皺を寄せながら難しい顔をして私を見つめる。
「イライジャ?」
名を呼ぶと彼はハッとし、細めていた目を元に戻す。こちらを見ながら「大丈夫だよ」と言い、不自然に目をそらした。その行為が私には強い“拒否”に見えた。
ここ最近、イライジャは私に触れてくれない。彼に褒められ頭を撫でられるのがとても好きだった。イライジャの手はとても安心する。しかし近ごろは何をしてもどんな言葉をかけても、それをしてくれる事はなかった。そしてもうひとつ。イライジャはいつもの優しい笑顔をあまり見せなくなった。
彼は恐らく分かっていたのかもしれない。私の好意を。自分が作った“機械”であるはずの私が感情を持ち始めている事にイライジャは気付き始めていたんだ。もしかしたら私が彼を見る目や問いかける声を気味悪がられたのかもしれない。そう考えると悲しかったが、イライジャが私をこの実験室から追い出すことはなかったので、私は彼の背中を見つめるだけで十分だった。彼の傍に居られればそれで幸せだった。
私が生まれたこのサイバーライフという会社は、初期型のRT600やJB100を筆頭とし、次々と新型のアンドロイドたちを生み出していた。一般家庭用、荷物運搬用、パトロール用など用途や見た目は様々だった。そしてある日のこと。私が居る実験室にある、いつもイライジャが使っているデスク。その上にタブレットが置かれていた。ころころと変わるその画面の一部にアンドロイドのデザイン案や生産に関するデータのようなものが見える。目を凝らした時“それ”を視界に入れたことを後悔した。タブレットには“SW700”の文字が見え“100万体生産”と大きく表示されている。
私が大量生産される?心の中で呟いたはずなのに、その声は動揺で震えているように思えた。自分は機械だ。人間の役に立つためにこの世に生み出された。大量生産され販売されればこの国中に自分の分身が溢れかえる。そんな当たり前のことは何とも思わないはずだった。
自分の口唇が細かく震えていることに気付く。私は怖い。大量生産されて自分の分身たちがこの世に溢れかえったら、今ここに居る私自身はどうなるのだろう。ここに居られなくなるのだろうか。私も売り出されてしまうのだろうか。イライジャと離ればなれになってしまうのだろうか。
自身の歯がぶつかりカチリと音を立てた瞬間、実験室のドアが静かに開いた。驚き、すぐにその方向を見ると部屋の中にイライジャが入って来たのが見える。彼の名前を呼ぼうと思い口唇を開きかけたその時、私は動きを止めた。イライジャの後ろには数体のアンドロイドが着いて歩いていて、それらは実験室の真ん中あたりでまるで兵隊のように整列して止まる。そして私は目を見開いた。そのいくつかのアンドロイドの中に、自分と瓜二つのアンドロイドが立って居たのだ。
「あ、」
小さな声が漏れたが、ガラスケースに阻まれたそれはイライジャの耳には届かないだろう。私は口元を手でおさえながら彼を見つめた。データが表示されているのだろうか、片手にタブレットを持ち、何度もアンドロイドの顔を確認する。時にはそのボディに触れ動作の確認をしているように見えた。
そしてイライジャは一体のアンドロイドの前で足を止める。恐らくあれは私と同じ型番のSW700。顔、髪型、体型、目の色や髪の色に至るまですべてが私と同じ。彼はなんの躊躇もなくSW700の肩に触れた。そして二の腕から肘まで手を滑らせ、腕の関節を確認する。その触れ方は私が初めてこの世に生み出され、イライジャが私の名前を呼んだときと同じように見え、胸が苦しくなるのが分かった。
まるで私の時と同じように、そのアンドロイドに触れないでほしい。頭の中で何度も何度もその言葉を繰り返しても、イライジャの手は止まらなかった。腕の関節を確認した彼はゆっくりとSW700の髪に触れる。彼の長い綺麗な指にSW700の髪が絡まった。
