溺れるシーラカンス - 1
私ぐらいの年齢の女子というものは、泳ぎを止めると死んでしまう魚のように恋愛をしていなければ死んでしまう生き物なのかもしれない。カフェでお茶をすれば彼氏がどうの、女子会で集まれば先日の合コンがどうの、口を開けば恋愛の話ばかり。
彼女たちが例えば泳ぎを止めると死んでしまうマグロならば私はきっとシーラカンスだ。今までたいした恋愛経験もなく、これからもその意欲がない。まるで一般的には考えられないような特殊な存在は“生きた化石”の名に相応しい気もする。なんて思ってしまうのはシーラカンスに失礼だろうか。
そんな面白くもつまらなくもない日々を送ってきた私が『デコレオーシャン』を知ったのはつい先日のこと。それはチェックやハートの柄にデコレーションされた海の生き物たちのカプセルトイで、SNSで広告を打ち出している割にはそこまで流行っている印象は受けなかった。
私は『デコレオーシャン』に強く惹かれた。その理由はきっとシークレットがマグロでもカニでもなく、シーラカンスだったからだろう。地元のおもちゃ屋やゲーセンを巡り取り扱っている店を探したがなかなか見つからず、やっと発見できたのは神室町にあるシャルルという寂れたゲーセンだった。
シャルルの両替機で千円札を百円玉にし、いざ回してみるものの当然ながらシーラカンスは出てこない。カレイ、カニ、サーモン、イカなどシーラカンス以外の物が揃って行き、私の手元には可愛らしいお魚のおもちゃでいっぱいになってくる。
次こそ。そう思い今まで通りにお金をいれて回そうとした時、ハンドルに何かが引っかかったように固くなり動きが鈍くなったことに気が付く。やばい、という嫌な予感と同時にハンドルはびくともしなくなった。このシャルルというゲーセンはどう見ても老舗だ。建物は汚いし置いているゲームもレトロな物ばかりな気がする。カプセルトイの機械も他の店で見る物よりも古臭いデザインに見えたので、ガタが来ているのかもしれない。
「ああ、もう」
すでに何円つぎ込んだか分からないが、一番欲しいシーラカンスが出ないイライラも相まって私はカプセルトイの機械を軽く叩いてみる。しかしその程度の刺激を与えた所でハンドルが動くこともなければ入れたお金が返ってくることもない。
「ちょっと……勘弁してよ……」
だめもとでもう一度機械を強めに叩いてみる。大きな音が響き、中に入っているカプセルが少しだけ跳ねるのが見えた時、頭上から大きな影が落ちてきた。
「おい、何してんだ」
背後から声をかけられ反射的に振り返ると、一人の男性が立っていた。その人はスーツ、サングラス、オールバックの髪型でどこからどう見ても一般人には見えず、思わず息を飲む。しゃがみこんでいた私はその場で立ち上がり、まるで教師に叱られている生徒かのように気をつけの姿勢を取った。
「あ、あ、あの、お、お金、入れたんですけど……その……」
「あ?」
とりあえず今の状況を説明しようとするも、男性の見た目の恐ろしさから声が震える。曖昧な言葉を吐き出すだけの私に男性は眉間に皺を寄せこちらを睨むように見たが、その表情がまた恐ろしく私は何も言えなくなった。怖い。その感情だけで頭がいっぱいになっていると、男性が私の横のあたりに目線を送ったのが分かった。そこには汚い床に置きっぱなしにしていた大量のカプセルと魚のおもちゃたち。シーラカンスが出るまで回し、出てきたカプセルを開け中身を確認することを繰り返しているうちに溜まっていった物だった。
男性は小さくため息をつくと懐から鍵の束を取り出した。そして私が回していた機械に鍵を差し込むと透明のプラスチック部分が開き、中に入っているたくさんのカプセルが顔を出した。男性は機械の中に手を突っ込み、こちらに向かって問いかける。
「何が欲しいんだ?」
「え?」
「欲しいもんあんだろ?出してやるよ」
その言葉は意外だった。カプセルトイの機械を開ける鍵の束を持っていたということは、この人は従業員か何かなのだろう。何度回しても出る気配のないシーラカンスはこの先何円かけても出ないかもしれない。今ならシーラカンスを手に入れるチャンスだ。
でも、それでいいのだろうか。私はシーラカンスが欲しかった。自分に似ていると勝手に感じてしまった“生きた化石”。泳ぎを止めると死んでしまうマグロとは違う。他の人と違くとも生きていける。そんな風に思いたかった。思い込みたかった。
「だ、ダメです!」
