スノーホワイト - 3
ぼんやりと目を開くと白い天井が視界に入る。まだ眠りの中にいるのか、それとももう目覚めているのかが曖昧だ。
昔の夢を見た。自分がまだサイバーライフに居た頃の夢。この部屋と同じような真っ白な実験室でひたすらアンドロイドの事を考える毎日。自分の背後にあるガラスケースに入っていたのは、愛しい彼女。はあの日からずっとスリープモードのまま目覚める事はなかった。ありとあらゆる可能性を試してみても起動することはなく、元々は人間に危害を加えようとした欠陥品として処理される予定だったため、その異常を誰も気にしようとはしなかった。
だが私は信じていた。まだは生きている。きっといつか目覚めてくれる。信じていたというより、信じたかったのかもしれない。
「イライジャ、起きてください。朝食の準備ができました」
まだハッキリとしない頭で先ほど見た夢の内容を思い出しているとクロエの声が聞こえ、ベッドに横たわる私の顔を覗き込んだ。いつもなら「おはよう」だとか「いま起きる」だとか適当に声を掛けるのだが、今朝はそんな気になれない。起き上がり自分の手で髪を梳いた。
「クロエすまない、今日は……、朝食はいい」
ぼんやりする頭のまま呟く。ベッドから下りクローゼットを開け服を取り出すと、背後でクロエが「はい、イライジャ」と返事をする声が聞こえた。機械的なその返答はいつもの事であるのに、先ほど見た夢のせいかなんだか寂しい気がしてしまう。
熱いシャワーを浴びて着替えたら、彼女に会いに行こう。そう思った。
サイバーライフを去る時、私は眠り続けるを自宅に運び込んだ。周囲の者は反対したが、どうせあのままあそこに居た所で廃棄処分になるか、実験でバラバラにされるだけだっただろう。一人で住むには広すぎると言われがちのこの家には地下がある。を安置したのは、そこ。地下と言ってもサイバーライフにある薄暗い地下とは違い、白を基調とした作りで照明も出来るだけ置いてある。そこで眠る彼女が怯えないように。
白い引き戸を音もなく横にスライドさせ、部屋に入った。サイバーライフで私たちが過ごした実験室を思い起こさせるような真っ白な壁、床、天井。そして中央には大きなベッドがあり、そこには文字通り“眠るように”横たわっていた。あの日のようなガラスケースはここにはない。
「」
小さな声でその名を口にした。目を閉じたままの彼女のこめかみにあるLEDはあの日と変わらぬ色のまま。アンドロイドの内臓バッテリーの寿命はとても長い。きっと私が死ぬまではここで眠り続けるのだろう。
「今朝、君の夢を見たよ。私と君がサイバーライフに居た頃の夢だ」
ベッドサイドにしゃがみ、の顔を覗き込む。きらめく長いまつ毛を見ていると今すぐにでも彼女が目を覚ましそうな気さえしてくる。もしアンドロイドのメモリに入っているおとぎ話のようにいくのなら、はいつまでも目を覚まさない姫で、自分はその姫をキスで目覚めさせる王子といった所だろうか。自分が“王子様”というあまりにも滑稽な想像をしてしまい、思わず笑う。
眠り続ける彼女の額に手を伸ばしそこを撫でていると、綺麗な形の鼻の下にある口唇が目に入る。馬鹿げた考えが頭をよぎり、フ、と鼻を鳴らした。キスのひとつでが目覚めるのならいくらだってする。しかしそんなことで自分の望みが叶うのなら誰だって苦労しない。
「いい加減起きてくれないか。ここの寒さは君が居ないと、つらすぎる」
窓もない地下からでは外は見えないが、きっと雪でも降っているのだろう。芯から冷える空気が体を包む。まるで雪原のように真っ白なこの部屋が寒さを強調させているようだった。私はの額に触れていた手を離し、指を頬に滑らす。