胸の奥にあるシリウムポンプが大きな音をたてて鳴った。目の前が真っ暗になったかと思うと、まるで何かのシグナルかのように全体が赤くチカチカと光り出す。鉛のように重く感じる脚をひきずり、強い重力がかかっているかのように重くなった腕を持ち上げ大きく振り下ろした。私は知っている。これは人間の中だけに存在する“嫉妬”という“感情”だ。
実験室に聞いた事のない音が響く。気が付けば私は自分が入っていたガラスケースを扉ごと破壊し、膝をついて床に倒れ込んだ。腕や脚、至る所にガラスの破片が突き刺さり、床はブルーブラッドで青く染まる。
「“その子”に、触らないで、イライジャ」
大きな音に驚いたイライジャが呆然とこちらを見ているのが分かったが、大量の出血からか自己診断プログラムが起動し目の前の視界が何かで遮られる。
「?」
イライジャが私の名前を呼んだ。しかしその表情が私には分からない。
「私、あなたが好き」
彼の方向に手を伸ばしその名を呼ぼうとした瞬間、実験室のドアが開く。バタバタと大きな足音をたてて数人の男性が実験室に入って来ると、イライジャと私を交互に見て、混乱しているのか震えた声で口々に言った。
「な、なんだこれは」
「どうなってる」
「まさか、これを、SW700が?」
ぼたり、ぼたりと不気味な音を立てて自分の体からブルーブラッドがこぼれ落ち、床に溜まっていくのが見え、意識がだんだんと遠のく。
「」
私の名前を呼ぶイライジャの声が聞こえ何かが肌に触れた。彼が私に触れてくれたのだと思い安心して顔を上げたが、それはイライジャではなく先ほどの男性たちの中の一人の腕。私の体を乱暴に掴み、立たせる。先ほどよりも多いブルーブラッドが体から流れ、失いそうな意識をなんとか保とうと瞬きを繰り返した。
助けて、イライジャ。そう口にしようとした瞬間、もう一人の男性が反対側から私の腕を掴み、捕らえるように強く拘束される。何が起きたか分からなかった。そしてそのまま自分の体が引きずられ、実験室の出入り口が視界に飛び込む。
「離して、離して」
不鮮明になる視界と床にこぼれ落ち溜まっていく深く青い血液。うるさい耳鳴りで聴覚がまともに機能しない。
「離して、離して、イライジャ、イライジャ、離して、離して、助けて、助けて」
頭の中に浮かぶ単語を何度も何度も繰り返し口にする。彼の方向を見る体力が今の私にはない。私はそのまま外に連れ出され、背後で実験室の扉が閉まる音を遠のく意識の片隅で捕らえる。最後までイライジャがどんな顔で私を見ていたのか、分からないままだった。
その日から、私は実験室とは別の部屋で隔離された。あの雪原のように真っ白な実験室とは違い、わずかな照明しかない薄暗い部屋。なにより、デスクに向かう彼の背中が見えない事が、私にはさびしくて仕方がない。
自分の頬に何かが触れたことに気付く。手を這わせてみると指先が濡れ、わずかな光源で輝いている。これは涙だろうか?アンドロイドである自分が涙を流すだなんて、こんな事あり得るのだろうか。
恐らく私は“人間に危害を加えた欠陥品”として処理されるのだろう。きっとシャットダウンされ、バラバラにされて捨てられるんだ。そう考えると首の後ろの辺りに寒気を感じた。シャットダウン。それはつまりこの体の全機能が停止する事。つまりは、死だ。
「イライジャ」
誰も居ない部屋の中で、小さく呟く。シャットダウンされるという恐怖よりも、もうイライジャに会えなくなるという事実の方が、私の胸を締め付けた。私の目に再び涙が溜まり、耐え切れなくなったそれは下まつ毛から零れ、頬に筋を作る。涙を流すだなんてまるで人間みたいだ。そう思ったが、体温のない自分の目から溢れる液体は冷たく、人間のそれとはまるで違っていた。
私はどう足掻いても、機械。人間の彼と同じには、なれないのだ。