神の星 - 7
<みなさん!楽しんでいただけていますでしょうかぁ!>
音が割れそうな程の大声が闘技場のリングに響き渡る。うるささに両手で軽く耳を塞ぐと、椅子に座る西谷さんの背後に隠れるようにほんの数歩だけ身を退いた。すぐ横で顔に大きな傷が複数ある客人が椅子に腰を下ろす。西谷さんが呼んだ客だ。名は確か獅子堂。前々から獅子堂さんの話はよく聞いていたが、本人の顔を見るのは初めてだった。
闘技場では特殊なスポットライトによって近江連合の代紋が浮かび上がり、大きな花火と共に花吹雪が舞っていた。観客たちの期待を煽るかのようにライトがぐるぐると回り歓声が上がる。キャッスルの生活にはそれなりに慣れて来たが、闘技場での娯楽だけは未だに理解が出来ない。
「獅子堂よぉ」
オットマンに脚を乗せ、世話係の一人にペディキュアを塗らせている西谷さんが客人の名を呼ぶ。西谷さんの両脇には女性が二人。ネイルの施された綺麗な右手をひらひらとさせながら顔の前まで持って来ると指先を見つめた。
「あの5人、渡瀬組で集めてきたんだろ?いっぺんに死なせちゃっていいのか?」
問われた獅子堂さんは西谷さんに目線を送りながら「今夜のキャッスルを盛り上げるためですわ」と呟く。闘技場を見据えるかのように前を向くと、椅子に座り直し体勢を変えた。
「それに全員がやられるとも限りません」
「へぇ……、なんか面白いのでもいた?」
西谷さんはまるで口付けでもするかのように指先に息を吹きかけ、ネイルを乾かす仕草をした。獅子堂さんの言葉に興味をそそられたのか、妖しい笑みを浮かべながら目線を送る。
「ええ、期待の新人がひとり」
獅子堂さんは西谷さんにつられるように歯を見せて笑った。
私は二人のやり取りを妙に思う。獅子堂さんは体が大きく、私のような女など片手で軽く絞め殺せそうなほど力があるように見えた。こんな人が西谷さんに敬語を使い、下手に出ている状況に違和感を覚える。それだけ西谷さんが権力者なのだということは分かっていた。しかし私には単純に獅子堂さんがとてつもなく恐ろしい人のように見えた。
何となく獅子堂さんを見つめていると彼がこちらを見たため目が合った。まるで蛇に睨まれた蛙かのように体が固まり目がそらせなくなる。獅子堂さんの目は深く、吸い込まれそうな色をしている。何を考えているか底が見えないような不気味さがあった。
<われらの渡瀬組長が……、真っ赤な花を咲かせます!>
再び大きなアナウンスが響き渡り、私は獅子堂さんから無理矢理に目をそらしてリングを見下ろした。渡瀬組長役の男が釘が大量に刺さったバットを手に相手選手を威嚇している姿が見える。いつか会うことになるであろう渡瀬さん本人もあんな顔をしているのだろうか、とぼんやり考えた。
気が付けば何連戦かが終わり、闘技場は最高潮の盛り上がりを見せていた。『浄龍』という名のチャレンジャーが連勝し、新たなスター誕生だと会場が沸いているようだった。
「ほな、俺はイベンターのお役目がありますんで」
獅子堂さんはそう言って椅子から立ち上がった。西谷さんは何も言わずただ真っすぐに闘技場だけを見ている。ほんの数秒の沈黙。西谷さんの後ろ姿を黙ってジッと見つめる獅子堂さんの瞳は先ほどと同じだった。深く吸い込まれそうで、何を考えているか底が見えないような不気味さを秘めたままだ。
この人は一体何なのだろう。まるで彼自身にもやがかかったように、何もかもがはっきりと見えてこない。獅子堂さんは西谷さんの背中に向かって一礼し、そのまま部屋を出て行こうとしていた。なにはともあれ一応は客人だ。見送りをするべきかと思い獅子堂さんよりも先に出入口に小走りで向かい、襖を開けて帰りを促す。小さく会釈をすると獅子堂さんは私を睨むように見下ろしていた。
「あんたか」
「え?」
言葉の意味が分からずにあっけにとられていると、獅子堂さんに腕を取られ部屋から引きずり出される。そのままゆっくりと襖は閉められ、誰も居ない廊下に二人きりとなった。耳が壊れそうになるほどの闘技場のアナウンスもこの場所では聞こえてこない。
「あんたが西谷会長のお気に入り、やろ?話はよう聞いとるで。そこそこ美人で、そこそこ胸と尻がええ女。……噂通りやな」
獅子堂さんに頭のてっぺんからつま先までを舐めるように見られる。不快感を覚え距離を取ろうと一歩後ずさると、獅子堂さんはまるで私を馬鹿にするようにハッと鼻で笑った。大きな体がゆっくりとこちらに近付き、せっかくあけた距離をなかったことにされる。獅子堂さんは私の背後にある壁に手を付くと腰を折り、顔を傾け耳元に口唇を近付けた。
「なぁあんた。会長には気い付けや。あの人はあんたみたいな女がどうこうできる人やない。次に目え覚ました時はあの世かもしらんで」
耳元で囁かれた彼の言葉に悪意を感じた。文字だけで見るならば悪意というより単なる恐怖から来る警告に過ぎないだろう。しかし獅子堂さんは西谷さんを恐れているようには見えなかった。至近距離でこちらを見下ろす大きな瞳が、それを物語っているように感じる。
私のような人間に西谷さんがどうにも出来ない存在だということは分かっていた。あの人は初めて会った時から何一つ変わっていない。彼は最初から残忍で凶暴で、まるで甘い血を浴びた刃物のような人だ。
