ネオンに溶ける - 6
柄の悪いチンピラを殴った俺の手に小さな痛みが走る。衝撃で吹っ飛び地面に倒れ込んだ男はそれなりに根性があるのか、体勢を直し立ち上がりながらこちらに向かって構えを取った。
上等だ。そう思い同じように構えを取ろうとした時、公園の出入り口付近に居る野次馬がスマホでどこかに電話をかけているのが見えた。それを見た瞬間に警察を呼ばれたと直感する。たった今見知らぬ男に拳を一発食らわせただけだ。そこまでの騒ぎではない。しかしこの児童公園は人通りの多い道路に面しているため、目につきやすかったのだろう。
警察を呼ばれることなど慣れているしどうということはない。しかし今、俺の後ろにはが居る。その上この場所はの職場からさほど遠くはない。こいつを警察沙汰に巻き込むのは良くないだろうと判断した。
俺はとっさにの腕を掴んで走り出す。こちらに飛び掛かってくる男のタックルをかわしつつ、公園から飛び出した。背後から怒鳴り声が聞こえたが、後ろを振り返らずに走る。
闇雲に走り、いつのまにかホテル街の方面へと来ていた。俺はを無理矢理にビルとビルの隙間の物陰に押し込むと、自分も同じようにそこへ入り身を潜める。耳を澄ますと先ほどの男の怒鳴り声が聞こえて来て、俺たちを探しているということが分かった。
「と、徹、あんた、相変わらず走るの、速すぎ……、もう少し手加減してよね……」
は息絶え絶えに言う。自身を落ち着かせようとしているのか胸に手をあて、うなだれるように俺の肩に寄りかかった。汗のにおいと甘い香りが混ざり合う。
「お前は俺についてこれねぇようなタマじゃねぇだろ」
独り言かのように言うとが顔を上げ、俺を見た。至近距離で目が合い、大きかったの息遣いが段々と小さくなる。は目を細め、何かに想いを馳せているような表情をした。
「なんか、懐かしい。昔もよくこうやって逃げたよね。私たちを追いかけてくるのはいっつもおまわりさんだったけど」
はアハハと弱く笑いながら、優しい表情で言う。
俺たちは昔からずっと一緒に居た。何をやるにも一緒だった。くだらないことで何時間も盛り上がったり、酒を飲んだり同じ釜の飯を食ったりした。が就職して会社員になってからも、俺が極道の道に入ってからもずっと一緒だった。でもいつの間にか俺はを避けて突き放すようになった。
「そういえばさぁ、ビルの屋上でロケット花火やったら通報されたこと、あったよね。ほんといま思えば良く捕まらなかったなって思うよ」
「……覚えてねぇよ、そんな昔のこと」
話を続けるから目をそらし、交わっていた視線を解く。覚えていないなんて嘘だった。ロケット花火のことも、通報されて二人で逃げたことも、全てを昨日のことのように覚えている。忘れたことなんて一度もない。としたこと、と一緒にいた時のことは全部覚えていた。
「私は覚えてるよ。徹としたこと、徹と一緒にいた時のことは全部」
俺の心を読んだように、全く同じ言葉をが口にした。思わずの方を見て、解いた視線を再び絡ませる。
「私、徹のこと……、」
「やめろ」
言葉を被せ、遮った。が何を言おうとしているのかが俺には分かる。俺はたった今、こいつの気持ちをやっと理解した。
「そっから先は……、俺が言う」
の頬に手を這わせた。雨で濡れた肌はとても冷たく、同じように濡れている俺の手のひらに水分が張り付いてくる。まるで二人の体が溶け合うかのようだった。
「俺は昔からずっと、お前に惚れてた。お前がずっと、好きだった」
ただそれだけのシンプルな言葉。は俺を見つめ数回瞬きをした。頬に水の筋が出来たように見えたが、それが涙なのか雨なのかは分からない。は俺の腰に手を回し、しがみつくようにして抱き着いてきた。バランスを崩しそうになり「おい」と小さく声を上げる。
「私も、一緒」
の声が微かに震えていて、泣いていることにやっと気が付いた。小さな背中に手を回し、そこを軽く叩くようにしながら撫でる。湿った服や体の感触は不快なはずなのに、妙に心地良く、あたたかい。