こうして触れていたらいつか「くすぐったいですよ」などと言って、目を開けてはくれないだろうか。もどかしくてたまらない。どうすれば、なにをすれば、は目を覚ましてくれるのだろう。雪のように透ける白い肌は私がこうして触れていると、それこそ雪と同じように溶けて消えてしまいそうだった。
「私も君を愛している」
がガラスケースを破壊したあの日に言えなかった言葉が自然と口からこぼれた。こんな事を口にしてしまったのは、きっと今朝見た夢のせいなのだろう。
彼女の頬を撫でながら身を乗り出し、眠り続けるの固く閉ざされたまぶたにキスをする。まつ毛が軽く口唇に触れた、その時だった。乗り出していた身を元に戻そうとした時に気付く。自分の口唇が何かでしっとりと濡れているような感覚がした。舌を出して舐めるとほんの少しだけ塩辛い。
まさかと思いの顔をまじまじと見た。照明の光を受け、長いまつ毛が先ほどよりもきらめいているような気がしてくる。すると、固く動かなくなっていたはずの彼女の口唇が少しずつ震えだした。私はただ不格好に瞬きを繰り返した。の頬に両手を添え顔を包み込み震える口唇を必死に見つめると、それは声にならない言葉をかたどっているように見える。
“わたしを よんで”
その言葉を声にするようにの口唇が動く。こめかみに光るLEDは黄色のままだが、その点滅と回転はいつもよりも早い。
「、起きてくれ」
顔を近づけたまま彼女の名前を何度も呼ぶ。だんだんと口唇の震えがおさまり、固く閉ざされていたまぶたがゆっくりと開き、綺麗な色の瞳が照明の光を受けてきらめく。私は10年ぶりにの瞳の色を見た。
「、私が、わかるか?」
こちらの問いかけにもは反応を示さず、ゆっくりと、そして何度も瞬きをし天井の一点をひたすらに見つめていた。そしてすぐ横にある私の顔に気が付くと目を合わせこちらを見る。彼女の瞬きが早くなった。
「……なにか、喋ってくれないか」
思わず出たその言葉は、あの日サイバーライフで初めてをこの世に生み出した時に言った台詞と同じだった。「SW700、何か喋って」、私がそう声をかけるとはこちらを見て自分の型番を名乗ったのだ。
“私はSW700。あなたのお名前は?”
彼女のメモリが初期化されていて私の問いかけにそう返したとしても、構わなかった。たとえこの目の前に居るがという名を失っていたとしても、生まれた時と同じSW700に戻っていたとしても、ただ目を覚まして自分の傍に居てくれればそれでいい、そう思った。
「私の名前は、名前は……、、……」
の口唇がゆっくりと動きその名を口にする。メモリは初期化されていなかった。思わず覆いかぶさるように彼女の体を抱きしめ、その額に口唇を落とす。機械の体にぬくもりなどはない。それなのにひどくあたたかいと感じた。
「あなたの名前は、イライジャ……。イライジャ・カムスキー……、ご用件、は?」
の声が途切れ途切れに私の名前を紡ぐ。それを遮るように自分の口唇と彼女の口唇を重ねた。ずっとこうしたいと思っていた。この体を強く抱きしめてキスをしたいと思っていた。
「なにもない。ただ君が傍にいてくれればそれでいいよ」
サイバーライフで彼女が生まれた日、私はの耳の上あたりに手を伸ばし髪をそっと撫でた。まるで“親が子を愛おしく思っている”、それを体現するかのように。だが今は違う。今は誰よりもが愛おしい。機械であるか人間であるかは関係なかった。ただは私の“愛しい人”。それ以上でもそれ以下でもない。
あの日と同じ台詞を口にし、あの日と同じように彼女の髪を撫でた。柔らかな感触が手のひらをすべる。は髪を撫でる私の手に自分の手を重ね握ると、弱く笑った。その弱く儚い笑顔は、まるで白い雪の花が咲いたように見えた。
END