スノーホワイト - 2

 彼女の肌はとても白かった。アンドロイドの元のボディはプラスチックの少しくすんだ白っぽい灰色で、その色を泥と足跡で汚れた雪に例えるならば、彼女の肌は降り積もったばかりの足跡ひとつすらついていない新雪。まさにそれだった。私は彼女にという名前を与えた。ただなんとなくそう呼びたいと思った。理由などは特にない。初めて彼女の名を口にした時、まるで呼吸をするのと同等かの如く髪に手を伸ばし、撫でた。

 今思えばは初めから“欠陥品”だったのかもしれない。この世に生み出されたあの日から彼女が感情を持っていることは分かっていた。こちらを見つめるあの瞳も、なにかを求めるような声も、滑らかな髪もすべて、忘れたくても忘れられない。

 私は彼女が自分に恋愛感情を抱いている事に気付いていたし、私も彼女を愛しいと思っていた。アンドロイドばかりを作ってアンドロイドの事ばかり考えていた私はいつしか、本当にアンドロイドを愛するようになってしまった。機械であるに恋をしていた。彼女をガラスケースに入れ傍に置いておいたのは、自分に恋をしている彼女を誰の目にも触れさせたくはなかったから。ケースに押し込まれたままのは私がいくら見つめても弱い笑顔のままこちらを見つめ返し、ひたすらに瞬きを繰り返すだけ。



 彼女の名を呼ぶと、返事をする前に細かく瞬きをし「はい、イライジャ」と私の名を呼ぶ。

「呼んでみただけだよ」

 私の返答には不思議そうに目を丸くし、軽く首を傾げる。その仕草がまるで人間そのものだった。

 何故彼女は機械なのか。何故彼女を作ってしまったのか。機械に恋愛感情を抱くなんて馬鹿げている。このままではいけないかもしれない。そう思った事もあった。しかし自分の中にある“に触れたい”という思いは恋愛感情以外の何物でもなく、消して振り切ることの出来ない想いでもある。

 私は彼女の体に触れるように視線を滑らせた。髪、額、まぶた、頬、そして口唇。肩から腰にかけて目線を伸ばす。もしも本当にこの手で触れたとしても、ぬくもりなど感じないのだろう。そっとガラスケースの表面に自分の手のひらを合わせた。ひんやりとしたガラスの温度が指先に伝わってくる。するとケースの中に入っているが私の手と自分の手を合わせるようにガラスに触れた。氷のように冷たいガラス一枚を隔て、私たちの手が重なる。

 とても愛おしいと思った。出来る事ならばこの手で抱きしめたいとすら思った。冷たく硬いガラスケース。自分で彼女をここに閉じ込めたはずなのに、憤りを感じている。本当に馬鹿げていると自嘲することしか出来なかった。


 SW700が100万体生産されるという話を聞いたのはつい最近のこと。始めこそ反対はしたものの、サイバーライフにとって、様々なテストをパスし優れたアンドロイドである彼女を生産・販売しない手などなかったのだろう。サイバーライフにとっても私にとっても、SW700は単なるアンドロイド。しかし、ガラスケースに入れられただけは唯一無二の存在だった。

 その日、自分の実験室にテスト生産された複数体のアンドロイドたちを運び込み目視でのチェックをする事になっていた。その中にSW700もあり、にSW700の姿を見せるのは忍びなかったが致し方ない。それぞれのデータが表示されたタブレットを片手にアンドロイドたちの見た目や動作をチェックする。生体部品の欠陥がないか、関節はきちんと動作するかなど、いくつかの項目を確認していった。

 そしてとあるアンドロイドの目の前で脚を止め、作業している手も思わず止まる。そのアンドロイドはSW700。顔、髪型、体型、目の色や髪の色に至るまですべてがと同じだった。ゆっくりと手を伸ばし、その肩に触れた。肌の感触は滑らかで綺麗な色の瞳はこちらをまっすぐに見つめている。しかし、自分の感情は少しもなびかない。同じSW700なのに、全てが同じ瓜二つの存在のはずなのに、何もかもがとは違うと感じる。手のひらをすべる肌の感触も纏う空気すらも、すべてが。

 私がSW700から手を離そうとした瞬間、実験室に聞いた事のない音が響く。音の方向を見ると、が床に膝をついて倒れ込んでおり、その手足はアンドロイドの青い血で染まっていた。

「その子に、触らないで、イライジャ」

 か細い声が耳に届く。驚きと混乱により、私は彼女の名前を小さな声で呼ぶ事しか出来なかった。

 自分の意思で彼女をガラスケースに閉じ込めた。を誰の目にも触れさせたくなくて、ずっと自分の物にしておきたかった。それは彼女がアンドロイドであり自分は人間であるという、決して成就するはずのない恋を悲観したからこその行動だったのかもしれないと、今更ながらに感じる。