自分が想像していたよりも大きな声が出た。狭いゲーセン内であれば響き渡りそうな声量だったが、ゲーム機が発するやかましい音にかき消される。男性は私の声に驚いたのか少しだけ目を丸くしていたが、すぐに眉間に皺を寄せ目を細める。その表情を見た私は彼を怒らせてしまったのだと思い、何か言い訳をすべきだと思考を巡らせた。
「あ、ええと、その、こういうのは自分で引き当ててこそ、だと思うので……」
体の前で両手をすり合わせる私の姿はまるで蠅のようだっただろう。男性は鼻をフンと鳴らし「そうかよ」と言いながら一歩、二歩とこちらに近付く。暴力でも振るわれるのかと思い身構えたが、彼は何かを私に押し付けるとそのまま店の奥へ戻っていった。押し付けられたのはお金で、それは先ほど私が機械に入れたものだった。
男性の姿が消え、強張っていた体から力が抜けたような感覚になる。なんだか今の数分で一気に肩が凝ったような気がした。
それにしても先ほどの彼は一体何なのだろう。見た目はどう見てもヤクザにしか見えなかったが、このゲーセンの責任者か何かだろうか。はじめこそ恐ろしいと感じたが、機械を叩いた私を咎めなかったり、欲しい物を出してやると言ったり、そこまで怖い人ではなかったのかもしれないとも思う。
そんなことを考えつつ気を取り直し機械にお金を入れてハンドルを回した、その時だった。ガタンという大きな音と共に出てきたカプセルは明らかに今までの物とは違って見えた。まさかと思い急いで開けてみると、中には黒と灰色のシンプルな柄でデコレーションされたシーラカンスが入っている。
「うわ!出た!シーラカンス!」
あまりの衝撃に思わず叫び、今まで出したカプセルも自分の荷物もその場に置いたまま、私は店の奥に走っていく。スタッフが使うのであろう控室の扉の前に先ほどの男性が居り、だるそうに両肘をカウンターの上に乗せ走ってきた私を上目遣いで見た。
「で、出た!出ました!一番欲しかったシーラカンス!」
私はシーラカンスを目の前に差し出して見せる。彼はシーラカンスと私の顔を交互に見ながら少し呆れたように笑った。
「なんでそんなもん欲しがんのか俺には分かんねぇけど……、まぁ、良かったな」
男性の笑顔に目を奪われた。まるでヤクザみたいな怖そうな見た目をしている割にはとても優しく、人懐っこい笑顔を見せる人なのだなと感じる。何円もかけて手に入れたシーラカンス。私は何故これが欲しかったのか。彼の笑顔を見た時、その理由を一瞬忘れてしまった。
「あ、あの……」
小さく声をかける。男性はまるで「なんだよ」とでも言うようにこちらを見た。
「お兄さんの名前……、うかがってもいいですか」
無意識に口から問いがこぼれたと同時に後悔する。いきなり見知らぬ客、しかもカプセルトイにたくさんのお金をつぎ込むような変わった客にいきなり名を聞かれるなんて困るに決まっている。むしろ人に名を聞くなら自分から名乗るべきなのではとも思ったが時すでに遅し。
案の定男性は眉を歪ませ不思議そうな顔で私をまじまじと見ると、おもむろにカウンターの下に手を突っ込みそこから白いビニール袋を取り出すとこちらに差し出した。なんとなくそれを受け取ってはみたものの、意味が分からず「は?」と間の抜けた声が出る。
「あのおもちゃ、それに入れて持って帰れ。カプセルはゴミ箱に入れとけよ」
混乱する私に向かって男性はそう言い、こちらに背を向けながら控室に続いているのであろう扉のノブに手をかけた。私は渡されたビニール袋の使い道に“なるほど”と思いながら彼にお礼を言おうと口を開く。“ありがとうございました”、そんなありきたりな言葉を発するその前に、男性は首だけをこちらに向けた。
「店長の東だ。またどうぞ。……シーラカンスさん」
そう言い切ると、彼、東さんはドアの向こう側に消えていった。建て付けの悪い古い扉の閉まる音が騒がしいゲーセン内に吸い込まれて消える。
私には親がくれたという立派な名があるのだと思う反面、何故か彼に呼ばれた“シーラカンスさん”という呼称が嬉しくてたまらなくなる。手のひらの中にある、先ほど出したシーラカンスのおもちゃをまじまじと見つめた。
私はシーラカンスが自分に似ていると勝手に感じていた。他の人と違くとも生きていける。そんな風に思いたかった。思い込みたかった。でも、こんな私でも、他の魚と同じくこの世界を生きたい。上手く泳いでいきたい。泳ぎを止めてしまったら死んでしまう魚のように、恋をしてみたい。“またどうぞ”という東さんの言葉を頭の中で繰り返しながら、そんなくだらないことを考えた。