※『溺れるシーラカンス』と同一主人公の後日譚
※失審チャプター6『収束熱』の設定
愛しきエンヴィー
今日はこんなことがあっただとか、街に新しく出来たゲーセンや商業施設のことなど、他愛ない話をしているうちにすっかり夜はふけていた。このシャルルというゲーセンは地下にあり窓もないため、時間の経過を感じにくくなっている気がする。自身のスマートフォンを確認すると「もうこんな時間」と思わず口に出したくなるような時刻で、私は急いで帰り支度を始めた。
夜の神室町は昼間の何倍も治安が悪い。一人で歩かせるのが心配だったのか、東さんは駅まで送ると申し出てくれ、それに甘えることにした。シャルルを出てしばらく歩き、千両通りにさしかかった時にふと、そういえばここは一人の時には通ったことがないなと気が付いた。通りは夜になると色とりどりの看板が目に眩しく、キャッチやスカウトがとても多くなると聞いたことがある。今は隣に東さんがいるためそのような人は寄ってこないが、一人で歩いたら面倒なことになりそうだなと考えた。もっとも私の見た目は決して派手ではないため、キャバクラやガールズバーのスカウトなどの声はかからないのだろう。
まだ駅に着いても居ないのに何か会話をしたくて、「わざわざ送ってくれてありがとうございます」というようなことを言おうとした時、東さんが何かに気付いたようにハッとして立ち止まる。
「東さん?」
思わず名を呼んだが東さんは返事をせず、ただ一点だけを睨むように凝視していた。目線の先を見ると大柄な二人組の男性がおり、良く見ると男性の陰に美しく着飾った女性の姿が見える。男性は女性の腕を掴み今にも殴りかかりそうで、何やら小競り合いになっているようだった。
もしかしてこれはスカウトの延長から発生したトラブルかもしれない。警察に通報するか近くの交番に駆け込むべきなのではないかと考えていると、東さんは“これ以上前に進むな“とでも言うように私の前に腕を出し、歩みを止めさせた。
「離れてろ」
東さんはそれだけを言うと大股で男性に近付き、肩を掴むとまるでぬいぐるみを転がすかのように簡単に地面に引き倒した。もう一人の男性が怒りに任せ殴りかかってきたが、拳が届く前に東さんの拳が男性にヒットし大きな体が吹っ飛ぶ。この間たったの数秒で、あまりにも物事が早く進み過ぎて私は呆然としてしまった。
女性はよく見ると二人組で、どちらも華やかで夜の街にとても似合っている。その内の一人はどうやら東さんと顔見知りだったようで、弁護士の城崎と名乗っていた。話をする三人の姿をぼんやりと見つめる。城崎さんも、一緒にいたもう一人の女性も、どちらも東さんの隣に立っても違和感がないくらいに美しく、大人に見える。
「ヒマな者どうし今夜は楽しく過ごしません?」
話の途中で、赤い服の女性が東さんに言った。女性は私や東さんよりも年上に見え、大人の色香が漂っている。大きなモチーフのネックレスはきらびやかでとても似合っているし、タイトで短すぎないスカートとまとめられた髪が彼女の妖艶さを引き立たせているように思えた。
女性に見惚れながらも、思わずヒュッと息を飲む。もしかして、というよりも確実に今この状況で私は邪魔者なのではないだろうか。
「じゃあその前に八神さんに電話を入れさせてください」
東さんが返答するよりも前に、城崎さんがどこかに電話をかけはじめた。彼女が口にした「ヤガミさん」とは、私の知っている八神探偵事務所の八神さんだろうかと思いつつも、今はそれを聞くような雰囲気ではないように思う。そしてどうやら相手は電話になかなか出ないようで、東さんは苛立ち、城崎さんは不思議そうに電話を掛け直しつつ首を傾げていた。
「とりあえずテンダーにでも行きませんか。そこで一緒に飲みましょうよ」
赤い服の女性が提案し嬉しそうに笑う。先程からスピードを増している心臓の音がうるさく、息も上手く出来ないのに、彼女の言う“テンダー”とは店の名前だろうとどこか冷静に考えた。この場合、私はどうするのが適当なのか。東さんは私を駅まで送ると言ってくれたが、あの女性は東さんと一緒にお酒を飲みたがっている。だからといって私もそこに同席するのはおかしい気がした。
「せっかくですが、俺はコイツを送る途中なんで」
東さんの声が耳に届きハッとする。“コイツ”とは誰のことかと一瞬思ったが、今この状況では私しか居ない。女性たち二人がこちらへ目線を送ってきて目が合うと、なんだかひどい気まずさに襲われた。
「あ、いえ、私はここまでで大丈夫ですよ。駅もすぐそこですし」
その言葉は自分で予想していたよりも、スムーズに口から出た。やはりここは私が身を退くのが最善なのだろう。本音を言えば東さんとはもう少し一緒に居たいし、駅まで送って欲しい。私が改札を抜け、乗り場ホームに向かうエスカレーターを上り始める所まで見送って欲しい。ギリギリまで東さんの姿を見てから神室町を後にしたい。そう思ったが、今ここでこの本音を口にするのはどう考えても間違っている気がした。