「それでいいです」
「あ?」
獅子堂さんは表情を歪ませてこちらを見た。返答が意外だったんだろう。顔に大きく『なんて?』とでも書いてあるような表情をしていた。
「次に目を覚ました時にあの世でもいいです。嬲り殺されるとしても、西谷さんに殺されるのなら、私はそれでいい」
キャッスルに残ると決意した時から今までずっと、私の中に変わらない気持ちがある。それは西谷さんに殺されることが私にとって最良の最期なのだということだった。この場所に飛ばされ彼と出会った時からそれは決まっていたことなのかもしれないと今では思う。
「あ、でも私、死ぬ前に『渡瀬の兄貴』の出所祝いに行かなくちゃ。西谷さんと一緒に行こうって約束したんです。その前に殺されないようにしないとですね」
以前、酔った西谷さんに渡瀬さんの話をされたことを思い出す。獅子堂さんは口を半開きにしながら呆然とこちらを見ていたかと思うと、額に手を当てて喉の奥で小さく笑い出した。
「狂った男には狂った女……、似合いのカップルっちゅうわけやな。ほんま、おもろいわ……」
笑い声が盛大な溜息に変わる。獅子堂さんは額をおさえたまま指の隙間からこちらを睨むように見た。まるで獲物を狩る獣のような瞳だった。
「あんたがどうあっても会長に惚れてるっちゅうんなら、もう俺が言うことなんぞなんもあれへん。どうぞ、末永くお幸せに」
獅子堂さんはわざとらしい敬語で締めくくりながら背を向け去っていく。その大きな背中からは不気味さが消え去っていた。もしかしたら彼は本当に心から私を心配してくれていたのかもしれないなどと、自惚れたような気持ちになる。
「あの……」
ありがとうございました、と口にしようとして躊躇う。『自惚れんなやドアホ』とでも言われてしまいそうな気がしたからだ。言葉になり損ねたとりとめのない声は獅子堂さんには届かなかった。廊下の向こう側に消えていく後ろ姿をぼんやり見つめる。獅子堂さんが一度だけこちらを振り返ったように見えたが、きっと気のせいだったのだろう。
部屋に戻ると西谷さんを取り囲んでいた世話係たちの姿が消えていた。階下の闘技場からはアナウンスや歓声が小さくなり、メインの試合が終わったのだろうということが分かる。私は先ほどまで獅子堂さんが座っていたソファに腰を下ろした。まだほんのりとぬくもりが残っていて、西谷さんの後ろ姿が良く見えた。
「」
西谷さんが低い声で私を呼んだ。「はい」と返事をすると彼はこちらに振り向くことも声を出すこともしないまま顎を少しだけ動かす。それを『こっちに来い』という意味なのだろうととらえた私は、立ち上がって椅子に座る西谷さんの足元に膝をついて座った。
「獅子堂と何を話してた?」
鋭い目がこちらを見下ろしている。私が獅子堂さんを見送ったことは西谷さんも分かっているはずだが、まさか廊下で雑談していたことまで分かっているのだろうか。いくら西谷さんであろうとこの部屋から廊下の話し声まで聞こえるほど地獄耳ではないと思う。
獅子堂さんは私に『会長には気を付けろ』と言った。その言葉には色々な意味が込められているのだろうが、西谷さん本人にこれを聞かせるのは賢明ではないように思う。極道のことは良く分からないが、獅子堂さんと西谷さんの雰囲気を悪くしてしまうような気がした。
「別に。ただの世間話を少しだけ」
嘘をついた。しかし西谷さんは当然のようにそれを見抜いたようで、私の顎を掴んで引っ張り上げる。椅子に座ったままの西谷さんの太ももに手を置き縋りついた。
「俺に言えねえのかよ」
今までの彼であればきっと私の首に手を掛けて絞め上げていたかもしれない。しかし西谷さんの手は私の顎にあって、指先が軽く頬に食い込む程度の力しか込められていない。私は口唇にかかっている太く長い指を甘く噛んだ。西谷さんの目が細められる。
「西谷さんに殺されるなら、私はそれでいいと言いました」
言い終えてからすぐに西谷さんの腕が腰に回り強く引き寄せられる。私は座ったままの西谷さんの下半身に跨り彼の頭を強く抱き締め返した。酒の匂いとネイルポリッシュの匂いが混ざり合い体に纏わり付く。
「殺さねえよ。……今は、まだな」
西谷さんは独り言のように呟くと私の口唇に噛みついた。血が出るのではないかと思うほどに歯を立てられ強い痛みを感じる。その後すぐに熱い舌が私の下口唇を舐めた。私にはそれが慈愛に思えた。
私はたぶん、いやいつか必ず西谷さんに殺される日が来る。それでいい。私の最期は彼に殺されるのが一番良い。西谷さんに心臓を握られ、揉まれ、捻り潰される日を夢見ている自分がどうしてか嫌いじゃなかった。そして散々痛めつけられた後のキスが言葉にし難いほど気持ちいい。
大きな手が肌の上を這って行く。時折抉るかのように立てられる爪に痛みを感じ小さく声を上げた。まるで私の体に優しくナイフを刺し入れてくるような、そんな彼が愛おしくてたまらない。
神に恋をした私はきっと地獄に堕ちるだろう。それでいい。西谷さんさえ傍に居てくれるのならば。私の命をずっと傍に置いてくれるのならば。
END
(2022.12.20)