君だけはそこにいて - 6
見知った顔の幹部たちに殴る蹴るの暴行を加えられ、何発目か分からないパンチで俺は床に膝をついた。不快な鉄の味が口に広がり唾を吐いたがほとんどが血だったようで、床に赤黒い染みが出来る。
今まで自分の死期を悟ったことなんかなかったし、今だってそうだ。ただ、蹴られれば痛いし殴られれば血だって出る。こんなに殴られたのも生まれて初めてだし、もしかしたら無事では済まないのかもしれないという思いが頭をよぎる。
俺が死んだら、横浜流氓はどうなるんだろう。まぁ誰かしらが総帥を継いで上手いことやってくれるかな。俺を信じて着いてきてくれている部下たちだって、そんなやわなタマじゃない。俺がいなくたってきっとやっていける。そう、ボスが誰かなんて関係ないんだ。きっと俺がいなくても。
“わたし、浜北公園にいます!待ってます!……待ってますから!”
あの時の彼女の顔と言葉を思い出した。目を見開いて顔を赤くして、俺に叫んでいたあの姿を。何をそんなに必死になって俺に訴えていたのだろう。俺なんかを待って、どうするというのだろう。
「おーい、趙。もうくたばったのか?だらしねぇなァ」
そう言いながら幹部の一人が俺の頬を軽く叩く。床に膝をついた所までは覚えているものの、いつの間にか仰向けに倒れ込んだようで視界には天井が広がっていた。ゆっくりと体を起こすとあちこちから不可思議な音が響き、痛み出す。内臓は無事だろうが骨や筋肉はどこもかしこもやられているだろう。
ああ、ついにダメかな、なんて自分らしくない想いが頭をよぎる。俺が死んだとしても横浜流氓や部下たちはやっていける。あいつらにとってボスが誰かなんて関係ない。しかし、彼女はどうだろう。は俺を待っていると言った。どれほどの覚悟を持ってその言葉を口にしたのかは分からない。今はもう待っていないかもしれない。それでも俺は彼女の元に行くべきだと強く感じる。ただ俺が、に会いたいと思ってしまったから。
膝の辺りに力を入れその場に立ち上がると、顔や手から血が落ちては床に丸い染みを作っていった。俺の様子を見た幹部たちは「まだやれんのか」と言いながら楽しそうに笑い、再びこちらに向かって構える。
自分の仲間たちに拳と敵意を向けられている。その滑稽な状況に俺は思わず笑い、独り言のように呟いた。
「まだくだばるわけにはいかないんだよね……。俺、浜北公園に行かなきゃいけない用事があるからさ。悪いね」
幹部たちは理解できないのか、眉間に皺を寄せ「はあ!?」と意気がった。男の脚が一歩踏み出され、右の拳が俺の左頬にヒットする。ふっ飛ばされ背後にある机に突っ込むと体中に痛みが走り、倒れ込んだ俺目掛けて数人の拳や蹴りが飛んできた。
今度こそ、落ちる。冷静にもそんな風に考えながら、薄れる意識の端で彼女の顔を思い出した。無知で、頭が悪そうで、平和ボケしていて、“私には、何もありませんから”と寂しそうに呟いていた女。
何もないなんて嘘ばっかりだ。は俺が会いたいと思っちゃうような、イイ女じゃん。いつかまた会った時こんな風に言ったら、どんな顔をするだろうかと想像すると少し笑えた。
…
……
………
半死半生になった俺を助けてくれたのは春日君の昔の知り合いだと言い、名を教えてはくれなかった。
彼らの働きで救われた頃には横浜流氓はもはや再生も難しいほどの混乱に陥っており、俺はその場ですぐに総帥を降りる決断をした。先程殴られながらも考えたことだが、流氓にとって一番重要なのは俺たちが安心していられる住処があるかどうかということ。ボスが誰であるかなどは関係ない。
総帥の座をコミジュルのソンヒに譲ると言うと春日君はとても驚いていたが、コミジュルと横浜流氓はついさっきまで水と油の関係だったのだから無理はないだろう。しかし今、流氓の主導権をソンヒに譲れば、住処を焼かれたコミジュルにも居場所を作ってあげられる。流氓の奴らならきっとうまくやっていけると信じていた。
春日君に別れを告げた後、すぐに慶錦飯店に戻った。部屋に入るなり鏡で自分の顔を見るとあちこちが赤くなっており血が滲んでいる。水で濡らした布で患部を拭くと少し沁みたが今はそんなことを言ってはいられない。応急処置用の救急テープを顔のあちこちに貼り、俺はそのまま部屋を飛び出した。
異人通りから少し出たところに太い道路があり、そこでタクシーを捕まえた。飛び乗るなり運転手がこちらに振り返り「どちらまで行かれますか?」などとありがちなことを言いかけた瞬間、目を見開いて声を上げる。
「お客さん!すごい怪我じゃないか!今から病院に行くのかい?なら隣町の大きな病院に……
「ああ違う違う。病院には行かないよ」
顔の前で手を振りながら声を遮るように言うと、運転手は不思議そうに眉間に皺を寄せた。その視線は俺を不審に思う気持ちと、心配する気持ちが混ざり合っているように思える。
「病院じゃないならどこに?」
運転手はハンドルを軽く握り、こちらに振り向いていた体を正面に向けながら問う。時間帯の問題なのか道路にはたくさんの車が行き交っている。それでも行かなければならない。渋滞にはまろうと、遠回りをしようと、行かなければならない。彼女の元へ。
「浜北公園。……なるべく早く頼むよ、運転手さん」
かしこまりました、と小さな返事がため息交じりに聞こえる。車は滑るように夜の街を走り出し、流れるネオンの光が酷く美しく見えた。