めんどくせえのはおまえのせいです - 前編
康生との付き合いは鶴野さんの次くらいに私が長いと思う。多分。康生のことなら大体のことは知っている。意外にもゴルフが上手いところや、良く飲むお酒の銘柄や、好きな女の子のタイプなども分かっている。何故そこまで把握しているのかと言えばやはり『付き合いが長いから』だろう。でも理由はそれだけじゃない。康生のことをずっと見てきたからだ。私は彼がずっと好きだった。
康生と恋愛関係になるのは私とは正反対の女の子ばかりだった。濃い化粧や派手な衣装を身にまとわなくとも問題ないくらいに元が美しく、それでいて従順で男を立てることを忘れない可愛げのある女の子。胸が大きかったりお尻の形がセクシーだったり今までに色々な人を見て来たが、康生の隣に居るのはいつだって私ではなく、私とは真逆の女の子だった。
きっと私の想いは康生本人どころか周りの人間誰一人知らないだろう。別にそれで良かった。というより、どうでも良かった。私は康生以外の男を好きになれそうにないし、康生は私のことを好きになりそうにない。それならば今の『腐れ縁』の関係のまま、ぬるま湯に浸かっていたかった。そのうち皮がふやけてぶよぶよになり、みっともなく溶けて排水溝に流れてしまっても、もうそれで良かった。
私が勤めるキャバクラは界隈ではそこそこ名が知れている。店は広すぎず狭すぎず、接客態度は可もなく不可もない。在籍しているキャストは容姿が整っている子が多く、綺麗系、可愛い系、セクシー系まで様々なタイプの女の子たちが居た。
康生は頻繁にうちの店にやってきては無茶な飲み方をした。好き放題に飲んで食べて、テーブルにつかせる女の子をとっかえひっかえにする。恐らく自分好みの女の子を探してあわよくばお持ち帰りしようとでもしているのかもしれない。そんな光景を見ても、私は今さら傷ついたりしない。
どんなに無茶な飲み方をし、店で好き放題やっても、店長は康生に対して文句を言わなかった。しかし、その日だけは違った。いつも通り大量のお酒を飲みそれなりに酔った康生は店のテーブルを蹴り飛ばしたのだ。グラス、ボトル、アイスペール、おしぼり、灰皿。様々な物が床に落ち、そして散らばっていく。私と康生が知り合いだということを知っていた店長は私を裏に呼び付け「さっさと連れて帰って!」と怒鳴り散らした。
「なんや、。いまいいとこやろ。邪魔すんなや」
ああだこうだと文句を言いながら抵抗しようとする康生を無理矢理に店から引きずり出す。私のようななんの変哲もない女の力など振り切ることは容易いはずなのに、康生はいつだって私のことを突き放したりしない。反抗すれば面倒臭いことになると分かっているからなんだろう。
「もう!今日はもうおしまいやって。ほら、帰るで!」
大きな腕に手を掛けて引っ張りつつ、開けた道まで出る。そこでタクシーを捕まえると康生の体を車内に押し込んだ。ダウンジャケットを着ている康生に触れていると、まるで大きなぬいぐるみを小さな箱にぎゅうぎゅうと詰め込んでいるような気分になる。
私も車内に乗り込み、運転手に行先を告げた。康生の自宅アパートの住所はもう頭に入っているためスムーズに口から出る。アパートのすぐ手前の通りを指定すると、タクシーはエンジン音を発しながら緩やかに動き始めた。
「せっかくええ気分で飲んどったのにお前のせいで台無しや、ドアホ」
康生はそう言いながら表情を歪ませ、まるで威嚇するかのように私を睨む。ほとんどの人間はその形相を見て恐れ縮みあがったりするのだろうが、私にとっては屁でもない。「はいはい」といなすと、康生は大きくチッと舌打ちをした。
そもそも何故『お前のせい』などと言われなければならないのか。店を追い出される原因を作ったのは康生自身のためそんなことを言われる筋合いなんかない。そんな正論を振りかざして言い返さないのは、私が康生に心底惚れてしまっているせいなんだろう。惚れた弱み、などという言葉は誰が最初に言い出したのか、なんて考えてしまう。
「なぁ、」
黙り込んで窓の外を見ていた私の耳に低い声が届く。声に出して返事をせず、ただ自分の顔を康生の方へと向けた。不信感を覚えてしまうようなニヤケ顔がそこにあった。
「飲み損ねたぶん、キッチリ責任取ってもらうで」