「ねぇ、徹。久しぶりに行きたい。あそこ」
俺の腕のなかに収まっていたが急に顔を上げて言った。想像以上の至近距離に心臓が跳ねたが、冷静を装い「あ?」と返事をする。分からないふりをしたが、が言う「あそこ」が何処なのか俺には良く分かっていた。昔、俺とで一緒に酒を飲んだりロケット花火をして、丁度良い“たまり場”にしていた雑居ビルの屋上のことだ。
物陰から顔を出し、周囲の様子を窺う。先ほどの男はもうすでに俺たちを諦めたようで、近くに姿は確認できなかった。ゆっくりと隙間から体を出すと、俺たちは手を繋いだまま小走りで“たまり場”に向かった。
足音がうるさく響く外階段を上り、屋上に出る。下には神室町のネオンと、眠らない街を闊歩する人々の群れが見えた。はそれを見ながら設置されているフェンスに寄りかかり「うわー、懐かしい」と大きな声を出す。気が付けば、雨はいつの間にかやんでいた。
「あ!そういえば仕事ほっぽりだしてきたんだった。明日怒られるなぁ」
たった今思い出したかのようにが言う。恐らくこの屋上からはが勤める会社のビルが良く見えるのだろう。が仕事を放り出したのは俺に原因がある。そのことでが叱られ処罰を受けることに申し訳ない気持ちが湧いた。
「……悪い」
「いいよ別に。また徹とここに来れたから。上司に怒られるくらいなら安いよ」
謝罪の言葉を口にした俺に、は眩しい程の笑顔を見せた。何かが胸に強く沸き起こり、衝動的にの湿った肩を掴む。その体を自分の方へ引き寄せるようにしながら口唇を塞いだ。もう雨はとっくにやんでいたが、口唇は濡れていて冷たかった。
ゆっくりと口唇を離すと、目の前にあるの顔は驚き目を丸くしていた。そしてそれはあっという間に真っ赤になり、耳や首の方まで染まっていく。
「おい……、こっちまで照れるだろうが」
自分の頬まで熱く感じてきて思わず目を伏せた。肩にそえていた手を放し、少しだけ距離を取る。は弱々しい声で「しょうがないでしょ」と言いながら頬をおさえていた。
二人の間に沈黙が流れる。こんなのはいまさら気まずくなんてない。しかし、もう一度に触れたくなってしまった俺はその気持ちを誤魔化すため、下に広がっているネオンの光を見つめた。
「ねぇ、徹。さっきのもう一回言ってよ」
の方へ視線を送ると、顔はまだほんのりと赤いままだった。俺には「さっきの」という言葉がどれを指すのか分からず、思わず眉間に皺を寄せる。
「さっきって……、どれだよ」
「“昔からずっとお前に惚れ……”」
「や、やめろ馬鹿!あんなことシラフで二度も言えるか」
先程の自分が言った台詞を思い出し、一瞬にして顔がカッと熱くなったのが分かった。はゆっくりと口角を上げ、厭らしく笑いながら俺を見る。その表情が憎たらしくて、もう一度キスしてやろうかと考えてしまう。
フン、と鼻を鳴らし、再びネオンの方へ視線を落とす。すると隣にいたが一歩こちらに近付き、身を寄せたのが気配で分かった。
「私もずっと、徹に惚れてたよ」
神室町の喧騒にかき消されそうなほどの小さな囁き声。だがすぐ近くに居た俺にはしっかりと聞こえた。の顔を見ると、照れくさいのか目をそらされる。自分から言ったくせに何を照れてるんだコイツは、と思いながらも、愛おしい気持ちが溢れ出した。俺はの肩に手をそえて軽く引くと、その体を腕の中に収めながら「そうかよ」と呟いた。
空は相変わらずどんよりと暗いままで、重たい色の雲に覆われている。またいつ降り出すかも分からないこの場所で、濡れた体のまま抱き合った。髪や、服や、体中に沁み込んだ水がお互いを行き来するように溶け合う。
ネオンの光がいつもより美しく感じたのは、きっと俺たちと同じように濡れていたからなんだろう、なんて柄にもないことを考えながら、俺はの髪に顔を埋める。雨上がりの懐かしいにおいがした。
END
(2022.2.20)