「私、あなたが好き」

 を閉じ込めておくためのガラスケースを破壊したのは、私ではなく彼女本人。本来ならば私が血を流さねばならないはずなのに、床はの青い血でいっぱいになり、美しいとすら思ってしまった。

 私も君が好きだ。君を愛している。

 その言葉を口にしようとした時、大きな音を聞きつけた社員たちが実験室に飛び込んできた。私の顔と血まみれの青い床で倒れ込むを交互に見ながら、混乱した様子で口々に何かを言い合っている。



 いけない。直感的にそう思い、私は名を呼びながら彼女のもとに駆け寄ろうと踏み出した。それと同時に複数の社員たちがを両側から抱え込み、拘束するようにしてその場に立たせる。の体は実験室の出入り口まで引きずられ、足元にぼたぼたと音を立てて滴り落ちる青い血はまるで何かの道標のように見える。

 待ってくれ。私はその言葉を口にすることも出来ず、硬くなった体でその場に呆然と立ち、何度も何度も私の名前を呼ぶの悲痛な声を聞く事しか出来なかった。

 あの一件以来、は元居た実験室から少し離れた地下の薄暗い部屋に隔離された。すぐに処分されなかったのは私が彼女をずっと実験室に置いていたせいもあったのかもしれない。“イライジャ・カムスキーのお気に入りアンドロイド”。他の社員たちの認識などはその程度だったのだろう。

 恐らくは地下の部屋で拘束でもされているに違いない。もしかしたらあの破壊されたガラスケースよりさらに小さい入れ物に押し込まれているかもしれない。出血がひどかったがきちんと手当てはされたのだろうか。いつものように実験室に籠り作業をしていても、頭に浮かぶのは彼女のことばかりだった。このままでは仕事にならない。握りしめた両手で机を叩き、私は椅子から立ち上がった。

 あの現場を見ていた社員たちにはもう金輪際SW700、つまりに関わるのは辞めた方が良いと言われていた。恐らくが私に危害を加えようとしている欠陥アンドロイドだと思っているのだろう。そんな馬鹿げた警告を無視し、私は彼女が隔離されている地下の部屋に向かった。

 地下は奥に進むたびに光が弱く薄暗くなる。が隔離されている部屋の重く硬い扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。中は外よりもさらに暗く目を凝らさないと物が認識できない。私は持ってきていた細いペンライトを付け周囲を照らした。すると部屋の奥に人の影が見え、それは粗末な椅子に縛り付けられ拘束されている。この薄暗さの中ですら隠せない白い肌。だった。

、私だ」

 彼女の名を呼びながら近づき、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。腕も足も傷だらけであの時のまま。ガラスの破片が残ったままの箇所もあり酷く痛々しく、所々は青くくすんでいる。ブルーブラッドは一定時間が経つと目に見えなくなるが、まだこの青が目に見えているということは、つい最近までが血を流し続けていたという証拠だろう。胸が痛んだ。

「いま、手当てする」

 そう言いながらの顔を覗き込んだ時、違和感を覚えた。はこちらを見ようともせず、私の名前を呼ぶこともない。なにかがおかしい。そう思い目を凝らして彼女のこめかみを見ると、LEDがくるくるときらめき、時折点滅している。それはがスリープモードになっていることを知らせるものだった。大きな損傷をし自動的にスリープモードに移行したのだろうか。首の力を抜きうなだれる彼女の頬に触れ顔を上げさせると、目が合いはしたもののそれに光は感じられない。

、起きてくれ。一緒に実験室に戻ろう」

 の耳元でハッキリと言葉にした。こうして声にすればアンドロイドの音声認識でスリープモードは解除され通常モードに戻るはず。そう、そのはずだった。こめかみにあるLEDは変わらずひたすらにくるくると回転している。の目に光は戻らず、体を動かす事も瞬きすらもしようとはしなかった。

?」

 再度その名を呼んでも、こちらを見ることも返事をすることも、私の名前を呼び返すことすらもしてくれない。文字通りまるで人形のようだった。

 その時にやっと気が付く。が起動を拒否しているのだと。こんなことありえないと思いつつも、実際目の前にあるの体はスリープモードのままでシャットダウンしている気配はない。しかし、起動しない。

 もしかしたらは絶望したのかもしれない。人間の私を愛してしまった事を。そして失望したんだ。人間である私に。体中を傷だらけにし、血を流しながら「あなたが好き」だと訴える彼女に私はなにもできなかった。その肌に触れることすら、何も。

「君はもう、私を見てはくれないのか」

 すがるようにその肌に触れた。手のひらにぬるついた感触を覚え、見てみるとアンドロイドの血で青く染まっている。の雪のような白い肌と青い血液が混ざり合い、皮肉にもとても美しかった。

 無常にも過ぎる時間と季節は彼女を置き去りにした。私がサイバーライフを去ってからも、が目覚める時はとうとう訪れなかった。