言葉の意味を理解しきるよりも先にタクシーがゆっくりと路肩に止まった。目的地に着いたということに気が付いたのと同時に、康生に腕を掴まれる。そしてまとまったお金を運転手に差し出すと、掴んでいた私の腕を引っ張り、無理矢理に車外へと飛び出した。
「ちょっと、痛いんやけど。放して」
康生はこちらの言い分など耳に入っていないかのようにただ黙り込み、私の腕を引いて歩き出した。タクシーから降りてすぐの所にある汚くて古臭いアパートが康生の住処だ。錆びだらけで軋む外階段を登り部屋の前まで行くと、手早く解錠しドアを開け、私を部屋の中へと押し込む。
「責任取ってもらう言うたやろ。付き合えや」
人ひとりが立てるくらいがやっとのスペースしかない狭い玄関で、私たち二人の体が密着する。康生の言いたいことは分かる。今日楽しむはずだったお酒を一緒に飲め、ということなんだろう。康生好みの綺麗でセクシーなキャバ嬢の代わりを、この私にさせようとでもしているのかもしれない。代わりになんてなれないということは火を見るよりも明らかだ。
康生の自宅に来たのは初めてではない。だから今さら緊張なんかしないし動揺なんかもしない。私はこれ見よがしに大きな溜息をつきながらピンヒールを脱いで上がり込む。相変わらず狭くて汚くて男くさい部屋にどしどしと足を踏み入れ、キッチンにある冷蔵庫を勝手に開けた。中には大量のビール缶がひしめき合うように詰め込まれている。というより、冷蔵庫の中にはそれしか入っていないようだった。
「まぁたビールしか入っとらんやん……。ご飯ちゃんと食べてんの?体壊すで」
まるで母親かのような小言に「やかまし」という反論が飛んでくる。康生はいつも着ている派手なダウンジャケットを脱ぐと、適当な辺りに放り投げた。空気の抵抗を受けたそれがふわりと床に落ちて行く。
散らかった部屋の真ん中に座り込み、私たちは大量のお酒を飲んだ。おつまみも何もない。何かしらの材料があれば軽く一品くらい作っても良かったが、冷蔵庫にはビールしか入っていない。近くのコンビニに買いに行こうかと提案したが、立ち上がろうとする私の腕を康生が掴んで、止めた。
康生はいつも私の腕を掴む。さっきタクシーから降りる時もそうだった。康生と飲むお酒は特別美味しいというわけじゃない。康生と過ごす時間が特別楽しいというわけでもない。ただ私はこの男に触れられると、自分が自分じゃなくなるような気が、いつもする。
顔を見合わせると康生が、ヘッ、と鼻で笑った。私を馬鹿にする時にいつもする笑いだった。好きだなぁと思う。しかしそれは口にしない。口が裂けても言ってたまるかと思う。心臓が溶けだしているのではないかと思ってしまうほどに、体が熱くてたまらなかった。
気が付くといつの間にか朝が来ていた。カーテンも閉めずに眠っており、窓から差し込む朝の光が顔面を突き刺してくる。それから逃れるように顔に手をかざして影を作った。どうやら昨日はそのまま眠ってしまったようだ。メイクもコンタクトもしたままだったため顔のコンディションが最高潮に悪い。ああ顔を洗いたい、お風呂に入りたい。そんなことを考えながら上半身を起こす。
「てか、寒っ……」
思わず独り言ちる。何故か私は全裸だった。一枚の布すら被らずに生まれたままの姿で眠っていたのだから寒いのは当然だ。むしろ風邪をひかなかっただけ奇跡かもしれない。何故自分は全裸なのだろうと考える。もしかしたら『お風呂に入りたい』という気持ちが大きすぎて、眠ったまま服を脱いで入浴の準備をしてしまったのかもしれない。
って、んなワケあるかーい、と心の中で自分で自分に突っ込みながら、何となくすぐ隣のスペースに視線を落とす。そこには康生が横になって眠っており、私と同じく全裸だった。ああそういえばここは康生の家だったと今さらながらに思い出す。
私の太ももくらいあるのではないかと思うほど太い腕に、赤い花がいくつも咲いている。私はその刺青が好きだった。初めて見た時から今までずっと綺麗だなと思っていた。本人に伝えたことは一度もない。この花の名前ってなんだっけ。そんなことをぼんやり考えながら、人差し指で康生の腕の刺青をなぞってみる。
「……おい。やめえや……。こしょばいやろ……」
康生は薄く目を開けて、寝ぼけ顔で私を見上げた。目が合って、ハッとする。なんだか体のあちこちが痛むような気がするし、下腹部に妙な異物感がある。それは久しぶりの性行為をした時の感覚と似ていた。似ていたというよりも、まさにそれだった。