「ありがとうございました、東さん。それじゃ、また」
精一杯の笑顔を作り、三人に向かって軽くお辞儀をすると、東さんの表情も確認しないまま足早に歩き出す。夜の千両通りを一人で歩くのは初めてだが、素早く抜けてしまえばどうということはないだろう。不審な声かけも聞こえないふりをして、全て無視してしまえばいい。
どこかの飲食店で働いているのであろう露出度の高いドレスを着た女性。大きな声を上げている法被を着た客引きの男性。客であろうくたびれた様子のサラリーマンや、柄の悪いチンピラのような雰囲気の人たち。様々な人が行きかう通りは、ぶつからないように歩くので精一杯だった。早く、早くこの通りを抜けてしまいたい。その一心だった。
太い道路と大きなビルの灯りが見えてきて、そろそろ昭和通りに出るという所で何かに手を掴まれる。強引なスカウトか何かかと思い、恐怖から声を上げたくなる気持ちを抑えながら振り返ると、そこには東さんが立っていた。
「勝手に行くんじゃねぇよ。送るっつったろうが」
東さんの息はほんの少しだけ上がっていて、どうやら私を小走りで追いかけてきてくれたようだった。それがとても嬉しいのに、何故か彼の顔が真っすぐ見れず、私は顔を伏せ、自分の足元を見る
「いえ、その……、私は一人でも大丈夫ですから。あの人たちと飲みに行ってきてください」
ハハ、と半笑いで口にした言葉は、私の本音など微塵も混ざっていない。本当は少しでも一緒に居て欲しいし、飲みになんて行って欲しくないし、こうして追いかけてきてくれたことも嬉しくてたまらないのに、それを口にすることが出来ない。自分が醜くて格好悪くてみっともなくて、消えてしまいたくなる。
「」
東さんが私の名を呼んだ。普段から「お前」と呼ばれることが多いので、名を呼ばれるのはいつぶりだろうか、なんて考えながら顔を上げると、東さんと目が合う。彼の表情は何故か私を見下ろしながら、片方の口角だけを上げてニヤリと笑っていた。
「お前……、もしかして妬いてんのか」
自分でも見て見ぬふりをしていた感情をずばり言い当てられ、顔がカッと熱くなるような感覚がした。
そう、私は嫉妬している。それは分かっている。でもこの想いを表に出してアピールしたら格好悪いじゃないか。面倒臭いじゃないか。
「別に、妬いて、ないです、けど」
返答した声は自分でも分かるくらいに震えていて、情けなくなる。無駄な抵抗と思いつつも軽く東さんを睨むように見ると、彼は先ほどのにやけ顔とは違う微笑みで私を見ていた。それは誰がどう見ても“嬉しそうな顔”で、なんだか腹が立ってくる。
「なに、笑ってるんですか」
東さんは私の抗議を無視し、何も言わず手を引いて歩き出した。昭和通りに出るとすぐ横の道路を車が走り抜けていき、強い風が何度も体にぶつかる。東さんの手はとても大きくて固くて、自分の手はと言うと、まるで心臓が手のひらに移動したのではないかと思うほどに熱く、脈打っているのが分かる。そういえば初めて手を繋いだ気がすると軽く感動したが、東さんに手を引かれているこの様子は“大人に連れて行かれる子供”かのように見えるだろう。
「私もたまには綺麗なドレスとか着てみようかな……」
無意識に独り言を呟く。たとえば先ほどの城崎さんや、赤い服の女性のように美しい服を着て、髪を綺麗にまとめて、いつもより派手なメイクをしたら、少なくとも“大人に連れて行かれる子供”のようには見えないかもしれない。独り言はあくまで独り言だったため返答などは求めていなかったが、東さんは歩みを止めないまま私の方へ軽く振り向き、フンと鼻を鳴らした。
「いらねぇよそんなもん。お前に変な虫がついたら俺が困るだろうが」
その言葉にまるで“ボッ”という音が出たのではないかと錯覚するほど、自分の顔が熱くなるのが分かる。どうやら東さんも言った後に照れ臭くなったようで、すぐにこちらから目をそらし前へ向き直ったが、耳がほんのりと赤くなっているように見えた。
お互いに顔を赤くしているだろうその光景を客観的に考えるととてもおかしくて、思わず口元をおさえて笑う。私の笑い声が聞こえたのか、東さんはチッと小さく舌打ちをしたが、そんな態度がひどく可愛らしく、かつ愛おしく思える。
「東さん、城崎さんたちを見て鼻の下伸びてましたよね?」
「馬鹿野郎。伸びてねぇよ」
「伸びてました」
「伸びてねぇって」
「伸びてた」
「うっせぇ!伸びてねぇっつってんだろうが!」
東さんは道の真ん中で立ち止まり、振り返って叫んだ。その顔は案の定ほんのりと赤くて、堪えきれずにアハハと声に出して笑う。笑うことを止めさせたいのか、東さんは私の頭の上に手を置いてそこをぐしゃぐしゃと混ぜた。それでも繋いだ手は離さないままで、それがあたたかくて愛おしくてたまらなくなる。
ああやっぱり私はこの人が好きだ。その想いは口に出さず、ただ目の前にある広い胸に飛び込んで、彼を強く抱き締めた。
(2021.10.19)